水芭蕉は初夏の花だと思っていた
「夏の思い出」という歌に、歌われているからである

「夏の思い出」の作詞家は、江間章子である
盛岡の隣の八幡平市(旧西根町)は江間章子の町ということで大々的に宣伝している

ふと思い立って調べたら…
(こういうことが多いので朝の貴重な時間を浪費する)
江間章子は、新潟県生まれなのだ。
父が死んで、母の実家の西根町に子供の頃移り住んだと言う
西根町に、ちょっとだけ関わりがあるから、名誉町民にされてしまった

某女子サッカー選手は、母の実家が岩手にあるだけで、地元紙は「岩手出身」と騒いでいる
どこか違うのではないか…
岩手に縁がある選手だと言ってくれれば、それだけで親近感が増すのであるが
「岩手出身」と言うとそれは無いだろうと選手自身(?)も、本当に育った土地の人々も思う

魔子様は東京出身である。
言葉遣いが違うから、お客から「やはり東京出身なのね」と垢ぬけて見られる。
ところが、そういう見方をするのは、60代以上の人々である
今の60歳以上は、昭和20年代生まれである。
多くの人は、中学を出て金の卵として、職業高校を出て若年技術者として、東京へ稼ぎに行った時代である
そして東京ではズーズー弁で、仙台も岩手も一緒くたにされ「東北出身」とけなされた
当時、岩手は「日本のチベット」と言われていた。

引用)
岩手県は、釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。
なおこの呼称は、1955年(昭和30年)1月22日封切のニュース映画『カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸』において用いられたことから定着したという。

調べてみたら、言われていたのではなく、自称だと書いてある

しかし、その日本のチベットから出て行った若者も、数多く東京に定住(定着?)した
そしてその子どもたちは、新たな「岩手に田舎を持つ東京人」として生まれてきている
また出て行った若者も、子どもを連れて実家に戻ったものも多い
その子どもたちは「岩手の東京出身」というものが最近多く見られる
小生の子どもたちも、東京で生まれ母の実家が東京だから「岩手の東京出身」なのだろう

所詮、昔は、農村・山村・漁村しかなかったのだ。
最初から、食料生産が出来ない都会は存在しない。
都会は田舎者の集まりでしか無い。

東京から岩手に戻る時、友人に言われた。
「岩手に戻ったら、気軽にウィーンフィルハーモニーが、聴けませんよ!」
「東京では、気軽にさんさ踊りがみられるかい!」
水仙も、まだ咲かないのに…
池を埋め立てた辺りに江間章子の水芭蕉が咲いた。

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