放映されたらしい

らしいというのは、見ていないからである
いつもそうなのだが、大体が主婦の番組は夕方である
その時間帯は、店で忙しぶりをしている最中だ
だから、ほとんどが見逃す

最近は、ディレクターや外注の制作会社が気を使ってDVDに焼いてくれたりする

しかし、恥ずかしくてあまりみない
大体が人前にでて、しゃべる面ではない(どんなツラだ!)

電話が、かかってきた
「おたく!どこに有るの?」
店に来た客が「さっき見たよ」と言った。
テレビの影響は絶大である
翌日は、たんまりと仕込んで準備をしなければ…

放映されたという大粒秘伝豆納豆「たいこばん」を大量に用意した
大量と言っても、いつも作っているのが週に40個程度を60個にしただけである
売れ残ったら困る。
売り出し初めの時は、週に100〜150個ぐらい作っていたが、最近は競争相手も出てきて減っている

委託している納豆屋さんから「たいこばん」を持って帰ると
店の前で魔子様が、待っている
こんなことは、今までにない
「どうしたの?」
「お客様が30個欲しいと言って、待ってるの?」
「えっ?30個?」

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せっせとラベルを張る前で
割烹着を着たおばさんが待っていた。
聞いた

「あの30個一度に食べるのですか?」
「いえ一日に三個づつ食べます」
「それでは夏場は悪くなりますから、少なくしたほうがいいですよ」
あわてたおばさんは、
「いえ、隣近所に配りますから…」
「それだったら一度に30でなくても良いでしょう。半分にしてください」

常連客もいるし、放映されたことで来る客もいる、
それなのにモノが無い、というのは致命傷である
作っても翌日の土日に間に合わないどころか、製造スペースが空いているかどうかもわからない
また一時に対応しても、それで終わるケースが殆どである

もじもじしているおばさんに
「どちらにお住まいですか?」
「紫波町から、わざわざきたの!」
「それでは、送料はこちらで持ちますから、半分にしてください。半分は送りますから…」
「いや20個でも…」
「いや半分の15個に…」
本当は10個にしたかったのだが、

しぶしぶ”仕方ない”という顔のおばさんに、頭を下げた。
おばさんは
「私も産直しているが、断ったことはない」と言い
帰り際に、もう一度
「客商売していて、こんなこと初めてだ」と叫んで言ったらしい
どうやらテレビの放映をみての大量購入のようであった。

 

ものを有るだけ売ると言う発想は、ここ半世紀の文化である
本来「流通」は「あるところから無いところへ流す」という役目を持っていた
それがアメリカの資本主義は、金のあるところへ流れるように変えた
以前の日本なら、分をわきまえ、見えている客の売れる分だけ仕入れて売っていた
ロスはあまりでず、そのロスの処理も大切なノウハウだった
今、売れそうだ、売れるからと言って大量に仕入れ、売れなかったと言って大量に廃棄したり返品をする
その文化は、多分アメリカを真似た「主婦の店ダイエー」が生まれた昭和40年前後から始まったのだろう。その頃から常連客とか、地域コミュニティとか…地域の関係性が失われてきたような気がする

 

以前、食文化研究会で話をしたことが有る
テーマは「産直は農家をつぶす」だった
本来の流通のあり方をしらない農家は、金儲けのために単にあるものを高く売ると言うことだけである
クレームがついたら「頭を下げて謝って謝って、お土産を持たせて…」という農家のリーダーがいた
昭和40年代の「お客様は神様」という言葉が流行ったことがそう思わせるのだろう

本来商売は「売ってもらう。買ってもらう」の対等である
そして関係性の世界の構築である。だからコミュニティがあった。
常連さんの好みや食べる量まで知っていた。
今、商売は単純に量を並べて選んでもらうという手法に特化している

そろそろ、エネルギー大量使用や人口減少の社会で、
もう一度、社会のあり方を考えなおさないと行けない時期に来ている