IMGP3494こんな商品があった。
達筆の筆字のパッケージ(?)だが…
崩して書いてある文字は、どうやら「豪州」「有機」らしい
裏を見たらIMGP3496
オーストラリア産の有機小麦粉という表示だ。

 

有機認証制度ができるときに、議論されていたことを思い出した
有機認証制度とは無農薬・無化学肥料の有機農産物を、公的機関が認証するという制度である)
そのときに有機農産物とは何か?という議論がなされた。
単なる「農薬を使わない。化学肥料を施肥しない。」のが有機農産物なのか?
「それなら中国で作った無農薬・無化学肥料の農産物は有機農産物なのか?」
と言う議論がなされた

これは中国ではないが、オーストラリア産の有機小麦粉である。
現実、中国産や豪州産と言っても、日本の基準で日本人が指導し、収穫後、日本の方式で管理している商品が最近では多くなった。
グローバル社会では、どんな国で作られようと、日本の基準を満たしていれば「日本産」と同等の商品となるのだろう
ただ”人件費”や”地代”が安いので価格的には、「安い」
「いいものを安く」という発想の中からは、海外の輸入物の認定を受けた農産物も、国産有機と商品的には一緒である。

それで、いいのか?

と言う問題が、認証制度が創設されるときに議論されたのである
そもそも「有機農産物」は最近の話である
戦前は、すべて有機農産物だった。(誇張があるが…一部は化学肥料を使っていた)
だから、わざわざ認証する必要も有機農産物と呼ぶ必要もなかった。
それが戦後の食糧不足で増産運動が盛んになり、昭和30年台後半にようやく米が自給できるようになった。
その増産運動が過ぎて昭和40年代後半に減反制度が出来たのである。
そのとき有吉佐和子の「複合汚染」が出版され”環境問題”という存在が明らかにされた
と同時に食べ物も、戦後の農薬・化学肥料多投の栽培方法に疑問を持つ人が言った言葉が「有機」という言葉である
有機農産物というのは、たかだか40年の言葉である。(これはバクッと言っている。(笑)

その時は「有機」というのは”環境問題”が内包され、そしてその環境問題は”地域”というのが当然の事ながら入っていた
なぜなら自然環境は、地域によって違うから…
そして「拡大」を続ける社会に警告を与えながら「循環」の社会の提案でもあった。
その循環は資源の循環ではなく、社会循環であった。

 

数年前、ある農家から相談を受けたことが有った。
「こんど出来た直売所で、”トレサビリティ”という法律が出来て、農薬から肥料からすべて書かないといけない。どうしたらいいだろう」という相談だった。
「並べた農産物のそばに自宅の地図を張りなよ。そして”いつでもどうぞ”という言葉を添えて…」
「循環型の生活をしていますよ1いつでも見に来てください」と言う意思表示である。
合成洗剤や化学調味料や、化学肥料・農薬は使っておりません。と言う自身の生き方の意思表示であり
そして枯渇する化石燃料を、大量に使用した生活は望んでいませんという…

有機というのは単なる付加価値ではない
有機は、奥深い言葉である。