IMG_0002

そば打ち教室(?)が始まった。
土日は、”梅さんの手打ちそば”が、メニューに載る日である。

梅さんとの付き合いは長い。
14〜5年になろうか…
当店が、有機農産物直売所から、こびるコーナーをつくり「食」というテーマを取り入れた時である
それまで直売所は農家が一方的に「美味しいですよ」「美味しいですよ」と言って野菜を売っていた。
「他と比べたの?」と聞くと
「自分のところで採れるものを、他から買わない」と言う
当たり前だが…
それでは買い求める人が納得するか?

そこで比較して食べさせたり、農家がどのように食べているか…とか
また農家でそばを打つ人が結構多い。農家に蕎麦を打たせよう…とか
と考え、簡易的な食べかたの提案みたいな”こびるコーナー”を造った。
そのメインメニューが手打ちそばであり、手打ちうどん(ひぼがはっと)であった。
ただ、そばを打つのは上手下手はあるが、ある程度の人ができる。
しかし、そばたれの味が、まちまちであり、もう一つである。
そこへ、お寺で知り合った梅さんを紹介してもらった。
梅さんは、もと手打ちそばの職人という触れ込みであった。
以前、岩手に来た天皇陛下に手打ちそばを献上したというのが自慢である
(当時は、食事はすべてお毒味役が食べてからの食事だったという。
毒味役の役人が渋ったが「ひきたて、うちたて。ゆでたて」の三たてで陛下に食べてもらい、
おかわりをしたと言う。それから宮殿でも三たてのそばを出すという)
その経歴は、さまざま渡り歩いてきたようだが一貫して20代で習ったそば打ちが縁でつながっているように思う。その梅さんが、そばたれの作り方(出汁のとり方、返しの作り方、温たれ、冷たれ」)を教えてくれたのである
「そばタレが美味しい」と評判になり、外山の中村りんさんの手打ちと相まって
「ちいさな野菜畑の手打ちそばは美味い」そして「安い」となった。
当時、手打ちのもり一枚500円だった(泣)

そんな中村りんさんが、腱鞘炎でそばが打てなくなって、梅さんにお願いしているのである
毎日、勤めがある梅さんは「土日、祝日だけなら…」ということでスタートした
そして日曜日の朝。そば打ちを始めると、初めて来た客だろうか…
一家5人が「朝定食!私 卵!」「納豆!ご飯は玄米にして…」
「わたしも玄米、とろろにして」と賑やかにきた一家が、
食べ終わって、いつの間にか梅さんの周りに陣取った。
そば打ち見学である

梅さんは一時期、岩手から東京のデパートなどで、そば打ちをしながら乾麺の出張販売をしていた
(手打ちのそば打ちが、なぜ乾麺になるのか?謎であるが…)
喋りながら、笑わせ、そばを打つのは得意である
あっという間にそばを打ち、注文を二枚取ってしまった。

自然と人が集まり、その人達が興味を持って売上につながる
それが、こびる食堂の想いである
「美味しいよ!」ではない。
「まず、見てよ、触って。読んでよ、聞いてよ、食べてよ!」

そんな食堂は無い。