ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

哲学の森

岩手大学演習林で開催された「哲学の森」に参加した。
と言うか
結果的には、初日の講義だけになってしまった
夜の懇親会と宿泊は取りやめ、翌日も参加を見送った

なんせ諸般の事情が、てんこ盛りである。

初日の講義は後に続く起承転結の「起」の部分であるから、一番大切で、その後どのような展開になるのか興味津々なのであるが、4講のうちの第一と第二だけで、あとは聞きそびれた。
第一講は、経済の原理からアベノミクスの問題点を提起して資本主義の問題と終焉を解説してくれた
非常によく分かる経済の説明であった。経済の原理を単純に説明してくれた
さまざまな立派な事を難解に言う学者が居るが、単純にわかりやすく説明をするというのは内山節しかいない
人々にわかりやすく説明をするというのは、その知識の深さを表す。まさに天才である。

 

 

ようするに
企業は、金を増やして、増やした金を投資して、と言う循環なのであるが
投資した金がマイナスになると、つまり投資よりも減ると倒産をする
わかりやすくいえば、これが基本原理だ
その貨幣を増やす素は「需要」である。
ところがアベノミクスは、需要のないところへ金を増やそうとしている
つまり金融緩和である
需要のない市場や企業に、どんどん金をつぎ込むことによって、
余った金で設備投資をし、従業員の給与を払い、それによって需要を引き出すという政策である
こんな経済政策は資本主義の原理に反しているし、機能するはずがない

それよりも、国内で需要など喚起できない
以前と違って今は、十分に満ち足りているのだから…
トヨタは世界一の売り上げ利益を上げる企業であるが
トヨタの悲願は「国内での黒字経営」だという
ようするに、国内では売上が上がらず海外で伸びているだけである
若者は、非正規雇用などで給料が安く車の維持費が賄えない
まして今の若者は車など欲しいという物欲をもたない

資本主義は、圧力(国の政策・労働組合・環境問題等々)によって伸びてきた
労組のベアや定期昇給の交渉。車の排ガス規制などのさまざま圧力を跳ね返そうとして、
新しい技術や仕組み、機能が生み出され開発されて進歩してきた
ところが規制が外れ自由に行われる市場原理主義によって、資本主義は自滅し社会は劣化した

そこでものづくりではなく、金融資本主義へと貨幣が向かった
そこでは小バブルと、バブルの沈静化(崩壊)が繰り返され、それを最小にする金融政策が行われる。
そこには国が経済をコントロールできない社会が創造された

新しい経済がを生み出す動きが各地に生まれつつ有る
それがコニュニティや共同体という言葉であり
ソーシャルビジネスや農的生活という生き方である

市場が作り出す価値を縮小して、新しい価値観のつながりを目指す という動きが生まれつつ有る

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第二講は、「農的生活」の意味である

農的生活とは、つながりである
農業はつながりを生む世界である
自然とのつながり、集落や消費者との人とのつながりである。
そして農業の中に生活の場がある

内山節氏がすむ上野村の現状を話しながら
ゲゼルが言う
「すべての商品は時間とともに劣化する」
ことが貨幣経済の一番の問題であると言う
交換可能のものはすべて商品であるが、
それを入手する貨幣も一番純粋な商品である。
なんといっても時間とともに劣化しないのであるから

オーストラリアのある都市では「劣化する貨幣」で地域経済を回復したところがあった
そこは時間とともに貨幣価値が下がるので、一生懸命使う
買うのがなければ、先々残しておいてもいいものを買う
そんな貨幣の使い方ができたが中央銀行の横槍で中止になった。
その試みが続けば、どんな社会が創造されたか…

 

寒さ対策

焼酎という飲物を知ったのは、学生時代だった
知っただけで、飲んだことは無かった

いや試し呑みは、したような気がする
たしか、もろにアルコールの味がして「ウッ!」と言って「ペッペッペ」と吐き出したような記憶がある
友人は「それでも二合は呑んだよ」と言うが…覚えていない。

その時の焼酎は、同じ下宿に住んでいた鹿児島の友人だった
「いも」だった
そのときに「いも焼酎」という言葉を初めて知った。
うぶな学生時代だった(?)

それまでは「焼酎」というものは透明なもの、作業着を着た人たちが、昼日中から呑むもの
と言うイメージだった。

 

社会人になって新橋に勤務していた頃、駅までの間に飲み屋がありすぎた
その中に一軒「薩摩」と名がつく居酒屋?高級居酒屋?があった
丸くひらべったいお銚子に焼酎が入ってきた
燗がしてあった。
へぇ〜こんな呑み方が有るのだ。まるで高級ではないか?
そこは薩摩料理も出した。
「さつまあげ」のことを「てんぷら」というのもこの頃知った。
「天麩羅」は、どう言うのだろう?今でも疑問だ。
そして「さけ」といえば「焼酎」のことを言うのだと…
酒は「日本酒」と言わないと、出てこないと言うことも…

それからしばらく経って「焼酎ブーム」がおきた。
多分、大阪勤務していた頃だった
「下町のナボレオン!下町のナポレオン」と大酒飲みの渋ちゃんが、連呼していたのを記憶している
(余談=大酒飲みの渋ちゃんと、立ち飲みで1万円払ったことが有る。
そこの亭主に「今まで、こんなに頂いたの初めてです」と言われた。
モッキリ1杯100円の店だった。)
昭和50年代半ば頃だったと思う。
大分の麦焼酎「いいちこ」が「下町のナポレオン」という愛称で大ブームをおこした。
それから瞬く間に全国中が焼酎一色になった。
”労働者の呑みもの”というイメージを一掃した。

そんなことを思い出しながら冷凍庫の奥深く眠っていたキーウィとネクタリンを35度の焼酎につけた。
次に「いちご」に氷砂糖をいれ酢を注いだ。
それから皺だらけレモンをアップルビネガーに漬けた。。
そうだブランディーやウィスキーに漬ける手もある
よし!これで冬場の寒さ対策は万全だ!

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あさづけ

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毎日浅漬を作っている
大量というか、そこそこというか…

売れ残る野菜を、様々に加工して昼食の漬物に出すのである
塩漬け、味噌漬け、塩水漬け、ぬか漬け、醤油漬け、だしの素漬け、粕漬け、
人参・胡瓜・大根・キャベツ・ゴーヤ・白菜・トマト・茄子・生姜…。
とりあえず、ひと通りやった。

大体感覚が、よくわかった
要するに、どのように切ればすぐ漬かるか?
何が水が出やすいか?
塩がいいか…塩水がいいか…味噌か?醤油か?

そのうちに、どんどん量が増えてくる。そうすると種類を作らないと量がさばけない
塩水漬けの胡瓜を、七味で辛味をつけて…
一味でごく辛口に… キムチのの素でキムチ味に…
キャベツの千切りにオクラを混ぜて、メカブをふりかけて押し漬け。

今度はフライパンで炒めて
大量に出てきたピーマンを細切りにしてごま油であえて、七味をふる
ピーマンを輪切りにして、オリーブオイルで塩胡椒!

 

そして最後はぬかづけの人参を甘く煮て、煮汁にカタクリでとろみを付けて…

なんだか浅漬から、朝作った料理になってしまった。

今の時期、昼食には7〜8種類の漬物という無料の副食が並びます。
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安心感

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何年ぶりだろうか…
墓参りに行った。というか、祖先のためにお経を上げてもらった。
以前は、仙台にお墓が有った。
と言っても、分家して二代目の祖父が建てたお墓だから、たかだか40〜50年だろうか…
岩手に転職した父は、まだ仙台と縁を持ちたかったのか仙台に墓があった
まぁ父も母も生まれ故郷だし、親類縁者はほとんどが仙台にいた。

それが父がなくなり、父と仲のよくなかった母は、どうでもよかったのか
墓参りに行かなくなった。
「遠いから」という理由だった。
後から推測すると、新興宗教を信仰している兄妹が、囁いたらしい
「あのお寺は、仏さんと一緒に魔物まで祀っている」と…

母は、新興宗教にハマることはなかったが、子どもの期待に答えようとしたのだろう
「仙台の墓を移せ」と小生に指示した

墓地の移設というのはややこしいように思えて簡単だった。
お寺に行って、離檀証明書を書いてもらい、埋設許可証を移すお寺から役所に提出すればいい
それも形だけである。
穿った見方をすれば、生きている人は税金が取れるから、事務が煩雑なのだろうが、死んでしまえば金にならないということだろうか?
墓地を替えるのは、お寺は嫌がるかと思ったら、すんなりと了解してくれた
当然、そのスペースが他へ転売できるからである
管理費をもらうよりも、現在の金で転売できるほうが数段というか、格段にいい話だ。
専門学校と幼稚園を経営して、白のリンカーンにのっている100kgは超える坊主が交渉相手だった。
父の時も葬儀後「祖父の時と比較して同じぐらいでいいから100万」と言った坊主だった。

寺の仕事をしている墓石やさんに依頼して墓の中の物を送ってもらうことにした
宅急便でついたものは、ちいさなダンボールが一箱、内容「書籍」とあった
中は、骨か?砂利?わからないものが詰まっていた。。

なんとなく勤め人の墓というか…、亡くなった後の対応というか…
一生懸命生きてきた一生が、こんなもので良いのか?と思った
ふと生きた証を、その土地に根ざしたいものだと思った

農家は、何代もその寺の檀家であり、それ以前は家が見えるところに墓地が有った
そして常に見守られているという感覚があったのだろう
ある農家の会合で、長老の農家に言われた
「あんたは農家じゃないね。きつい目をしているね。農家の眼ではない。
農家は、トローンとした眼をしている」と言われたことが有った

たぶん翻弄される経済優先社会で、ギラギラと儲け話を探して危機感をもって生きていたのだろう
農家は、祖先に見守られながら、自然と折り合いをつけて安心感の中で生きてきたのだろう。
それが現れたのかもしれない。

破綻

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「島耕作の農業論」を読んだ。というか読んでいる。
そろそろ飽きてきた

内容はと言うと
ローソンの前代表との産業としての農政論
大分の水耕栽培の取り組み
世界一の農業国オランダの戦略
日本の農業の問題と現状

要するに作者は、農業を強く成長する農業にするために合理化された企業の仕組みを農業に応用するべきだ!と言いたいのだろう
産業としての農業を考える点では異論は無いが…
しかし、それだけで良いのだろうか?と想っていたら

最後に久松農園を持ってきた
久松農園は、農業の近代化以前の手法である。
多分久松氏は、考えて考えぬいた結果、ここへ辿り着いたのだろう
50品目の野菜を一列づつ作り、旬のものから出、または注文に応じて出荷するという手法である
これは、都市近郊農業のスタイルとしては、江戸時代の農業である
まさしく、それは小規模複合経営である

 

数年前、電話で問い合わせが来た。
小学校の先生だ!
「子どもたちを連れて農家を見学に行きたい。普通の農家でいいですから…」
彼女の言う「普通の農家」というのを考えた
多分、茅葺きの大きな家と広い庭、鶏が土をついばみ目の前には、様々なものが植えている畑と、青々とした水田。裏山には雑木林。
そんなイメージだろう
そんな農家は、無い!と言っても過言ではない
要するに小規模有畜複合経営の農家である。日本の農家の原点だった。
まさに久松農園は、特定された個人や店舗が必要な物をきちんと植えてある農業である
そこに、野菜くずを餌にする鶏がいて、残飯を食べる豚がいて、あぜの草を食べる牛がいて、敷きワラや籾糠が手に入る稲作もやっていれば申し分ない。
ようするに江戸時代は鎖国の島国ゆえに日本だけで循環する農業でないと続かなったのである

ところがいまは、グローバル社会になって輸出入が自由にできるようになり、種も輸入、農薬も肥料も輸入、そして機械を作る鉄鉱石、プラスチックの石油、すべて輸入である。
その輸入も、化石燃料を消費する船や飛行機で日本に運ばれる。
枯渇する石油文明に乗っかっている農業であり、
大量の残飯と廃棄物をだし、窒素を海に流失する一方通行の農業なのである。

 

農林水産業は風土産業であるという。
土地土地の気候や地形にあったシステムが根づき、それが何百年と続いて現在が有る。
だから他国の農業は参考にはなるが、お手本にはならない

小生はいつも言う
農業は知っているが、農作業はしらない。

農作業は地形や気候に基づく、実際の仕事である
農業は、口だけで人を動かす仕組みである。
小生を含め農業を語る人が、なんと多いことよ
しかし、農作業しか知らない農家も又多い

これからの一方通行の農業は
1バレル150ドルまでは、なんとか耐えられるという話を読んだことが有る
またエネルギー収支では、自然の太陽光を利用する農業が一番安価であるという話も読んだ
今の石油価格の底値が、いつ高騰するのか?興味津々である
そして農業が…食料政策が…どのように破綻するのか?

破綻しないために、何をしなければならないのか?
やはり循環型の小規模有畜複合経営に戻らないといけないのか…

どんぶり蒸し

茶碗蒸しを造った。

何回も作っている

一番最初は。好きだから造った
二番目は、手術の後遺症で嚥下障害のときに造った。
そして三番目は腸閉塞の時である。つまり今である。

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最初の時は、腹一杯食べたかった。
あのフルフルの茶碗蒸しを…

料亭や居酒屋で頼むと、ちいさな茶碗にお上品にでてくる
もっと大きな丼で、じゃぼじゃぼ喰いたい。と願ったものだ

凝ると数ヶ月続く
丁寧にレシピ通りにきちんと造った。
家族にも振る舞った。美味しいと言ってくれた。
その内に飽きた

 

二回目は、食道癌の後遺症、嚥下障害である。
流動食しか飲み込めないのである。
しかたなく、全てものにとろみをつけて流し込んだ。
”そうだ!茶碗蒸しが有る”と思いだして、再び作り始めた
今度は工夫をした。
出汁ではなく、コンソメを使用した。中に入れる具を豆腐をいれた
結構ボリュウムがあるが、流れこんでいった。
そのあと様々なものを入れては、蒸して流し込んでいった

ためしてガッテンでガッテン流茶碗蒸しの作り方を覚えたのもこの頃だ

鍋から蒸気が出て、茶碗を入れて4分強火、火を消して8分。

これは結構あたっていた。
料亭のように、すが入ったり泡がでたりという心配をしなくても良い
とりあえず、あのふるふるのなめらかな茶碗蒸しをたべられれば満足だった
しかし、それも徐々に嚥下障害が治る(なれる?)に従って、造らなくなった

 

 

三回目は腸閉塞である。
消化の良い物を食べろ!と言われ
食物繊維は食べてはいけないと言われ

高脂肪高蛋白のものを、と指導され
一体何を食べたらいいのだ?
と考えたら「茶碗蒸し」だった

 

朝起きて、卵を二個入れて、茶碗4個にわけて作る。
二個は朝食に、二個は冷蔵庫で「冷やし茶碗蒸し」で夜の酒の肴だ

出汁の代わりにラーメンスープを入れようか
いや、海藻スープも一杯残っている
インスタントのスープもいろいろとあった

具は、やはり豆腐か?いや麸も面白い。
素麺やウドンでも、いいなぁ〜
茶碗蒸し用のちいさな茶碗では無く、丼でも良い!
タップリと食べたら、高脂肪高蛋白の良質な朝食である

妄想が膨らむ(残念ながら腹は膨らまない)

日々の仕事

 

最近本屋に行くことはない
なぜなら、読む時間がないのに本を買い求めてしまうからである

鍼医のそばに、全国チェーンの大きな本屋ができた。
そういう本屋には当然行ったことがない。
本を探すのに大変だからである。
ところが先日、鍼の待ち時間ができた。
しかたなく時間を潰すのに入った。
驚いた!喫茶店があり、文房具、そして中古本まで売っている
世の中、進化(退歩?)している
そして平日の昼日中、大勢の人が、新刊の単行本を抱えながら読んでいる
これでは地方の中小の本屋が、どんどん店を閉めるわけである。

 

共生社会と言いながら、地方の中小企業は厳しい競争にさらされている
しかし、勝たないまでも、負けない、生き残る経営とはなにか?

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そのヒントが、人口減少社会と枯渇する化石エネルギーである。
人口増と共に今の社会や経済があり、それに基づいた発想がグローバル社会である
そして石油文明に乗って発展してきた社会が、ピークオイルを迎え怪しげな原発に頼る不安定な社会。

そんな状況で、確かなものを探し求めているのが、今の社会ではないだろうか?

確かなもの!それはなんだろうか?
貨幣ではない。貨幣は持てば持つほど不安に駆られ「もっと」と言う欲望にとらわれる
そして貨幣の価値は、どんどん変化する。

やはり食べ物だろう
食べ物さえあれば、最低限生きていける。つねに「明日の食べ物さえあれば…」
以前の農家は、8月にならないと、前年度の新米を食べることはなかった、と言う
凶作で食べ物が無くなることを恐れるのである
今、そんな農家はいなくなった。すべてのものを金に換えているからである。
確かなものを、不安定な貨幣に換えている不安感はない
なぜなら確かな食べ物は「腐る」からである。
腐る前に金に変える、当然のことである。
しかし、その金も不安定である。
不安定のリサイクルである。

やはり腐り続ける「明日の食べ物」を得るために
作り続ける「日々のしごと」が確かなものなのか?

そんなヒントを求めに、地域のちいさな本屋に入った。
そこにも、求める本は有った。
求めようという気持ちに対応している店が、生き残るということなのか?

朝から堂々巡りの脳の回路であった(?)

 

ことわる

放映されたらしい

らしいというのは、見ていないからである
いつもそうなのだが、大体が主婦の番組は夕方である
その時間帯は、店で忙しぶりをしている最中だ
だから、ほとんどが見逃す

最近は、ディレクターや外注の制作会社が気を使ってDVDに焼いてくれたりする

しかし、恥ずかしくてあまりみない
大体が人前にでて、しゃべる面ではない(どんなツラだ!)

電話が、かかってきた
「おたく!どこに有るの?」
店に来た客が「さっき見たよ」と言った。
テレビの影響は絶大である
翌日は、たんまりと仕込んで準備をしなければ…

放映されたという大粒秘伝豆納豆「たいこばん」を大量に用意した
大量と言っても、いつも作っているのが週に40個程度を60個にしただけである
売れ残ったら困る。
売り出し初めの時は、週に100〜150個ぐらい作っていたが、最近は競争相手も出てきて減っている

委託している納豆屋さんから「たいこばん」を持って帰ると
店の前で魔子様が、待っている
こんなことは、今までにない
「どうしたの?」
「お客様が30個欲しいと言って、待ってるの?」
「えっ?30個?」

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せっせとラベルを張る前で
割烹着を着たおばさんが待っていた。
聞いた

「あの30個一度に食べるのですか?」
「いえ一日に三個づつ食べます」
「それでは夏場は悪くなりますから、少なくしたほうがいいですよ」
あわてたおばさんは、
「いえ、隣近所に配りますから…」
「それだったら一度に30でなくても良いでしょう。半分にしてください」

常連客もいるし、放映されたことで来る客もいる、
それなのにモノが無い、というのは致命傷である
作っても翌日の土日に間に合わないどころか、製造スペースが空いているかどうかもわからない
また一時に対応しても、それで終わるケースが殆どである

もじもじしているおばさんに
「どちらにお住まいですか?」
「紫波町から、わざわざきたの!」
「それでは、送料はこちらで持ちますから、半分にしてください。半分は送りますから…」
「いや20個でも…」
「いや半分の15個に…」
本当は10個にしたかったのだが、

しぶしぶ”仕方ない”という顔のおばさんに、頭を下げた。
おばさんは
「私も産直しているが、断ったことはない」と言い
帰り際に、もう一度
「客商売していて、こんなこと初めてだ」と叫んで言ったらしい
どうやらテレビの放映をみての大量購入のようであった。

 

ものを有るだけ売ると言う発想は、ここ半世紀の文化である
本来「流通」は「あるところから無いところへ流す」という役目を持っていた
それがアメリカの資本主義は、金のあるところへ流れるように変えた
以前の日本なら、分をわきまえ、見えている客の売れる分だけ仕入れて売っていた
ロスはあまりでず、そのロスの処理も大切なノウハウだった
今、売れそうだ、売れるからと言って大量に仕入れ、売れなかったと言って大量に廃棄したり返品をする
その文化は、多分アメリカを真似た「主婦の店ダイエー」が生まれた昭和40年前後から始まったのだろう。その頃から常連客とか、地域コミュニティとか…地域の関係性が失われてきたような気がする

 

以前、食文化研究会で話をしたことが有る
テーマは「産直は農家をつぶす」だった
本来の流通のあり方をしらない農家は、金儲けのために単にあるものを高く売ると言うことだけである
クレームがついたら「頭を下げて謝って謝って、お土産を持たせて…」という農家のリーダーがいた
昭和40年代の「お客様は神様」という言葉が流行ったことがそう思わせるのだろう

本来商売は「売ってもらう。買ってもらう」の対等である
そして関係性の世界の構築である。だからコミュニティがあった。
常連さんの好みや食べる量まで知っていた。
今、商売は単純に量を並べて選んでもらうという手法に特化している

そろそろ、エネルギー大量使用や人口減少の社会で、
もう一度、社会のあり方を考えなおさないと行けない時期に来ている

支給弁当

弁当を頼まれた。
いつものことであるが…

今回は違う
食材支給の弁当なのだ
と言っても、すべての材料ではない

白菜と米と…
なんと短角牛のブロック肉である

国の某農業試験場からの依頼である
まぁ毎年のことでもあるが

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白菜は、新品種で名前はまだない。やわらかなサラダ用だという
白菜の生で食べる新品種というのは珍しい

 

米は直播用の品種萌えみのりだという
わざわざ直播き(じかまき)用の品種を作っているのだ!

直播き=(苗を作らずに、田んぼに種籾を直接播いて芽を出させる方法
労力の軽減、経費の節約、など様々なメリットが有る。
田んぼをならす作業が間違えるとデメリットとして雑草に負ける)

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そして短角牛だという
しかし、その料理法は「ローストビーフ」だと指定されている
ローストビールなら、いつも飲み慣れているが…(?)
魔子様は、自信がなさそうにつぶやいた。
「できるかしら…」
高価な部位だけに失敗したら後戻りができない
まして芯まで火が通っていないと、この夏場は心配である
そこでオタスケマンの登場である
短角考房北風土主宰の佐々木先達に教えを請うた
佐々木先輩は、手取り足取り揚げ足取りで懇切丁寧に教えてくれた

しかし、「このぷるぷるがまだなのよね」と摩訶不思議なことをのたまう魔子様
どうやらフライパンでブロック肉の6面を焼くのだが、その肉塊をつっついて
揺れるようでは、まだ火が通っていないと判断するようだ

その揺れ方が
プルプルと乳房のように、ゆらゆら揺れるのか?
ブルブルとお尻のように、たわわに揺れるのか?
で、だいぶ違うだろう!と思うのは小生だけだろうか?

とりあえず切って見て判断をしよう!と魔子様に持ちかけた
当然切れハシは、小生の役目である毒味と、高タンパク高脂肪の対策に

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旨い!美味い!
やはり短角だ。しっかりと焼かなくても火が通るだけで美味しい
わきの黒毛よりも絶対に美味しい!と評判だ!

それに佐々木先輩は「ジュレのタレを!」と難問をいう
ジュレとは何だ?樹齢千年の林檎の木か?

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次から次の難問を、クリヤしながら魔子様は突き進む

どうだ!この弁当は!
食材支給でもなんでも、持ってきやがれ!

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配達は、困難を極めた。

なんといっても、小生が走るのである
凸凹道や、がたごと道を、飛ばして飛ばして、ついた時には…

パソコン30年

パソコンが壊れた
もう、何台目になるのだろう

最初に買ったのは30代中頃(30年前)カシオの4行のワープロだった
カシオ計算機に乾燥炉を納入した時に買わせられた

次に買ったのは御徒町の電気屋でA4たて型のデスクトップのワープロだった
盛岡に移転するので、安い家電は買えないだろうと焦って買った

その次は、ようやくパソコンだった。再度東京に転職した時に買った東芝のダイナブック
使い方がわからず、宝の持ち腐れだったというか
そんなに使用範囲が広くなかったので(一太郎とロータス)、あまり使用していない

その次から頻繁に買い替えたので順番は忘れたが
NECなどのウィンドウズが何台か…

そして友人がっ強烈に進めるのでmacに変えた
Macも4代目か5台目だろう

 

壊れたと言ってもキーボードが打てないキーがいくつか出てきた
それが母音の「A」であったり「delete」だったりするから困る

一番使うキーである

当方のインターネットアドバイザーの亮君は、ボードが行かれているのだろうという診断だった。
早速、前に買い求めていたワイヤレスのキーボードを、セッテングした

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麻婆丼をたべながら打ってみたが、昔のキーボードなので
キーの高さが高くて一つ一つ力を込めないと打てない
いらいらの絶頂を極めた
しかたなくまた買い替えた

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本体を買えかいたいのだが、ひょっとすると
画面で指が動かせるようになるかもしれないので、すこし待ってみようと思う。

しかし、指で画面が動くというのは、どういう仕組みなのだろう
若い人は小生の携帯電話を見て「がらけは、もう部品も供給できないよ」という

変化が早過ぎる30年である。
30年前はテレックスと手紙の時代だった。

月別アーカイブ : 2015年8月

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