ほっとした。7対14だった。負けた、
なんせ4連覇したものでは、体力が…財力が…精神力が…続かない
そうなのである。花園の県予選の決勝である

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ワールドカップのラグビー人気で、一気に盛り上がるか?
と思った全国高校ラグビー(花園ラグビー場で開催)び岩手県大会決勝戦は
北上勢対決の黒沢尻工業VS黒沢尻北高である
(見に行く時間がなかったので、NBOXのワンセグで観戦だ!)

 

母校黒北は、小生が現役の頃、黒沢尻工業に全く勝てなかった
勝てる要素がなかった
以前の日本代表のワールドカップのようなものである
(それでもワールドカップで1勝の実績があるが…)

練習試合で三軍のような連中と、どっこいどっこいで、二軍だと勝てない
一軍だと大差で零封された。
彼らは15人制のラグビーで部員が100人近くいた
当方は、かき集めて15人がやっとである
小生のような細いモヤシのような連中が集まっていた
もっともモヤシは成長が早い。当方は足も遅い(泣)

そんな時代も有ったのだが、世の中変わった。
ワールドカップの日本代表のようなものである(しつこい)
小生らが卒業したあと、徐々に徐々に強くなっていった。
監督である
若い生きのいい、情熱をもった監督が次から次へと就任してきたのである
小生らが高校三年のときにやってきた監督は、大学の全国大会で優勝したチームのメンバーだった
彼は、高校3年生の小生たちに「あんたら出来てるから…」と言って指導をしなかった
そうなのである。自分たちで創意工夫をして練習をしていたのである
文武両道を掲げながら、高校生が自分たちでやる練習など、はたかが知れている
エディジャパンでさえもきつい練習のメニューがあったのだ(しつこい)
ちなみにラグビー選手のピークは26〜’7歳だという

昭和30年代40年代は盛岡工業と黒沢尻工業の時代だった。略して「盛工対黒工」という。
野球は商業高校が…ラグビーは工業高校が…というすみ分けだった。
今はアナウンサーは長ったらしく「黒沢尻工業たい黒沢尻北高」と言う
今、「黒沢尻」と言う地名はない。黒沢尻町が市町村統合で「北上市」になった
黒沢尻というのは「クロシャパモジリ」というアイヌ語から来たと聞いた

いっそ、ラグビーのワールドカップ日本大会では、
オールブラックスの「ハカ(以前はウォークライと呼んでいた)」に対抗して
アイヌのイオマンテでも踊ったらどうだ!(思いつき!)

小生の今年のラグビーはワールトカップと高校県予選決勝で終わった。
現役の後輩たちが号泣するのが目に浮かぶようだ
しかし、それも強くなる一つの要素だ

見てみろ東福岡と筑紫高校の死闘の福岡県大会を…
ヒマがあったら…いや無くても…ユーチューブだ