暴風雨の予報であるが
外を見ると真っ暗だが、音だけはするが雨は見えない
木々が揺れている音がする。
雨が地面にたたきつけられる音がする

都会に住んでいた時、会社に行くのに土を踏む感覚は無かった
それどころか、雨靴を履く風習もなかった
なんせ踏みしめるのは、アスファルトと、ビルのコンクリートと、電車の鋼鉄(アルミ?)の床、だけだった。
雨は邪魔者だった。

雨の日は、傘を持っていくか?持って行かないか?だけの判断だった
大阪で会社勤めをしていた時、事務の女の子は、商店街のアーケードから地下鉄に乗って、勤めているビルの地下に続いているので
「雨の日でも傘はいらへん」と言っていた。
都会では雨は、厄介者である。

 

農業の世界に入って、雨音が聞こえると嬉しいとか、ほっとする感覚が生まれた。
「田植えは、雨に限る」という若い農業者もいた
”雨が音を遮り、集中出来るのだ”と言う
農家は、今稲刈りである。
雨は邪魔者である
せっかく水田から水を抜き、地面を乾かして、1トンもの収穫用機械(コンバイン)を入れるようにしたのに
また長雨が続くと、元の木阿弥、大きな機械が重量で沈み込み、土を踏み固めて大きな轍を作るからである

しかし、本来のコメは、できるだけ長く水分を続けて補給したほうが、味がいいという

作業性を取るのか、米の質をとるのか?
それぞれの水田の状況と考え方に寄る。

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