IMG_0002

松茸が豊作だ。
なんといっても当店にまで出回るし、多くの生産者が「余ったら食べて」と言う(願望)
産地である岩泉は、業者が買い求めに行くので地元で売り切れてしまうが、その他はやはり地元ではなかなか売り切れない。と言うか、高すぎて売れないのと

”そのうちに拾うから…”
”そのうちに貰うから…”
と言って、買うまでにはいたらない。
「ひろう」という感覚は、都会ではない。
ちょっと車を止めて山に入れば、さまざまなキノコが採れるのである。
まさに”拾う”という感覚である
あまり興味ない人でも、今年は「松茸を、ひろった」と言う
そんな人々に大学では農業経済を教える
資本主義の拡大貨幣経済を教えていいのか(立腹)

貨幣経済を教えて稼げないことを嘆くよりも、
拾うという感覚で自然の恵みを享受するほうが豊かだと思うのだが…(主張)

 

心配している人がいる

「3.11の大震災の前年も大豊作だった。」と言う

人間は忘れる動物だというが、それ以前の豊作の時はすっかり忘れている
それ以前の豊作の時は、息子が中学生だった。
多分、まだテントハウスで営業していた時だったかもしれない
魔子様が、弁当をもたせた
松茸ご飯の弁当だ。
シャイな息子は、恥ずかしくて弁当を隠して食べたという

 

魔子様の弁当作りの原点は、子どもたちへの弁当作りに有った。
三人の子どもたちに弁当を作り続け、ようやく終わったと思ったら店の弁当作りだ
まるで、弁当のために生きているような人生だ(?)
そのまた原点は、子供の頃、共稼ぎの母親が造った弁当を新聞紙で隠して食べたという
「茶色の弁当だった」と魔子様は語る。

当時は当たり前であった。
弁当といえば日の丸弁当、ドカベン、などあまりイメージがよくない

「土方弁当」の画像検索結果
日の丸弁当は、”軍服姿の右翼の人が持っていく弁当だ”と
戦争法案に反対した若い人は思っているだろう
日の丸弁当とは、白飯に真ん中に梅干しが一個乗っかっているだけである。

じっと見て、酸っぱい唾が湧いてくるのをまち、それでご飯をかき込み、
その内に梅干しの肉で大量のご飯を、かき込み、
最後に梅干しの種をなめなめしねがら、かき込み、
そして最後の最後に、お茶で弁当箱を洗い、張り付いたごはん粒を種で落としながらすする、

と言う正式な裏千家の流儀があるほどだ(嘘)
白飯だけでも美味しかった。
昭和30年代の田舎は、大根や芋を混ぜたカテ飯だったという

 

「ドカベン」は漫画だと思っているだろうが、
漫画を知らない世代に、漫画を見たことのない小生が、あまねく多くの人に偉そうに教える
土方弁当を食べるズングリムックリした体型の野球少年の山田太郎が登場する漫画である
山田太郎というと「新聞少年」を思い出す人は、団塊の世代である
新聞配達の少年のことを言う唄だ。
「朝刊太郎と、いうんだぜ〜♫」というフレーズが耳から離れない
当時、中学生や小学生のアルバイトに新聞配達が流行った。
たぶんY新聞のワタナベの差金でなかっただろうか…
野球少年の山田太郎は、その後だ。昭和40年代だろうか?
なんだか、内容が外れた

 

土方弁当箱とは、底が深い、ご飯がたらふく入る弁当箱である
多分二合は、入っただろう。早弁ように多めに入れてあった。
おかずよりも米の飯、それも量が問題なのである
だから「深夜食堂(漫画)」のタコウィンナーなどは、まだまだ出ても来ない
小生も当時、流行りの薄い弁当箱が欲しかった。
しかし、造ってくれたのは深い弁当箱に煮物が入って煮汁がご飯に染み渡り、漏れて包んだ新聞紙まで汚れ、嫌いな音楽の教科書まで染み通っていた。
引っ越してきた岩手で驚いたのは、その弁当箱を集めて教室のストーブに載せるのである。
(そのような「弁当ストーブのせ網型容器」が有った)
そうするとストーブが盛んに燃え始めた三時間目の教室には、匂いが充満した
「だれだ、凍み大根の煮付けをおかずにした奴は?」
と言って怒られながら温まった弁当を食べたものである

 

人間は忘れる動物である
貧しいながら楽しい弁当だった。
美味しい弁当だった。
愛情のこもった弁当だった。
そんな弁当屋は、当店しかいない(?)

IMG_0011 松茸弁当
IMG_0005  黒米栗ごはん弁当