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何年ぶりだろうか…
墓参りに行った。というか、祖先のためにお経を上げてもらった。
以前は、仙台にお墓が有った。
と言っても、分家して二代目の祖父が建てたお墓だから、たかだか40〜50年だろうか…
岩手に転職した父は、まだ仙台と縁を持ちたかったのか仙台に墓があった
まぁ父も母も生まれ故郷だし、親類縁者はほとんどが仙台にいた。

それが父がなくなり、父と仲のよくなかった母は、どうでもよかったのか
墓参りに行かなくなった。
「遠いから」という理由だった。
後から推測すると、新興宗教を信仰している兄妹が、囁いたらしい
「あのお寺は、仏さんと一緒に魔物まで祀っている」と…

母は、新興宗教にハマることはなかったが、子どもの期待に答えようとしたのだろう
「仙台の墓を移せ」と小生に指示した

墓地の移設というのはややこしいように思えて簡単だった。
お寺に行って、離檀証明書を書いてもらい、埋設許可証を移すお寺から役所に提出すればいい
それも形だけである。
穿った見方をすれば、生きている人は税金が取れるから、事務が煩雑なのだろうが、死んでしまえば金にならないということだろうか?
墓地を替えるのは、お寺は嫌がるかと思ったら、すんなりと了解してくれた
当然、そのスペースが他へ転売できるからである
管理費をもらうよりも、現在の金で転売できるほうが数段というか、格段にいい話だ。
専門学校と幼稚園を経営して、白のリンカーンにのっている100kgは超える坊主が交渉相手だった。
父の時も葬儀後「祖父の時と比較して同じぐらいでいいから100万」と言った坊主だった。

寺の仕事をしている墓石やさんに依頼して墓の中の物を送ってもらうことにした
宅急便でついたものは、ちいさなダンボールが一箱、内容「書籍」とあった
中は、骨か?砂利?わからないものが詰まっていた。。

なんとなく勤め人の墓というか…、亡くなった後の対応というか…
一生懸命生きてきた一生が、こんなもので良いのか?と思った
ふと生きた証を、その土地に根ざしたいものだと思った

農家は、何代もその寺の檀家であり、それ以前は家が見えるところに墓地が有った
そして常に見守られているという感覚があったのだろう
ある農家の会合で、長老の農家に言われた
「あんたは農家じゃないね。きつい目をしているね。農家の眼ではない。
農家は、トローンとした眼をしている」と言われたことが有った

たぶん翻弄される経済優先社会で、ギラギラと儲け話を探して危機感をもって生きていたのだろう
農家は、祖先に見守られながら、自然と折り合いをつけて安心感の中で生きてきたのだろう。
それが現れたのかもしれない。