ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ババ色の世界

手術を重ねるたびに、今回は、きちんと脳裏に刻み込んで…
と想いながら手術に望む

最初の手術は、心臓だった。
ただただ早く無事に終わることを望んでいた。
手術室に入る前は、今生の別れかと思った
そのせいか手術室に入る前に麻酔が効いて寝てしまった。
記憶に留めるも何も手術室の扉しか覚えていない。

二回目は記憶にとどめようと思ったが
手術室に入って、手術台はみたが…
それっきり記憶が無い

三回目は、こんどこそと想いながら
金属製の手術用のベッドに横たわって麻酔を打たれるまでは記憶していたが
金属製のベッドは冷たかった
部屋はメタル色に光り輝いていた記憶しかない

四回めの手術室は、白内障である
これまた眼球の手術だから「気持ちが悪かった」
目玉が取れたらどうしよう!
眼球にメスをいれるのか?
切り開かれた眼球を、どう縫い合わせるのだ!

などと様々なことを考えたが…
最初は延期になって、二回目でようやく手術をした
しかし、それよりも大震災で手術の記憶が残っていないし
白内障は”明確に視野が変わる”という経験は覚えていない

さて今回の白内障の手術は、しっかりと記憶しようと臨んだ

日帰りだから、手術着に着替えて外来用のベッドに横たわり、何回も眼にミズのようなものを掛けられた
三分おきぐらいである。

それを一〇回ぐらいやって、手術室に呼ばれていくと、大きなアームが乗っかっている床屋の椅子のような手術椅子があった。
そこへよじ登り、あっという間に倒されて、医者が
「麻酔をウチますよ…」と

なんと眼球に、一瞬痛みが…走った。

そのあと眼だけ露出する布を被されて、真っ白な光が目を覆い
水のような液体をかけられながら、
海の底から空を見るような映像が五分ほど流れた。
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そして終わった

終わってから「朝まで眼帯を外さないで…風呂に入っては駄目、アルコールも駄目。あとは何をしても良い」と言う
しかたがないので、アルコールはやめて、ビールにした。

翌朝、朝一番に病院に行くと眼帯を外す
なんだか手術したほうが透き通ってよく見える
視力も0.2ぐらいだったのが。1.2になっている。
手術しない方が曇ってみえる
なんだこれは…
と想いながらまわりを見ると二重になっている

どうやら今まで無理して焦点を合わせてきたのが癖になってしまったのだろうか…
医者の診察は「問題無いですね…」と言う言葉と共に外へ出た

そとは明るくてよく見える
いままで曇りガラスになっていた風景が透明なガラスに入れ替えたようだ
二重になっていた映像も少しづつ戻ってきた

 

店に行くと、”ふっちゃん”と”討ち入り”どのの重量コンビが、きていた

「どぉ〜」と問われて
「スカート中まで透けて見える」

そんな感じのバラ色の世界が…
いやピンク色の…
いやババ色の世界が広がっていた。

苦渋の決断

久しぶりに手術である(?)

幼いころから55歳に至るまで手術という名の術は、したことはない
柔術とか美術など、武術・芸術に関わることは、少しはある。
しかし、55歳からの人生は、手術の人生というしかない。

最初の手術は、心臓だった。
二回目の手術は心臓の真裏の大動脈瘤だった
三回目の手術は心臓のそばの食道がんであった。
四回目の手術は心臓から遠いが白内障である
五回目の手術は隣に移って、今回の白内障である。
親にもらった身体に、何度メスを入れたことか?

55歳までは、さまざまな病気や怪我も気合で治した。
そろそろ気合が切れかかったのが55歳であった。
人生の勢いが無くなったのも55歳ぐらいである
そういう意味では

「人間50年、化天のうちに…」と謡った信長の言うとおりだろう
(「敦盛」の真意は違うらしい…)
社会的な活動は。50までにしろということか…
振り返れは、少し遅かったような気がする

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とりあえず手術だ
鍼医は「白内障は、今は盲腸の手術と一緒だ」と言い
義兄は「盲腸の手術をしたが、開腹ではない、穴開けてやるだけだ」と言う

前回の白内障手術は「3時」からだった。
「2時46分」右目に点滴をした時にグラっと揺れた。
そうなのである。
3.11の東日本大震災の当日の手術だった。
8人部屋のベッドが、右左に揺れて病室は混乱を極めた
手術室から出てきた医者は、手術の手袋を脱ぎすてながら

「もうだめだ。手が震えて手術はできない」と言って中止になった
病室の自家発電のテレビは、ヘリコプターから実況の大津波の映像を流した
「これは大変だ!」と、急遽退院して歩いて帰った
信号も消えた交差点は渋滞し、北山トンネルの照明は消え、街には音がなかった。
それから40日後、再度手術に挑戦をした。

そんな因縁の白内障手術である
最初の白内障は、三泊四日だったような気がする
まわりの眼科医院は、ほとんどが日帰り手術だったのに、
「なぜだ!」と思ったが
今回は日帰りになっていた。いや日帰りを望んだのだが…

病院の食事は酒がつかない
下のコンビニも酒を売っていない
持ち込めばいいが…(気が弱い)
だから日帰りを望んだ。

白内障は、だんだんぼやけて視力が落ちる病気(?)である
これは、目が疲れて集中力が無くなる。
本が一気に読めないのである。
読みかけの本が机の周りに崩れそうな山となっている
片付けようにも、読み進められないのである
しかし、読みたい本は、どんどん増えていく。
これを解消するには、手術しか無いと決断をせざる得なかった。
苦渋の決断である。

お約束どうり

先週に続いてテストマッチ(国対抗の真剣勝負)第2銭をじっくりみた。

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おかげで35缶を二本も空けてしまった
先週と同様、僅差で負けたが…

強くなった。
素晴らしく強くなった。
たぶん勝利は、後からついてくるだろう

ふと思い出して本棚の奥を探した
こういう試合を見ると、youtubeのラグビーシリーズを見たくなるが
昔、買ったビデオである。
一番最初にテストマッチでスコットランドに勝ったのを思い出した。
平成元年5月28日、まだ東京にいた時分である。

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見ようと思ったら、ビデオデッキがない
考えたら魔子様が二階に持って行っていた。
記録しても再生機械が無いと宝の持ち腐れである
中学生の頃だろうか、初めてテーブレコーダーを買ってもらって
父が酔っ払って帰ってきて喋った言葉を録音して、翌日家族のみんなで笑った。
その時の父の気恥ずかしい顔が、思い出される。
家庭の日常が、後から再生できるのというのは、画像としてのカメラと、音声としてのテープレコーダーが初めてだった
しかし、そのテープレコーダーはカセット式ではない。
何と言うのだろう長いテープだ!
そのテープが有ってもたぶん家庭では再生できないだろうし他に移すことも出来ない
それからカセットテープになり、CDになり、MDもあった、そしてDVDとなって、今はなんというのだ?
カセットテープが山となり、CDが積み重ねられ、MDも隙間にはいり、
まだ録画してない購入した新しいDVDが本棚の片隅に並んでいる。
科学技術の進化は、家庭にごみの山を築く。

 

平成元年の日本VSスコットランドの試合は
監督宿澤広朗が「この試合は勝てる」と予言をし
試合後「お約束どうり…」と得意満面の笑みが、脳裏に刻まれている。
これはいつでも、どこでも再生できる
その宿澤も、もういない。

われわれの老後

ここ数日、何人かの若者がきて話をしていった。
若者と言っても、30代中頃から後半にかけてだが…

ある若者は「生活の安定を失いたくない」と言い
ある若者は「ボランティをして相手に喜ばれ、役立つ喜びに目覚めた」という
ある若者は「就活して跳ね飛ばされ、仕方なく派遣だが、そろそろ将来を…」と言う
ある若者は「ようやく職を得たが、故郷に戻りたい」と言う

以前は、中卒なら中卒なりの、職業高校ならその専門分野、大学でればホワイトカラーと決まっていてそれに準じた職業があった。
そして大勢の若者が都会を目指した。
それが崩れてきた
いや崩れて、良くなったのか?悪くなったのか?

経済が上向き、だれもが高校へ入れるようになり、大学も増え、
高専などという選択肢もあり、専門学校などが増えて学校教育が多様化していった。
教育機関が多様化するということは、就職する人材を求める企業がポジションが専門化して多様化しているからだろう

いつの頃だろうか…
銀行で「理科系の人材を求めている、進歩する技術に対する融資対応のため」と言う話をきいた
小生が就職するころ「リクルート」という会社ができた。人材募集の会社だという。そんな会社も社員募集をしていた。
企業へ就職すると「そこでしか生きられない。そのルールで対応する」というようなことが刷り込まれる
だからいい会社へ就社して、一生を安定してすごすみたいなことが金科玉条のように言われてきた
その仕事の内容はなんでも構わない。”営業だろうが…” ”技術だろうが”…” 事務だろうが…”

だから働くということは会社に入ることだった
その意識が変わってきたのがこの頃だろうか?
圧倒的に、まだまだ企業志向や、公務員志向が多いが、
なんだか小生の周りは、本来の働き方を求める若者が増えてきたような気がする。

たぶんそれは、不安定な要素が多いからではなかろうか
国内政治・世界経済・グローバルな家電生産メーカーや大規模自然災害などの不安定がどんどん流れてくる
そんな中で安定した人生で、年金の老後などという虚像が消えたのかもしれない
われわれは若者に学ぶべき老後なのかも知れない。

この子が成人する頃には、どんな社会になっているだろうか?

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朝から血圧

相当血圧が上がっていると思って測ってみた
一昨日病院で測ったら上が96で下が58だった

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やはりそろそろ血管がぶちきれそうだ
ガンガン頭も痛い

朝から、考えがまとまらない

昨日のせいである

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彼は言う

「検査依頼書を受け取った段階で検査依頼の契約は成立する」と言う
「検査金額を受け取らなくても…」
「検査依頼をとりやめて、依頼書を返却したとしても…」
「誤解を招いた表現をした責任がある」と言う

些細な事である
たかが3万である(しかし3万である)
そんなに払うことはないと、彼は言う
いや検査書を渡して検査金額を受けっとっても…ともいう
しかし、腑に落ちない

調停と言うのはこういうことなのだろう
双方の言い分を聞いて、どちらもミスを指摘して落とし所をさがす
争いごとは一方が完全に悪いとことはないと言う認識なのだろう
そのとおりではあるが、その度合が違う

う〜ん!考えれば考える程、頭に血が上る

すこし冷静に考えよう

いっぱい呑んで!

昭和が消えた

マルカンデパートが営業を止めたというニュースが大々的に流れていた。
岩手は花巻の老舗デパートであるという
大食堂で箸で食べる、高くて大きなソフトクリームが有名だという
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魔子様がテレビを見ながら…
「ソフトクリームが原価割れしてるのじゃないの?」と茶々を入れた
ソフトクリームは原材料が「ラクトアイス」から「アイスミルク」「アイスクリーム」と乳脂肪率から三種類あり
当店のソフトクリムは最高級の「アイスクリーム」を使用している。
それに自然放牧の山地酪農の牛乳をまぜているので原価率は相当に高い
たぶん当店の経営を圧迫しているのはこのせいだろう(?)

マルカンデパートのソフトは「山が高い」「箸で食べる」「量が多くて食べきれない」ということだけが流布されているが
「美味しい」という言葉は聞いたことがない。
ソフトクリームは、持ち帰りが出来ないから、
それだけでも希少価値(?)だったので、単なる客集めの食材でしかない。

そのマルカンデパートが「43年営業して閉店した」と言う
そして「昭和がまた一つ消えた」と…
ふと「昭和」と言うのは何時の時代を言うのだろうと思った

43年前と言うと…1973年
小生が22〜3歳だからまだ学生の頃だ。岩手にいない頃だ
どうりで記憶に遠いわけである

テレビでは40代後半とおもわれる男が泣いていた
そうかマルカンデパートが開業当時5〜6歳だから、記憶はマルカンとともに有ったのか?
しかし、だからといって「昭和」と言うイメージがマルカンデパートと、一致しないのは小生だけだろうか?

 

朝起きてトイレに行き、パソコンのスイッチを入れてグーグルのニュースを見る。
いつものルーティングワークである。
それに飛び込んできたのは「ダークダックの佐々木行が85歳で亡くなった」と言う
え!85歳!

調べるとダークダックスの4人のうち三人が亡くなっている
まだ存命なのは「ぞうさん」だけであるという

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子供の頃、掘り炬燵に足を突っ込んで、ラジオから流れる澄んだメロディーを聞いた
そのときに軽快な…、そして物悲しげなロシア民謡というのを初めて聴いた。
テレビを初めて購入して、白黒の画面からダークスーツに蝶ネクタイと言うイメージが、かっこよかった
1951年グループ結成と言う。まさに戦後の昭和を駆け抜けたグルーブだった

昭和というのは「戦前の昭和」「戦後の高度成長期の昭和」と2つ有るのと思う
その後の高度成長期後の昭和(昭和50〜60年ごろ)は、「狂乱の平成前夜」という感じだ。

あのつつましやかな生活から、一気に駆け抜けた「高度成長期の昭和」をきっちり反省しないと、
平成の時代を生きる若者たちに申し訳ないと感じる。
また一つ消えた昭和である。

やんごとなき本番

本番の当日が、やってきた
朝、パトカーが無断で侵入してきた

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道路には、早朝からウロウロとしている警官が…

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それ以上に、警官をのせたバスが何台も、岩泉方面に…
それを見送っていたと思ったら、上からヘリコプターが…
そして道端の警官は、集まってきた大衆に
「上の交差点付近で集まってください。」と声をかけて
小生は「規制ですか?」と聞くと「お願いです」と言う

多くの人は、ぞろぞろと上の交差点を目指してあるく
だれが、ココを通っていくと広報しているのだろうか…
町内会か?老人会か?
”人を集めて警備する”などというのはマッチポンプではないのか?
消防車を呼べ!
しかし、年寄りばかり集まってくる
何台も何台も白バイが通りパトカーが通って行く
気がついたら、その白バイのうしろに黒い車がいた

魔子様と麻子様は、客がいない店の中から眺めていると
「あっ!見えた!」
「こっちむいて笑った」
小生は、下を向きカメラのモードを切り替えていた。
目を上げた瞬間、車は通りすぎていた。

上の交差点付近で集まった人たちは、「人が多すぎて、みることはかなわなかった」と言う

「テレビでみるより痩せていた」
「やっぱり苦労しているのね」と魔子様

入道も痩せいるのだ!

おとき

お寺の永代経法要だという。

終わった後
「おとき(お斎)」に呼ばれた

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お寺さんも大変である
家が崩壊して先祖代々の墓を守る人がいなくなった
と思っていたら「月刊住職」には、これから20年間は成長産業だと書いてあった
と副住職がわめいていた。

 

そうだ、団塊の世代がどんどん亡くなっていく時代である
時代は団塊の世代とともに有った

団塊の世代が生まれる頃は戦後の闇市の時代
食糧不足の時代だった。
食べるものは、なんでも売れた、闇市がはやった。
住むのはバラックでも良かった
着るものはボロでも隠せればよかった
食べ物は我慢ではどうにもならない
そういえば闇物資を食べないで死んだ法令遵守の謹厳実直の裁判官の話があった
食べ物が、なんでも売れた時代だった。
農業も活気があった。収量日本一の競争が有った。国から表彰された。

そし団塊の世代が小学校に上がる頃、学校が不足し、文房具や子供たちの下着や衣類が不足した
そこで土建業や、繊維産業が隆盛になった。
そしてメーカーを支える重工業が盛んになり、それから創りだされる流通業が栄えた。
それが昭和40年だだろう
団塊の世代が中学生や社会人になるとき、オリンピックもあった、万国博覧会もあった。
それそれに経済を成長させる出来事を国は作ってきた。
そして団塊の世代が成長するにしたがって、その不足するものを作り出す産業が成長産業になった

そして今、団塊の世代は定年になった。
シルバー産業は?と言われ介護の福祉産業がいわれ、
葬式産業が言われている。

時代は移る、時代は変わる。
坊主になるのが嫌だったお寺は、後継者がいくらでもいる成長産業になった。
食糧が満ち足りた産業としての農業は、後継者不足になり、
その先を見とうした若者は、暮らしとしての就農に足を踏み入れる

団塊の世代のニーズが無くなって、時代は混沌としてきた。
これから大きなニーズではなく、小さなニーズか…

本が届きました。

”本を買った”と言うか…。取り寄せた
以前は、本を買うのは本屋
取り寄せるのは、新聞の書評とかで見て、「読んでみたい」と思ったものは、本屋で取り寄せていた。

いつの頃からだろうか
Amazonで取り寄せるようになったのは…

以前に「アマゾネス」というアマゾン川の周辺に住む女賊の話という映画の題名があった
(と思っているが見ていないから憶測で言うのだ。内容は女の裸族が男を襲う話しか?と思う)
いやそれ以前には、南米で最長の最大流域の川の名前だとは知っていた

だから、Amazonがパソコンの(インターネットの…)本屋だと認識したのは、ここ数年前である。
便利である。
あっという間に読みたい本が着く
躊躇するヒマもない。間違ってクリックすると取り消すのが大変である。
送料が無料だという
中古本まで売っている
こんな本を読みたくありませんか?と聞いてくる
それがズバリとハマっている。

おかげで本が増えた。
しかし、今は亡き”こうさん”と話をしたことがある。
「便利だけど失うものは、街の文化だ」と…
”こうさん”も奥さんに怒られながら、Amazonから取り寄せていた。
ちいさな本屋が消え、地元の本屋も売れる本を中心に品揃えしている
「売れないが読ませたい本」と言う主張が無くなった。

 

そんななか地元の書店で取り寄せてみた
この本は、地元の書店で取り寄せるべき本であると思った。
店員は「届いた本の連絡はいかがしますか?」
「留守電になっていたら。届いたことを連絡してよろしいですか?」
と丁寧に聞いてきた。
翌日には着かなかったが、
数日後の夜、見慣れない着信番号と留守電が入っていた。
「取りよせの本が届きました」

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手に取るのが楽しみである。
いつも思うが、地元の文化に関わる本は、丁寧に読みたいと思う。

やんごとなき方2

北山交番から8年ぶりだと巡査が訪ねてきた

それから二三日して、「本署の…」と言いながらスマートフォンを見せて話しかけてきた
スマートフォンの画面を見ると何やら写真が貼ってあった。
そしてその下には名前と警察というような文字が見えた
電子版の警察手帳である。
驚いた。そんなところまでデジタル化されているのか?
デジカメに撮ろうしたら、さえぎられた。
しかし、これは簡単に偽物が作成されるだろう
小生も作ってみたいが、スマートフォンを持たない
というか必要がない
大体は携帯は、かけるものであって、情報を受け取るものという使い方はしたことがない
だから携帯もほとんど出たことがない(何のために持っているのか?と問われたら、電話をするため!)

 

スマートフォンの警察手帳の主は
見物するなら「一箇所に集まって手をふれ」ということらしい
やはり「やんごとなき方は、年寄り夫婦ですか…?」と聞くと「若夫婦のほうだ」と言う
「夫婦でお見えですが?」と聞くと
「奥様は今回は大丈夫だろう」という噂だと言ってニコッと笑った。

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それから二三日して、机の上で仕事をしていると、
ノーネクタイの中年の目つきは鋭くないのだが、なんとなく胡散臭いおとこがニコッと笑ってそばに立った。
こんどは昔懐かしいテレビでよく出る警察手帳をだして「警察ですが…」と仁義を切ってきた。
しかし、チラッとしかみせない
よく見ようと腰をかがめると、さっと引き上げてポケットに入れた。
それで確認できないだろうと再掲示を求めようと思ったが刑事だったので涙をのんだ(?)
「町内会で集まって歓迎の意を表すなら、場所はどこだ?ここは駐車場もあるし、客もいないから適地ではないか?」
と聞いてきた

「客がいない」のは余計なお世話だ!

「集まればスピードを落として手を降るようになっているが…」
「何時頃の通過か?」
かれはおおきなノートを見ると
「県営球場は、〇〇時〇〇分〇〇秒だから、それに5分ぐらい足して…」
そのノートには、道路沿いの主な建物の通過時刻が秒単位で刻まれていた。
こんなスケジュールだと
「ちょっと停まって!おしっこ!」などということは出来ない
たぶん、どこに民衆の塊があるかも詳細に記入されるのだろう
「ウチは、店の中から土下座をしてみますから…」

うちでボランティアをしているそば打ちの梅さんは言う
「小学校の頃、やんごとなき方が来るというので道端で旗を持って待っていた。
車の行列がやって来たが、
先生が”旗を振って!頭を下げて!”というので誰も見た人がいなかった
自分だけ頭を上げたら、”ウメ!頭を下げろ!”と怒鳴られた。

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そんなことがあるから店に中で、ビールでも飲みながら眺めることにしよう
ひょっとしたら不敬罪で捕まるのか?

ビールを飲みながら手を振る場所がワンコインで売れないか?

しかし、この件で何人警察は動いているのだろう
だれか目をつけられているのがいるのか…

月別アーカイブ : 2016年6月

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