ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ねくら

日本国内の全照明をLEDに帰ると原発十三基が不要になる
と言うので、店の照明をLEDに換えた
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換えて点灯した瞬間、根暗の店主がいても、店内が一挙に明るくなった。

 

大体が店主は、顔も悪いが評判はもっと悪い

表情が暗い
黙っていて、何を考えているかわからない
一日座って、むっつりしている
ひょっとして、ムッリスケべではないか?
ストーブのそばで、よだれを垂らして居眠りしている
うごいていると厨房の奥で”皿洗い”まがいのことをしている。
本当に皿を洗っているのか?
茶碗を割っているようにしか見えない!

 

そんな評判を一掃する明るさだ。
安倍政権の”ネクラのミクス”も一掃するだろう
あの顔を見ると世の中が暗くなる

 

明るいということはいいことだ
昔あったCMを思い出す

♫明るいナショナル!♫明るいナショナル!
みんな元気で〜明るいナショ〜ナル🎶〜

あれはどこのCMだったのだろう?
○芝は原発関連の機器開発でウォール街から融資を受けらないからあやくなったとか
シャー○は、液晶技術が東南アジアに負けて台湾企業に吸収されたとか

さまざまな本当の噂が飛んでいる

昭和四十年代から五十年代。
飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びていた家電企業が、どんどん落ち目になっている
企業は平均寿命は三十年という。
よく持ったほうだ!

小生の友人も○芝に入社して定年退職をした
定年退職できたのは幸運というほかない
定年退職前にリストラにあったらどうすんだ
初孫を抱えて、年金を減らされ、まごまごするだけの人生ではないか?

 

なんだか、どうしてもネクラの話題になってしまう
こんな話題を朝から読んだからだろう

キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断定した。

知足

101歳の”むのたけじ”さんが朝日新聞に連載している
なんでも木瀬公二さんの聞き書きだという。

いぜん「人間の復興大学」の開講式に秋田から二人で来県され、終了後に当店で懇親会がわりの食事をされた。
その時は「もうすこしで100歳になります」と言っていたが、そんな歳には見えなかった。
とてもとても、小生はそんな歳まで生きられそうにないが、できたらあと35年先の世はどうなっているのか…
見たいものだ

しかし、世の中変わる様相を見せながら、この調子だろうと思う反面
生まれて一世紀もあれば大幅に変わる可能性があるのか…という期待もある

そんなことを思い出しながら朝日の連載を読んだ

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ココイチの業務用食材の横流しから、安いに飛びつく消費者を責め、本来の人間の生活のあり方を考えるという文面だが…

そこで”消費者と生産者の間に商いする人が入ったから間違いが起こる”とあった。
要するに、商人が予想した仕入れ量がさばけなくて、ごまかして売ったり捨てたりする構造ができるようになった。と言う
そうだろうか…。

 

どの時代のことを言っているのだろう?
江戸時代は、腐りやすい、しおれやすい葉物は、武家屋敷の裏で足軽や下男などが栽培していた。
若干日持ちのする大根類(亀戸大根や練馬大根)は、大八車やてんびん棒で江戸の街まで鮮度が届けられる範囲であった。
そして川越は、日持ちのする甘藷の産地として川を利用して江戸まで運ばれてきた。
戦国時代も含め江戸時代までは、食べ物が中心で街が形成されていた。
たべものが続かなければ、戦も勝てないし、何も生産しない武士の生活も成り立たないのである
その食べ物を誰が運んだか?
近くなら百姓だろうし、船や馬や大八車なら、やはり食糧を扱う業者だっただろう。
彼らは、信頼関係で成り立つ商売だったはずだ
そうでなければ、毎日せっかく運んだものが金に変わらないと言うことは、続かない。
金に変わらなくても、火鉢の灰(カリ肥料)の回収、し尿(窒素・リン酸肥料)の回収を行う必要があったので、
農作業に忙しい百姓が動けるのは近くの場合しかないはずである。
だから正確に仕入れる農家と販売先がわかっている商人がいたはずである。
そこには信頼関係があった。毎日の生業で、ごまかしや、ロスを生むほどの余裕は無かったのである。

江戸時代日本の人口は3000万だったという
現在1億2000万、食料自給率40%と考えると、5000万人が鎖国時代でも養えるが
江戸時代と比べ農業技術は数段進歩した数字である。
たぶん江戸時代は、3000万人がやっと食える時代ではなかったか?
だから節約して食べる、分け合って食べる。
山野草から茸まで、野山のさまざまなものを食べる技と智慧が出来ていた。
余り物を捨てる余裕など、なかったはずである。

それが明治の文明開化で欧米の産業革命が一気に入ってきた。
西洋野菜も白菜や玉葱ブロッコリーのように明治に導入されてきたのが数多く見られるが、
十分に行き渡るのはやはり昭和になってからだろうと言われる
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近場の流通は有ったかもしれないが、まだまだ遠隔地への化石エネルギーを利用した流通は無かったと思う
そして日清戦争や日露戦争のごとく食料を求めての領土拡張の戦争であり、
そのいさましい戦争も食糧や銃弾を確保しながら前進するという兵站という考え方がなくてはならなかった。

その明治をすぎて大正昭和と、まだまだ食料自給は程遠い
統計的には昭和36年頃からの統計しかないが…その頃90%近くあった。
まだ満足できないが、その凸凹を行き渡らせる化石エネルギーを利用した貨車輸送やトラックの流通が発達してきた
昭和30年台40年代前半までは、まだまだ市街には八百屋があり。魚屋が有り、食糧雑貨屋があった。
そこへ農業基本法(昭和36年)卸売市場法(昭和46年)など生産と流通の基本的な法律が整備されたが
そこへ現れてきたのが昭和37年開店の「主婦の店ダイエーの千林店」である。
このアメリカ型量販店は、一気に国内の隅々まで広がった。
小生が高校時代を過ごした昭和40年代前半の人口3万人程度の北上にも
当時「北上スーバー」「タシマヤフード」の2店舗が競っていた。

そのころからであろう
消費者と生産者が離れ
満ち足りているところから、足りないところへ流れていた流通が
金という腐らないところへと、方向を変えて流れていった。
また生鮮食品は保存する智慧や、すぐ食べる努力をしないで捨てられるようになったのは…

長い自給が出来ない歴史があり、どこからも食糧が入ってこない島国であった日本は、
”我慢”と”もったいない”という精神の習慣が根付いた
それが「知足(足るを知る)」という言葉だろう

高度経済成長とバブル、そしてグローバル化と経済成長を求める中で
”足る”を忘れた人々が、このような構造を作ってきたのだろう
しかし自分も、その社会の一部かもしれないという反省と認識をもつべきだろう

タクアン考

たくあんと言うと懐かしい思い出しかない
というか…

たくあんでボリボリとご飯を食べた記憶しか無い
もちろん、最初からたくあんで酒を呑むような年齢には至っていない
もっともたくあんで酒を呑むというのは、落語の「長屋の花見」だろう
確か、タクワンは玉子焼きの代わりだったような気がする
しかし、今玉子焼きのほうが安いのではないか?
十個で二百円ぐらいの卵と、一本三百円のたくあんと、どちらが食べごたえが有るのだ

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そんなたくあんが、あちこちの産直で売られている
真っ黄色の甘いたくあんである。
そんなのは、沢庵ではなく、タクアンだろう(?)と思うのだが…

当店の熱烈なファンのお客様が、当店自家製造のたくあんを大量に買っていただく
「どうするのだ?」と聞いたら
「これが本物のたくあんだ!」と言って周囲に配るという。

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もうだいぶ前になる。
あまりにも色鮮やかなタクアンが農家から出てくる
そして、砂糖をまぶしたような甘いタクアンである

「こんなタクアンを、昔から作っていたの?」と聞くと
「うんにゃ。うめがら…」と言う

美味いという味覚が麻痺しているのではないか?
いやそれとも市販の漬物の真似をしているのではないか?
(市販の漬物は防腐剤代わりに砂糖を多用している)
いろいろと文献を探して調べた結果…

市販の漬物と似ているように作ると「売れる」と思っている。
「甘い」という感覚は、「美味い」と言う感覚である
(生まれた時に最初に感じる味が甘みだという。その甘さをうまいと感じるが、年齢を重ねるにしたがい赤ん坊のように戻る。
つまり甘いモノを欲しがるようになる。タクアンを作るおばあちゃんは、甘いのが美味いと思っているのである。)
そして市販の漬物の素である。真っ黄色の着色料と、ザラメを入れろというレシピ
以前の作り方と違って、「売れるもの」を造っているのである。
たぶん、行政の産直担当の指導者は。そういうふうに教えているのだろう

当店の熱烈のファンのお客様は、他の産直店で聞いたという
「なぜ塩だけの沢庵を作らないのですか?」
「”売れないから…”とポツリと言われた」と言う。
売れれば良いのである

そんな産直と一緒にされるのを嫌って「脱産直宣言」をした
10年前のことだ。
しかし、多くの人が当店を。まだまだ産直だと思っている
そして声が出る時から「産直が農家を駄目にする」と講演で何回も喋っているのだが…。
しかし、それも、なかなか浸透しない
「地産地消」や「身土不二」は、経済効果があるとなると、すぐ浸透する
ようするに売上が上がれば…儲かれば…すぐやるのである
儲かったほうが、勝ちか…?

産直とは、農家のじっちゃん、ばっちゃんの長年の技や文化を紹介するものである。
既存の流通を変えるものではない。
既存の流通が本来の役目、”モノのないところへ、モノを流す”ことが
”金のあるところへ、モノが流れる”ように変わってきたから、間違うのである。

いずれにせよ、当店の熱烈なるファンのお客様は塩だけで漬けた沢庵は
「噛みしめると甘みがにじみ出てくる」と言う
それを食べて日本人は、歴史を積み重ねてきたのだ

塩と糠と唐辛子だけのたくあん
子どもに伝えたい味である。

サヴァ?(元気?)

鯖缶である
昔、良く食べた。
鯛や、鮪、鮃は口に入らなかった。
缶詰にも入らなかっただろう!
缶詰というと鯖だった。

水煮・味噌煮は、やすかった。
家では、缶詰ではなかったが、鯖はよく食べた
缶詰は学生時代だったような…

近くの食料品店に行くと、まっすぐに缶詰売り場で鯖缶を買った。
いつにまにか、ポケットにカニ缶が入っていることも、時折有った。
あの婆ちゃん、気があったのだろうか?

魔子様は麸が嫌いだ。あの可愛らしい丸こい麸が嫌いとは合点がいかない。
その訳は、”いつも味噌汁は麸だった”と言う。”だから食べ飽きた!”と

そして鯖も、”いつも食卓に出ていた”と
まぁしかし最近は、水煮・味噌煮よく食べる
やはり安くて栄養価が有って、EPAやTPPやエイコハペンタゴンサエンサン(?)やドコサヘキサイッタノ(?)などが豊富に含まれているからだろう

そんな鯖缶に、こんな鯖缶がでてきた
まるでフランス語のようである
(仏語で元気?という意味らしい
学生時代、第二外国語はフランス語だった。
未だに英語も仏語も話せない(大泣))

”宮崎の小林市の真似か?注CM!”

3月1日プレスリリースがあると、仰々しいが…
所詮、鯖缶である。(この言葉は差別ではない、区別だ!)

3月1日意向、県内のあちこちに並ぶだろうが…
これを当店で並べるのか?悩む!

どこで買っても一緒のものは並べるのは…
しかし、来店のお客様の利便を考えると…

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寄生

 

薪小屋から、こぼれ落ちた薪に一枚の葉がついていた
その葉っぱが落ちたら…

昔読んだ小説に、壁につたった最後の一枚の葉っぱが落ちたら死ぬと想っていた患者が
なかなか落ちない葉っぱで生き延びた
その葉っぱは。心配した人が壁に書いていた絵だった
と言うような海外の小説(?)を読んだような気がする
と変なことを想像していたら、
やはりその端が黄化していつの間にか落ちた

そこへ若い芽が青々として伸びてきた

「これヤドカリでないの?」と言う人がいた
ヤドカリ?
そうだ!ヤドカリかぁ〜

と思っていたら、ふと気がついた

それを言うなら「宿り木だろ!」

いずれにせよ、寄生して育つ動植物である
寄生して…

ヤドカリも宿り木も、寄生するのだ
なんだか農家に寄生している店主に似ている

この宿り木、大きくできるだろうか…
寄生して養分吸って…
大きくしてみよう!枯れてしまったら、その時は…

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おひまならきてよね

行政からの呼び出しというのは、あまり気分がイイものではない
丁重な文面で書いてあるが、この文書を発行するに至った経緯は、なんだろう?
と考えてしまう。
たぶん公になっているから、さまざまな上司が判子を押して、きちんとした理由があるから呼び出したのだろう
そうでなければ、忙しい民間人を呼び出すわけはない
もし異議を訴えられても、きちんと反論できる理由があるのだろう
と、労働基準監督署の呼び出し文書を見て邪推(?)してしまう

そういえば一年前か…
一人辞めさせた。
競馬狂いの…男狂いの…平気で嘘をつく女だった。
陰で「辞めさせられたら労働基準監督署に訴えてやる」と言っていたようだ。
しかし、その件はハローワークでカタが付いたはずだが…
なにか、問題があって再燃したのだろうか…

そんなことを考えながら書類を整えてでかけた
賃金台帳や出勤簿などの帳簿がそろっていないことを、その時に気がついたが…
なにもなければ「ごめんなさい!今度こそは…」で済むだろう
と60もすぎれば、厚かましくもなる。

 

6階建ての最上階、屋上庭園の有る事務所から
でてきた調査官は若い明るい人だった
こういうのに騙されてはいけない
明るく言うが「言葉尻を捕まえて」ビシっと追求されるかもしれない

娘は社員だが、
「孫が熱だ!と保育園から呼び出しで…」
「保育園の行事だ」
「インフルエンザだ!1週間お休みだ」と言って、店は休んでばかりいる

孫の話をしながらニコニコ笑って「初孫ですか?可愛いですね〜」
と調査官は愛想笑いをする
こんなときはやばい。気をつけないと、揚げ足を取られる
と慎重に言葉をつなぐ
その休んだ日にちを、つける出勤簿も作っていない
まして残業代なんか、払っていない
”ここを突っ込まれたら…”と言っても、
他の場所で働いたら、そんな理由で休ましてはくれない
大体が甘いのだ。魔子様のしつけは…(怒)

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だいたいがウチは社員が一人だけなのだ、あとはパートというか、手伝いだ
梅さんは忙しい時だけ手伝いだから勘定にいれていない
まして”食堂の売上に対する歩合給だ!”と言ったら電卓で、はじき初めた。(はじく=そろばん言葉だ!)

「パートも社員だ」と言う
そして「歩合給も時間給だ」と言う

あちこちの仕事を掛け持ちしている人は、労働者として、それぞれから定期健康診断を受けないといけない
一件の定期健康診断書面を、たらい回しで、あちこちで見ても良いと言う
なるほど、雇用主は、労働者の健康を気をつけろ!過重労働で健康に不安を抱えないようにという仕組みか…

とは納得するが、労働者は良いが
経営者の健康は誰が考えるのだ
経営者こそ健康診断が必要なのだ(怒)

 

そして岩手県の最低賃金は695円だという
歩合給でも、1時間695円を下回らないように…と調査官は言う
「それは!おかしい」と即座に!

 

だいたいが、いつも結果的には695円以上になっている。
暇な時695円以下になっても平均すれば695円以上になる
だいたい時間給なんぞ、そんな縛りがあるから、時間目いっぱい効率よく働かせるという仕事になるのだ
そんな仕事が、いい仕事になるバズがない
一時間!目いっぱい効率良く働かせると言うのはベルトコンベアーの経済一辺倒の働かせ方だ
効率的に生産性をあげる経済効果的労働と、人との関り合いや達成感の働く喜びを感じるという労働と、どちらの仕事が人間にとって大切なのだ

と心で語った(泣)

結局公務員というのは、仕事の上では法律に則ったことしかしゃべることは出来ない
本音が言えないのである。可哀想な職業である。

 

梅さんは、自分の仕事の合間に抜け出して当店を手伝ってくれる
そして厨房で、大声で魔子様と世間話をしてくれる
もうすぐ70になるという梅さんに、時間給的労働を求めていない
”いつまでも元気で小遣いを稼いで欲しい”という思いだけである
だからいつも言う
「許す限り、暇ならきてね。」
いつ来ても、いつ帰っても良い。
「自分を必要としている、自分を待っている場所がある。」と言うことが必要なのだ。

まだ使える

 

プリンターを導入した
というか…

以前、使用していたプリンターが調子が悪いのである
A3も印刷できるインクジェットのキャノン製である
このプリンターが調子が悪いというのは、一番気持ちが悪い
なんといっても、弁当のお品書きが、直前に印刷できなくなるからである

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「べつに事前に印刷しておけば…」という人が多くいる
ところが魔子様は、直前に変更するのが当たり前なのである
「ここスペースが空いたからこの炒めものを入れたから…」
「ここ赤い色がほしいから、ケッチャップ炒めを足したから…」
「やはり、美味しくないから、この生春巻きは止めた」
「ご飯は、和布のふりかけから、短角の時雨煮に変えた(?)」
と朝作ったお品書きの、無茶苦茶の変更が、いつもある。
そして時折「顔と根性が悪いから、亭主を変えたよ!」

だから出来上がってから確認して作らないと嘘を書いたことになってしまうのである

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調子が悪いプリンターと言うのは、プリントが途中で止まってしまうのである
うんとも、すんとも言わない。
襟首を掴んでゆすっても、黙っている。
焦って、叩いても蹴飛ばしても、うんともすんとも言わない
しかたがないので、先に印刷したものをコピーして間に合わせたが…
よく考えたら用紙が違うものでコピーしてしまった。小チョンボである。
あとから電源をオン・オフしたら動いた(泣)

そんなこともあって「寿命かぁ〜」と5年も使ったプリンターを「まだ使える」と自宅に引き取ることにした
そして次に何を使うか?

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小生のパソコンの先生に聞いたら「インクジェットは滲むから、レーザープリンターがいい」と言う
そうなのだ!弁当にかぶせると、温かい熱でお品書きが滲むのだ。
と言ってレーザープリンターなど高い奴は買えない

と思ったら、なんと1万円台で売っているという
今まで使用していたA3対応のインクジェットが確か3万円台だったのに…
しかし、インク(カートリッジ?)が高いだろうと言ったら
純正品でなければ、4色揃って3千円だという
え?今までインクジェットのインクは純正で色が揃っていれば8000円ぐらいしていたのに…

どうなっているのだ?

画面が動くタブレット(?)は持っていない。ずっと携帯はauだ。
通信会社を変えないので、安くなっていると思ったら、

そんなのは馬鹿だ!
どんどん変えて安くするのが当たり前だ。

画面を指でこすっても動かない。
ガラケーと言うらしい。なぜガラケーなのか?
指でこすると画面が動く奴が欲しいと思っても、電話するしか使いみちがない(電話を受けるだけだ)
画面が動かなくても、なにも不自由を感じない。
なぜか周りは指で画面を動かしている人がいっぱいいるが、何をしているのだろう

徐々に、じょじょに取り残されていくような気がするが…
取り残されて、なにか問題があるのか?
しかし、このレーザープリンターも5年前から出ているという
そろそろお終いのような気がするが…
でも、まだ使える

わしも65歳だが、まだ使える!
使えないのは、誰だ!

シンゾーお前だ!
もういい!交替だ!

 

奇遇

2月14日はバレンタインデーである。
いつ頃から、流行ったのだろか?

お菓子屋の戦略だ!と言う話も聞いたことがあるが…
昼休みに、なんでも持ってくる保険屋のおばちゃんも持ってきたことはなかった。
新入社員当時、というか女性社員に偉大な関心を持っていた若い自分のときは、そんなものは無かった。
だからホワイトデーの心配もする必要も無かった。

結婚してから、もらうチョコにいちいち
「本気か?」
「本気にしてもいいか?」と顔をじっと眺めると、困惑した眼をしていた
冗談に決まっている
そんなからかいを、いつもしていた。

一度「チョコレートが折れた」と泣いている女性がいた。
持っていた手作りチョコを落としたらしい
「別に折れてもいいじゃない!」
「誰にあげるの?」
と聞いたら、恨めしそうに、じっと顔を見上げられた
そんなこともあった。

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そんな2月14日の朝、トイレに「江戸味わい帖」という文庫本を持ってこもった。
江戸料理研究会が江戸料理人の短編を編纂した文庫本だ。

山本周五郎の”こんち午の日”が載っていた。
ふと周五郎編の最初のページを繰ると略歴が載っていた。
”小学校を卒業後、山本周五郎商店に勤めた”とある
そこから来たのだ!山本周五郎という名前は…
そして最後に、1967年2月14日没とあった。

「今日が命日だったのか?」

奇遇に、なんとなくうれしくなった。

向田邦子が亡くなった時は、ラジオかテレビで流た。
確か向田邦子が青山に住んでいたころ、近くのビルに勤めていたので「この近くだな?」と思った記憶があるが…
周五郎が亡くなった時は、高校一年である。
多分、二月の中頃というと校舎の階段や廊下を、走らされていた頃だろう
ラグビーの体力強化の練習で…

だれもチョコレートなど、配っていなかったし、もらったこともない。
わびしい高校時代だった

5年前

そういえば、あれから5年だ。
なんとなく震災に隠れていたようだが…

食道がんを手術して5年が経った。
5年前の秋の深い頃だった
なんとなく喉の奥に違和感があって、主治医(心臓外科医)に言った。
彼は、すぐわかったらしい。
彼は、僧帽弁閉鎖不全症と感染性心内膜炎の一回目の手術と
胸部大動脈瘤の手術と、二回も胸を開いてくれた。
手術後も煙草を離さない小生に
「貴方だけは、たばこをやめたほうが良い」と病院の喫煙所で諭された
主治医の彼も、その時は煙草を吸っていたのだが…

40年間の大量喫煙と過度の飲酒、食道がんは必然だった。
紹介状を書いてくれたのは、同じ病院の消化器内科だった。
若い医者は「多分…食道炎か?食道がんでしょう」と、食道がんに力を込めながらも、軽く言った。
本心では、がんだと確信を持っているような話しぶりだった。

それから検査検査の日々だったが
食道がんと確定するための検査だったような気がする
結果が出て呼び出されたが、「ご家族も一緒に…」と言われなかったので独りででかけた。
癌であれば小声で家族だけに話をするモノだと思っていたが…
心の片隅に”ガンではない”という願望があったのだろう
「ご家族は?」と聞かれたが、だれも一緒についてこなかった
彼は明るく「食道がんですね、放射線にしますか?切り取りますか?」と大声で言った。

秋が進み、暗く長い冬に入りかけた頃、病院から電話があった。看護婦からのようだ。
「お願いがあるのですが…」と切りだされて、術後の治療薬のモニターの話だった。
上の空で了解した後、術後それが原因だったのかもしれない難事に見舞われた

2月1日の術後、主治医は、切り取った食道を自慢気に広げて見せてくれた
「ほらはっきりとデーターを取らないとわからないが…。初期のようですね」という話だった
それからICUに移されたが、何故か、すぐICUは次の人が入るから軽症の人はHCUへ…と
白い壁の個室に移された。
その白い壁の狭いHCUでは、幻覚だろうか…
見慣れない大きな頭とメガネの小さな大人と、大きな這いずりまわる虫に悩まされ
しらずしらずのうちに「出してくれ」と叫んでいた
そのうちに携帯で知人に電話をかけて「殺される」と叫んだり、とりあえず一日が長かった。
以前の二回の開胸手術は、ICUを二日か三日で出されたが、三回目のHCUは一週間以上いただろう

ちょうど出てきたのが建国記念日のあたりだった、かもしれない

 

5年前の今頃、病院から生還してきて、店のストーブの前に座っていた。

食道がんステージ1は、5年生存率75%である。

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まずは味噌をつくろう

ようやく一段落
というか何が一段落なのかわからないが、ひとつ線を引いたという感覚です
農家と違って、八百屋という商売は、ここで終わりというものが無い
農家も栽培は一区切りつくが、暮らしは永遠です
八百屋というのは、暮らしに密着している分、区切りがないような気がします

定休日明けの朝。
ようやく立春が過ぎた朝
旧正月の松の内
事始めの朝

なんだか、あらためて二度目の正月というか、新しい区切りの旧正月というか
さて今年も難問を抱え込んだ突っ走らないと…
そういう意味では四季のある日本は、新しい出発がいつでも出来る風土ではないだろうか?

 

今年も、やりたいことが山ほどある。
一つ一つ整理して計画や建てなおすと、それだけで一年が掛かりそうだ

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そうだ!まずは味噌を作ろう!

「山上り」という言葉がある。
むかしと言っても江戸の頃だろう、
借金を背負うと、その一家は山に上がったという
一家の主が、金を稼ぐために江戸に稼ぎにでたあと、
家族で木を切り倒し、小屋を立て、薪をつくり、小動物や山菜、茸をとって食べたという
山にさえ上がれば、生きていける智慧があったという。
だが、そこには山にはない、味噌(塩分)が必需品だった。
そこで”「山上り」には味噌を持たせる”という風習があったという。

とりあえず味噌を作ろう
豆麹たっぷりの豆味噌か…
米麹たっぷりの甘い米味噌か…

味噌作りは、再出発の原点なのかもしれない
(写真は、秋田の米麹をたっぷり入れた味噌です。甘いがしょっぱい。
濃い煮干し出汁で溶かすと美味しいという。ハマる味だ!)

月別アーカイブ : 2016年2月

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