フィリピンでポン引きをしていた頃
毎年1回一週間ぐらい、行った。泊まった。よく走った…高原がある

あの泣いた五郎丸も来た高原である
「泣くな五郎丸。2019は笑うジャパンだ(意味不明)」

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長野県の北東部にある高原である
ダボスがある高原である

ダボスとは何か?
ダボスとは地名である
世界のトップ経済人が集まる「ダボス会議」が開かれるスイスの地名である
なんでも保養地だという。
ところがフィリピンのポン引きをしていた頃は、丘の上に石が組まれた塔があって
みんな走って登って、それをダボスと呼んでいた。スイスの保養地に似せて…
そして言う
「一度でいいから、のんびりとダボスまで歩いて登りたい」

 

 

ふと夜中にワールドカップの試合を見ようと、日本薄謝協会からきたメールを見たら。
懐かしいダボスの有る菅平高原の「ちいさな旅」がオンデマンドで配信されるという
どう変わっているのだろう?と一番組108円を払って視た

 

懐かしい山々やトラクターやラガーマンが混在して走る道路、練習場やレタス畑が次から次へと出てくる
ナレーターは「昭和50年代からラグビーのメッカ…」と言っていたが、
小生らが通っていた昭和40年代なかごろから、もうホテルや旅館はだいたいがグランドを持ってラグビーチームの合宿を受け入れていたはずだ
しかし、当時はテニス部の合宿もあった。
ラグビーのメッカというよりも、合宿のメッカだったかもしれない。
グランドの行き帰りや、休憩時間はテニスコートの金網にへばりついて、スカートから伸びでたスラリとした足を眺めていたのである。(友人たちは…)
そんなことを思い出したら「診療所」がでてきた。
そういえばここもお世話になった。
4年生の最後の合宿。
最初の練習試合のファーストスクラムで大きな

「ボキッ」

と音がして肋骨が折れた
相手は美大のラグビー部の100kgはあろうかといデブのフロントロー(今はプロップというらしい)だ
そして車に乗せられ担ぎ込まれた診療所である。(当時は70kgの小生であった)
そこでは処置ができなくて、高原を降り下の街の大きな病院で治療をした
いやなに治療と言っても、ガムテープみたいなものをぐるぐると胴体に巻いて動かないようにするだけである
”これが骨折の治療か…”と不安げに思った。
「医師からは「動かさないように…」と指示命令されていたが
その後もグランドを走りまわっていたが…

そんなことを思い出しながら30分番組を見終えた。
そして最後のテロップをみると…

なんと「撮影 中◯拓◯」とあるではないか?

えっ!IMG_0320

 

 

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父は、どうしているのだろう?
息子は、こんなところにいたのか?
よく会合に親子揃って出てきていた。
もう10年以上前の話だ。

こんなところで再会するなんて…