若者にであった。
たてつづけに二人のすごい若者である
34歳と40歳である
40歳を若者というか、初頭の中年というか、晩年の若者というが…
まぁ小生から見たら自分よりわかいものなんだが…
しかし、小生がその歳だったら絶対に思いつかないし、行動もしなかっただろう

ひとりは
「入道さんあと20年頑張ってください」といい
「いずれ僕が会長になって変わりますから…」と真顔で言った
某マスコミの薄謝協会の職員である
初任地が盛岡だった。多くの仲間と一緒に当店に出入りしていた
盛岡・東京・仙台と転勤してあるいて今福島にいる
「被災三県をすべて歩いたのは小生だけです」という
カレが追いかけている被災地のドキュメンタリーは、彼の実家のとなり町だという
「偏向している」と責める小生に
「あれは自分たちで上の意向を忖度して自主判断しているのです。なさけない」という
そして「そんな会社を変えたい」という
そういえば”こうさん”もその若者を応援していた。
40歳の時、小生も悩んでいた。
このまま会社にいるか…
会社の方針と小生のやり方が合わないのである
一部の上司は認めてくれたが、他の人たちとは全然信頼関係が作れなかった
というか…会社では浮いていた。
当時、子どもの学校は荒れていた。
「都会で育てるべきか…田舎に帰るべきか…」
それも悩ましい問題だった。
結局、「農業と産業廃棄物を組み合わせた新しい仕組み」に誘われて戻ってきた
戻ってきてよかった
前の会社の担当していた部門は、消滅した。
小生がやっていても無理だっただろう。そもそも会社と見解が違うのだから…
そこには”会社を変える”という発想は無かった
プロパーではないし、銀座のビルの一室で浮き草稼業のような仕事だった。

その若者の結婚記念植樹写真である

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つぎに34歳である
小生は34歳は人生の一大転機であった。
上場会社を止めると言う決断をした時である。
彼は、みため45〜6歳、しゃべり方も50前後に見える
幼い頃から複雑な家庭に育ち、生活保護でそだった、と言う
その彼はある地方の生活困窮者を助けNPOを立ち上げたという
彼の素晴らしいのは、じぶんが苦学しながらもそこからぬけ出すという発想ではなく
そこに陥る人たちを助けるためにさまざまな関わりを自分自身で作っていった。と言う実行力である
それは行政の仕組みを…行政の見方を…変えていったという
その彼が今月発行の週刊誌に載るという。乞うご期待だ。
詳報は、それを読んでから

第二弾に続く