ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

20周年記念行事(ときおり変わります(笑)

ちいさな野菜畑

20周年開店記念日

平成7年7月8日開店!

20年目のスタートを迎えました。

ただただ、お客様へ感謝申し上げます。

初めての街中の直売所として、また県内農家の野菜を中心とした直売所として開店以来20年。
多くの皆様に数多くのお世話になりました。

地域に無くてはならない存在になりたい。
人を心と心で繋ぐ、お店でありたい。
そんな想いで駆け抜けた20年でした。

通ってきていただいた皆様に感謝の気持をお伝えいたします

野菜畑マーク086

7月8日から7月20日まで

(7月14日(火)は定休日です)

20周年セール企画

・全品20円引き(こびる食堂も…)
・税込1080円以上お買い上げの方、一日に一人、

 3000円のこびるチケットが当たります。
・今後のちいさな野菜畑のあり方募集。

 (有意義なご意見を頂いた方に特典があります。)

むかぁーし昔2096

おかげさま

DSC00140
もう20年である
あの時も眠れなかった。

平成7年7月8日土曜日、ちいさな野菜畑の開店である。

前日の7月7日は
「成苗二本植え稲作研究会」の岩手見学会があって、20人ぐらいだっただろうか案内をして回った
夜は懇親会だったが、抜け出て準備にあたった
研究会の案内の疲れと開店までの疲れがあいまって、疲れすぎて興奮して眠らなかった
そして当日の朝、大チョンボをした
10時にオープニングセレモニーで生産者に挨拶をすることになっていたが
直前に”お釣りがない”ことに気がついた。
地元紙に開店のチラシの折込を入れてあったので、店の外は開店を待つ人が大勢いた

郵便局を初め、金融機関は休みだ。
と言って近くの小売店で崩してもらうのは気が引けるし、まして近くに無い
とりあえず1000円札を自動販売機で缶ジュースを購入して
”目先のお釣りを…”と自動販売機が置いてあるところを回った
ようやくお釣りができた頃、店は勝手に開いていた

一日中レジに並ぶ客に
「お釣りがないようにお願いします」
「お釣りない人は。こちらです」と叫んだ初日だった。

 

あれから20年。
ありきたりの言葉だが、長くて短くて…
ラグビーで言えば、ようやく人をひきづってボロボロになってトライに辿り着いた!という感じだ。
20年を一言で言うと「身土不二と病気」である
前半の10年は、身土不二との出会い。
後半の10年は、病気との出会いである。

いろいろ有ったが、ココへ書き綴ると20年かかる(?)
Blogはそういう意味では、振り返りつつ将来をみるということか…

20周年記念別途記載

 

 

 

苦汁の選択

秘伝豆の豆腐を作っている
うまくいかない

問題は苦汁(にがり)である。

苦汁を打つタイミングというか…
苦汁の流し方…というか

ひょっとして苦汁そのものが問題あるのか…

IMG_0017

秘伝の青豆の豆腐は、豆腐屋はみんな嫌がる
なぜか?

要するに通常は黄大豆だが青大豆でやると、設備に色が移ると言う
だから相当量のロットが必要であると言う

本当は豆腐屋に委託加工できれば良いのだが
しかし、売れるかどうかわからないのに、ある程度のロットを作らないといけないというのは勇気がいる
しかたなく手作りの豆腐のセットを購入し、手作りで作っている
もう三ヶ月になる。まだ開発中だ

そうなのだ、そこで苦汁(にがり)である
海水から取った液体の苦汁を使用している
木綿豆腐はできた。(満足度30%)
寄せ豆腐ができない
できたら秘伝の寄せ豆腐で定食を作りたいものだ
夏の暑い時期の冷たい寄せ豆腐を崩しながら熱いご飯にかけて…

幼いころ(まだお酒を呑みたいと思わなかったころ)は、豆腐が嫌いだった
いや、その〜木綿豆腐の網目のところが「固い」
食べている時に、その部分があたると何となく食べる気が失せた
そのころは何でも食べていたが…
多分、みんなの話の中で「嫌いな食べ物」みたいな話題に参加できなくて
「嫌いなもの」が自分の中に欲しかったのかもしれない
「この子は豆腐が固いというのよ」と母はいつも言っていた

栄養豆腐という袋豆腐ができ、絹ごしができて、寄せ豆腐と
どんどんと網目のない豆腐ができてきた。
それをグズグズに崩して熱々のご飯にかけて醬油をまわしかける。
ワシワシとかきこむ。夏の醍醐味である。
木綿豆腐は、やはり湯豆腐に限る。あのゆらゆらと煮上がった頃のするりと喉を通る食感はなんとも言えない
”冷奴”は、やはり寄せ豆腐だろう

と思うのだが、店ではとりあえず秘伝の寄せ豆腐が出来るまでは
木綿豆腐の冷奴だ
(苦渋の選択である)

 

 

撮る

IMG_0005

「1キロも採れないわよ」魔子様が怒鳴った
「ど〜れ」と。
小生も手を伸ばし、枝をひっぱり小柄な魔子様の手の届かない梅の実をもぎ取った

昨年は取るタイミングを逃し。多くの実が落下した
その失敗をするまいと早めに早めにと、じっと梅の実を見ていたが、肝心の時は忙しくてそれどころではない

八重桜の花もそうである
八重桜の花を塩漬けしようと、だいぶ前から話をしていた
満開になった
採らなければ…取らなければ…
盗られてしまうと思っている間に
撮るだけになってしまった

P1060680

やはり梅は隔年結果である。
わずかの梅を、梅干しにして魔子様の梅割りの焼酎に…

うつりぎ

IMG_0002庭のラベンダーが見事に咲き続けている
5月の末頃から咲いているのだろうか
ふと何月頃まで咲くのだろうと思ったが
日々の庭の変化を記録しようとは思ってはいない
しかし、以前より勢いが無くなっている。
花も持ちあげるように天を向いていたのが、徐々にうなだれてきている

それに替わって色づいてきたのが紫陽花である
徐々に色づき始め、通りすがりの家では真っ青に咲き誇っているのもある
鎌倉の明月院の紫陽花から興味を持ち、戻ってきた盛岡の家ではガクアジサイが盛んに咲いていた。
IMG_0001
紫陽花が好きである。特に「額紫陽花」が…
ベニガクアジサイのように華やかななかにも、恥じらいが有る花が

CIMG0831

ラベンダーの花言葉は、”献身的な愛”と”沈黙”という
紫陽花は”移り気”だという

季節は、ラベンダーから紫陽花べ
献身的な愛から沈黙の関係に、そして気が移り…
長年連れ添ったトラ子と同居人の関係か…

まえふり

30代初めだっただろうか?
西海岸に行った。
西海岸といえば、アメリカだろう
出張だった。
というか、出張という名の順番海外旅行だったような…

なにも出かける必要性がなかったが
シアトルの郊外、湖のそばの別荘で提携先のアパレルメーカーの展示会があった
モデルに、その服を指示すると、服を着て目の前を歩いてくれるのである
服を見るよりも、着替えている別室を見たかったのだが…
昼食は庭で、食べ放題の飲み放題のバーベキューだった。
なるほど接待は、こんなふうにしたほうがいいのか…と勉強させていただいた

当時は単なる野球場という認識のセーフコフィールドの傍を通った。
後にイチローが活躍する場所だと知っていたら、覗いてくるのだった
夜は、街中の薄暗いスタンドバーに行ってビールを飲んだ。
おおきな真っ黒の黒人が、やばそうな煙草を吸って近寄ってきたので、怖くなって出てきた。

ロスは案内の韓国人に発行されたばかりの500円玉をチップとして上げた
日本からアメリカに移った韓国人は、感激していろいろと教えてくれた
「横道には、入らないでください。」
「タムロしている人のそば、は通らないでください」

目的の一つである紳士服の展示会をサボった。
みんなでサンディゴまで行こうと思ったが、遠いので近くのレドンドビーチで、大きな蒸したロブスターを喰った
夕食は、しゃれたステーキレストランだったが、
食べ物は固いステーキと大味の鮭のムニエルからのチョイスだった
有名な高校の野球部が来ていた
全校の修学旅行に参加できなかったので、野球部だけの修学旅行だという
そのころから特待生がいたのだ!

提携している子ども服のメーカーのビルに行った。
パトカーがサイレンを鳴らして走っていた
同じビルの別の階にピストル強盗が入ったという
日常茶飯事だという

郊外の砂漠にゴーストタウンのような街があった
大きなショッピングモールが倒産し街が無くなった
「将来日本も…」とだれかが言った

ディズニーランドへ行った。
大仕掛の仕組みに驚いた。しかし、並んで待つほどではなかった
”日本にも出来る”という話を聞いた
それから三年後、東京ディズニーランドがオープンした。

お土産を何を買うか?迷った
子どもたちにはデ、ィズニーで…
女性には、ティファニーで…
男性には、ヨウモクを…
そして部長には「バーボンが良い。
「ケンタッキーバーボンが…」
「これは日本で発売していないバーボンだから…」と薦められた
「ワイルドターキー」である。今、どこでも安く売っている

IMG_0003

この写真はフライドチキンである
ケンタッキーで作っているのか?
今、世界中で、どこでも安く売っている。
一年に一度ぐらいしか食べたことがないが、その日がやってきた。
肉食妻帯可の、余命何ヶ月から生還してきた某住職が好きだという。

文章と写真は、あまり関係がない。
ケンタッキーを言うための前ふりである
30年経って、だんだん日本もアメリカ化してきた。
そのうちに、あの廃墟も…

境界

連載小説は嫌いである
というか…ほとんど読まない
まして新聞の連載小説は

いくら活字が好きだといえども、毎日の筋書きを追って読むのは疲れるというか…待ちくたびれる、
2〜3日、間を置くとストーリーを忘れてしまう
また細かいところの読み返しなどは、面倒でやってられない。だから新聞の連載小説は、「最初から読まない!」と決めてある
そして、ILC問題で賛成一辺倒の地元紙に批判をするべく購読をやめた。

もう辞めてから一年ほど経過したが

不自由はない。
かえって廃棄ゴミの新聞紙がなくなった。(ゴミの減量)
朝の時間が多く使えるようになった。(時間が増えた)
「訃報」が読めないので、香典がいらなくなり経費節減になった。
早朝や深夜にやってくる集金人のために、着替えなくて良くなった
(リラックスしてパンツ一丁でいられる)
イイトコばっかりだが

デメリットとして
誰が死んだか、わからなくなって岩手の人口の変化が不明だ。
テレビは見ないので番組表はいらないが、女優の名前がわからなくなった
「連載小説」が読めなくなった

そうなのだ!村井直衛氏の連載小説「境界」が読めないのである。
”連載をしている”とは聞いたが、
何を書いているのか…
どんな内容か?
日々の文章は、インターネットで検索しても出てこない

IMG_0007 IMG_0008

そんな「境界」の小説が手に入った。
食堂の本棚に置いてあります
是非、ご一読を…

もどる

7月4日は、アメリカの独立記念日である。
なぜ?そんなことを、覚えているのか?

毎年ニュースで流れるのは当然であるが、母の誕生日である

萬で88歳(数えで89歳)
このような歳の数え方は、若い人たちはしないだろう
ゼロという概念はインドから発生したという
ゼロという概念がない時代、生まれた年を1歳と数えたことにあると思う
最初の誕生日まで「いくつ?」と聞かれた時に
「一歳」と答えたからだろうか?
いずれにせよ、「数え」「ゼロ」は密接に関係しているような気がする

朝、店に出かける前に「おめでとう」といった
「何が?」{誕生日!」「誰?」「あんた!」
それを三回繰り返した
前日に魔子様が
「明日、誕生日!」「誰が」「おばぁちゃん」「あっそぅ」
それを二回繰り返し
夕食を持っていった魔子様が
「誕生日おめでとう」「誰が?」「おばぁちゃん」
それを三回繰り返した

認知症は、確実に進んで、このころに戻りつつ有る

IMG_0008

優勝候補?

IMG_0002

ふと、なぜかyoutubeを見てしまった
いやフェイスブックをみていたら誘導されたようだ
自分の意志ではなく、企業の(?)コマーシャルに左右されて動く自分が許せない(怒)
しかし、よく考えたら1時間半も2時間もラグビーの試合を見ていられない
イイトコどりを、ちょっとみる程度ならyoutubeで十分である。
ひさしぶりに東福岡の高校ラグビーから、オールブラックスまで、見ていたらあっという間に2時間が経過した
これでは一緒だ。ラグビーの試合を見るのと…

世間では「なでしこ」「なでしこ」とうるさい
こちとらは、”なでしこ(石竹・ダイアンサス)”の切り戻しで忙しいのじゃ!
なんじゃ!”なでしこ”がペナルティとか…ゴールとか…

サッカーは嫌いである
高校に入学した時に「サッカー部に入ろう」と中学部のサッカー部の連中に誘われ
サッカー部に行った。
そこはラグビー部だった。
サッカー部は無くて、ラグビーしか無かったのである、
当時岩手は、ラグビーが盛んで、盛岡工業が全国制覇をしたりしていた時期だ

工業高校は「ラグビー」。商業高校は「野球」と色分けされていたような気がする
サッカーの「サの字」もでてこない

小生は一年生からレギュラーだった
(体格大きかったので「ロック」に抜擢されたが、ウドの大木用途だった)
大学も二年生からレギュラーだった
(人数が少なかった。全員合わせても15人確保するのがやっとの弱小チームだった)
そんなラグビー人生だから出身校が、花園の常連校になるなんて夢にも思わなかった
いまでこそ「〇〇高校のラグビー部出身」というと「へぇ〜すごい」と言わるが
当時は「岩手県内で17〜8番目の最下位グループにいた」
言い訳は「受験校だから…」と言いながら、そんなに大したものでもない

今の高校生は、すごい。というか
勉強もスポーツも両立しているのだろう。体格もすごい。
小生たちが現役の頃、対戦していたら、勉強もスポーツも大きく負けただろう

しかし、ラグビー人気はもうひとつである
見せれば、やってみれば面白いのに…

ところで「ちゃぶ台返しの世界大会」が開催されているが…
”なでしこ”とは、それの優勝候補なの?

月別アーカイブ : 2015年7月