ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

得した

ランチは難しい。
いや、作るメニューではない

今日は雨だから「客は少ない」と読むか
今日は雨だから、遠くに出かけないから「客が入る」と読むか
人によってぜんぜん違う予想なのである。

これは場所によっても違う
ビジネス街なら、雨で出前を頼むとか
雨だから地下の食堂街で食べるとか…
晴れたら公園で弁当を広げるか…とか
少し腹を空かせるために遠出をしようか…とか
いろいろと食べる客は考える

 

待ち受ける店のほうは、それを読みながらも
準備万端用意をするが、それが肩透かしにあったり、大慌てになったり
日々毎日、てんやわんやである。

そんなこびる食堂も、
「今日はこんなに、いい天気なのに…」
客が、朝定食が三組
ランチが、1時までに二組しかこない
いつもは12時半頃にランチは終わってしまうのだが…
”今日はこれまでか…”と、アキラメていたら

1時過ぎた昼過ぎに、ポツリと一人の客が…
それから、あっという間にテーブルが埋まった。

「いったい、どないなっとんじゃ!」

と店主は汗を流しながら得意の皿洗い

ようやく最後の客だ!
「生卵定食!」の声

割った江刺のうたがき優命園の自然卵は

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これまた予想外の二黄卵であった。
卵を割って20年、初めての二黄卵である。

そういえば「大規模養鶏場対応の品質改良のため鶏を入れ替えた」と聞いたような気がする
「大規模養鶏場対応はいらない」とも…

(卵の双子(二黄卵)は若い鶏が産む。大型養鶏場は検査でハジクので出回ることは少ない
昔は、よく有った。二黄卵は楽しみだった、なにか得したような気分になる)

 

学習したの?

定休日の朝、認知症の母をディーサービスに送り出して、店に出かける
まずは水やりである。

定休日だろうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、ハウスの中の苗は水をやらないといけない。
地面に植えてあるものなら、根を伸ばして水分をつかむのだが…
売り場のハウスでは、そうもいかない。
水やりをやって失敗する人が多い。
それは毎日毎日、「大きくなれ!おおきくなれ!」と大量に水をやるからである
いつも水分がそばにあると、根は安心して伸びない。つまり養分を吸う根圏が狭くなって、栄養が行き渡らないのである。
ズボラでやらないのも問題だが、過保護で期待はずれでは、親にとっては打撃が大きい。

植物を育てるのは、飴と鞭が必要な子供の教育と一緒である。

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また葉が広がっているベコニアや、ペチュニアなどは
いくら水をやっても葉に覆われて、土まで届かない
植物に水をやるのではなく、土に水分をやるのである。
基本を教えないで、応用ばかり教える物理や数学と一緒である(?)

そこで底面潅水である。
大体が苗が植えてあるポットの底には穴が開いている。
水をたっぷりとやると、不必要な分は抜ける穴である
ところが抜けるだけでなく、土が乾燥すると毛細管現象で水を吸い上げるのである。
これをやっておけば楽ちん。後は水を足すだけでいい。
ところが、これは水分過剰で根腐れを起こす。
やはり水の管理が大切であり、気が抜けない。
人間の食教育と一緒だ(!)

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こう考えていくと植物を育てる農業というのは、教育と一緒である

まして三歳までの可愛さで子どもは、親へのすべての責任を果たすという。
苗も楽しさは最初だけで、後はただただ背だけ大きく徒長したり、体重が増えて茎だけ太くなったり、ろくなことを考えない大人のように実がならなかったり、結局、次の世代に期待をかけるだけである。
人間は、何を学習しているのか?

 

 

 

予約です

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都庁した苗を整理している

その〜あの〜出張費が異常に高い都庁ではない

だいたいが一泊20万とかいうホテルに、庶民の税金で宿泊する意味がわからん
自分の金だったら、そんなところへ泊まらんだろう

そういえばむかし、と言っても40年近く前だろうか…
このまえ取り壊した、出来立ての赤プリに泊まった。
一泊25000円だった。
フロントで記帳するときは手が震えた
廊下はふかふかで部屋は広かった。
遅く着いて早くでたので、ただ泊まっただけだった(泣)
今なら20万ぐらいの部屋だろう
なんでそんなところに泊まったのか?意味がわからん

 

それで都庁だが…
失礼「徒長」である。
ハウスには遮蔽のシートが掛けてあるので日光が届かない
それで苗は、日光を求めてただただ背伸びするのである
高いホテルに泊まって権威をひけらかす能なし知事みたいなものだ。

首を長くさせる日光というのは偉い。
日光には東照宮と言って権現様が祀られている
権現様は、幸村の大敵、家康である、
なんだか話がそれた

そんな苗の世話を無心にしていると、急に
「苗はあるのか?」と大きな声がした。
驚いた、びっくりした。驚愕した。
心臓が止まるかと思った。
心臓が止まったら保険がいくら降りるか、瞬時に計算した。
ゼロだった。掛けていなかった。

ハウスの入口にサングラスを掛けた初老のというか
定年になったばかりのというか
野球帽を被った背の高い男がいた

「驚いた!
本日は定休日で…野菜苗は予約です。
4月の後半に苗を並べると、定植適期には、貴方みたいに老化苗を植えることになります。
ロスばかり多いので、早出し競争はしません。もしよかったらDIYの店が早く並べておりますから、そちらでお求めください。」
「背の高いサングラスの男は「それはそうだな…」と言って黙って立ち去った

そしてその後すぐまた定年になったばかりのような背の高い白髪の男がやってきた。
「苗が並んでいるかと思って…」
そして説明すると
「そうだな5月の中旬か…」と言って消えた。

「当店は、早く植えて世話をしたいと言う消費者ニーズではなく、
健康な苗を育てて収穫するという本当の消費者ニーズに対応しております
今年の野菜苗は、予約です」

 

 

春の味

今の季節
弁当のご飯は、羽釜炊きのひとめぼれに、”ホロホロ”である

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”ホロホロ”とはなんだ?と言う若い人が多い。
しかし、古い人でも何だ?という人が少なくない。

「うこぎ」と言う隣との境目に植える五枚の葉をつける庭木が有る。
なんでも棘がある低木だから侵入防止の意味もあるらしい。
その若葉を「うこぎ飯」と言ってご飯に混ぜて食べる風習が各地にある。
しかし、盛岡近辺だろうか…
五加を湯がいて、味噌大根のみじん切り混ぜ、胡桃を散らすふりかけを
”ほろほろ”と呼ぶ

うこぎの若葉の季節の食べ物である。
ウコギの苦味と味噌大根の塩味と食感、胡桃の甘みが加わって春の味になる。
そんな弁当を作った。

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満開

あちこちの桜が満開になった
盛岡の南では散り始めだというところもある
しかし、盛岡北部は、まだ花びらがしっかりと風に耐えて枝にまとわりついている

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岩手山のテッペンの鷲が羽を広げたような雪が溶けた形が
岩手山の別名”岩鷲山”のいわれだという
その鷲の形のしっぽのところにあるから「鷲の尾」という酒造メーカーがある
陸羽一三二号の酒を作ってもらっているところだ。

ワシの一本桜も満開である
そばの車道に車が止めてあるところを見ると
車を降りて写真を撮っているのだろう

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店の桜も満開

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ふと気づいた。
店の桜が咲く頃、ワシの一本桜も咲くのだ
ひょっとすると店の遅咲きの八重桜は、米内浄水場の枝垂れ桜と連動しているのか…

あと10日ほどであろうか…
八重桜が満開になるのは…

米内の枝垂れ桜がいつ咲くか…

懐かしい焼きおにぎり

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焼きおにぎりが、今のところ好調である。
ある人から
「三陸復興の工事業者が前を通るのだからおにぎりを販売したら…」
という話があった。

以前からおにぎりを販売している。
それは、前日の余ったご飯を握って翌朝、味噌をつけて炙ったものである。
それはそれなりに売れたが…
続かない。
朝の忙しい時間帯に、味噌を塗って炙るというのは時間が取れない
そういうわけで止めてしまったらしい

しかし、こびる食堂を利用できない(通りすがりの人)にはおにぎりは必需品である
また小腹を空いた時に、甘いお菓子はいらないが…
と言って、口寂しさを和ませるしょっぱいお菓子も今ひとつ。
そこで小腹塞ぎの小さめのおにぎりを…

そんな想いで作ったのが
玄米味噌焼きおにぎりであり、玄米醬油焼きおにぎりである。
焼きおにぎり三兄弟で玄米の塩焼きおにぎりも、検討はしているが…
何か塗ったというテリが良いのだろう。塩焼きではテリが出ない

玄米に使用するのは、武田哲君の合鴨除草の無農薬米「きらほ」である
その「きらほ」を圧力釜でモチモチに仕上げ、握る
それに秘伝豆の青大豆丸大豆オリジナル醤油「醤次郎」を塗りたくり
オーブンでカリッと焼き上げた「無農薬玄米醤油焼きおにぎり」
秘伝豆のオリジナル豆味噌「豆蔵」をみりんで伸ばして
オーブンで味噌を炙った「無農薬玄米味噌焼きおにぎり」

昔、母にせびって作ってもらった焼きおにぎり
懐かしい味の二種類。好評発売中

コンビニで様々なおにぎりが販売されている
コンビニに出来ないオニギリを模索中
アイデア募集中

凡庸

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チュウリップが急に咲いた

突然、現れた!
忽然と!

そうなのである

突然ではない。きちんと前段階が有って、ある日、緑の服を脱いで赤い蕾が開いたのである。
その蕾を見てはいるが、それが花に移り変わる瞬間が、見えていないのである

 

人間も一緒である。
ある日突然、人が変わったように見える
変わる前の内面の変化に、気づかないだけである。

単に自身が凡庸なだけである(泣)

桜考

桜が咲いた
店の桜が咲いた

ここは盛岡市内よりも標高がちょっと高い
たぶんあの急坂だから…
100メーターは高いのではないか?
”ちょっと大げさかな?”
話半分にしても50メーターは高いだろう
その分、市内よりも気温が2〜3度低い。
だから盛岡が開花と言っても。それから4〜5日ずれる
市内の早い桜が散り始めるころ。七分ざきかな?というところだ

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満開は、今週の土日だろうか…
この桜は「太陽の桜」と名付けた
「太輔と陽子」の結婚記念植樹である
そのそばに八重桜がある。
これは、その祝賀会に参列者が植えた桜である。
”この八重桜の花を塩漬けにして…”と
と魔子様が、いつも言うが、収穫時期は、いつも連休の多忙の時である
取らなければ…採らなけれは…
と思っている間に散ってしまう。
今年こそ…
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しかし、満開は寂しい
もう後は、散るだけである。
今の頃(三分咲きから五分咲き頃)が、一番うれしい

「今年も桜を見ることが出来た!」と…
いつの頃からだろう

桜を意識するようになったのは…
ぱっと咲いて!ぱっと散る!
潔いと言うか、儚いというか…
長い歴史の中で、自分の人生を思わせるように感じるのは…

 

家の前の自転車道路の枝垂れ桜は、もう満開である。
このシダレ桜は、大きな立派な木だった
数年前のある日、魔子様が「テレビの電波が届かない」と言って役所に文句を言って切らせた
怒るということをしない魔子さが、怒って驚いたものだ。
その桜も復活し始めた。
店の奥の米内浄水場のシダレ桜は、連休の初め頃だろうか
店に飛び込んでくる客が
「米内の浄水場はどこ?」聞いてくる
いつもはゴールディンウィーク真っ最中が見頃だったのだが…
これも温暖化の影響か…

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物資

「ものが隅々まで届かない」とラジオ・テレビが流している
必要な物が必要なところへ届けるというのは、いくら訓練していてもその時の状況に寄る
まして熊本地震のような、ほとんど予想してない場所の場合は、難しいだろう

東日本大震災の時もあった。
うまくいった例として「遠野」が三陸への物資の供給基地やボランティアの基地として活躍した例をあげられる
しかし、多くは熊本と似たような状況だっただろう

東日本大震災から数年たって岩手の沿岸に行き「現場の所長」という行政の担当者に話を聞く機会があった。
大手の宅配業者から「ものが届かないので配達する仕事が無い。避難物資を配布するお手伝いしたい」という申出でが有ったという
「それを断った。」と偉そうに言う所長がいた
あきれた
当時、盛岡の避難物資の集積場には大量に物が溢れ、人手もあまっていたが、ものが流れない
と言う状況がマスコミからいつも伝えられていた。
当然だろう
一年に一度ではなく数十年に一度のことである
いくら訓練しても、状況と違う設定が次から次へとおこる
震災になれた人などいない、まして年に一度の訓練で熟練するわけがない

物流になれた人を責任者に据えるべきである
行政ではなく、民間の物流業者を指名するべきである
それが行政の驕りで、多くの善意や好意が無にされてはたまらん
どんな時でも、或るところから無いところへものが流れることが大事である

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そしてコンビニである。
コンビニに一日三回配送していると言う
その道路が渋滞して一回しか配達できないと言う
経営的に効率的なコンビニは、万が一の時には非効率のコンビニになった
以前の零細小売店は、在庫を抱えて商売していた
それは何か有った時に、地域の緊急物資に変わった。
そんな零細小売店を潰して、コンビニが増える
当然の帰結だろうが

日常を考えるか…
いざという時を考えるか…

両方考えないと…

 

まんがいち

すごい強風だった。

グオ〜グォ〜ギュォ〜という音が
屋根を叩く雨とともに
日曜日の午後、店中に鳴り響いた。

久しぶりに自然の脅威を聞いた日だった。
自然は素直に怖い。
自然とともに有るというが、この恐怖感には、共にあるというよりも
ただ恐れ、崇め、ひたすらに祈ると言うことだけだろう

三十年前、目の前で九十坪のビニールハウスが根こそぎ横倒しになったのを見た。
ハウスの中には収穫を待つ菠薐草が緑の絨毯を作っていた
収穫前の雨よけ菠薐草のハウスだった。
何をしたらいいかわからず、ただただボーッと風に持ち上げられ、たたきつけられるのを唖然として見ていただけである。
生まれてからその時まで、大きな自然災害というのを見たことがなかった。
目の前で自然の猛威と向き合ったのは、その時が初めてだろう
その時の風の強さが風速三十メートルと後から聞いた。
だから今、テレビで風速30メートルとか35メートルとか言うとあのすごいやつか?と実感する。

 

東日本大震災の時は、衝撃的な揺れは感じたが「津波」はテレビである。
入院していた病院のテレビは直後に自家用電源に切り替わりリアルに状況がわかった。
そのテレビの映像は、「すごい」としか言いようが無い
ただただ、自分のできることは何か?と考えたが…
自分で実感することは無かった。

 

テレビで視ることと、実際に見ることは違う
科学技術の粋を集めたテレビや映像は、他人事の劇場型体験である
そこには、「自分がそんな目にあったら?」と言う創造力が必要とされる

熊本大地震は、震源地の延長上に川内原発と伊方原発がある
地震に影響なく「順調に動いている」と報道しているが

「万が一」という創造力が働かないのであろうか…
この国は…
権力者にとっては福島原発事故も、権力のための劇場型事故だったのだろう

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