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庭の梅が、そろそろ収穫時期である。
梅は、「かくねんけっか」である。
「かくねんけっか」とは、こういう字である

「隔年結果」

これは一年一年、豊作と不作を繰り返す言葉だ。

むかし、サラリーマンをやっていた時。
今月は、売上計画が100、結果は80、
翌月は前月比120%で計画達成、翌月は80%で怒られ、
翌月は計画達成で褒められる。
そのような一ヶ月の間隔で結果を出す。のがサラリーマンの智慧だった。
そうでないと毎月売上計画が大きくなって、毎回怒られる(?)
それも隔年結果と言う(ほんまかいな?)

 

庭の梅は、南高梅である。
幼かりし頃は、固い!しょっぱい!大きな梅干しの記憶しかない。
それが「フィリッピンに留学してポン引きのアルバイトをし始めた頃(前出Blog参考)」初めて行った食堂では

小梅に砂糖がまぶされてきた。

驚いた。気持ちが悪かった。食べる気がしなかった。
「甘じょっぱい」と言う味覚の精神の記憶が無かった。食べられなかった。
梅干しというのは、しょっぱくて白いご飯と一緒に、ガシガシ食うもんだった。
それが頭をガンと殴られ、頬を往復でビンタをされ、おしりをナデナデされたようなものだ(?)
この味覚の精神の記憶が、その後の人生に大きな影響を与えた(おおげさ)
今なら、喜んで食べられるだろうが…

 

そんな記憶の後、今度は大きな梅干しに出会った。
和歌山である。”ぶらくり町(和歌山の繁華街)”のブルースを唄っていた頃である。
(ご当地ソングの「和歌山ブルース」が流行っていた)
果肉が柔らかくて大きくて食べごたえがあって、しょっぱかった。うまかった。
それが南高梅であった。
当時、毎週のように大阪から和歌山に通っていた。
(余談 和歌山は敬語が無い国である。
やはり、てまりの唄でお馴染みの徳川御三家の紀州のお殿様の国だから
目上の人は、いなかったのかもしれない
おまけに、”ざじずぜぞ”が言えない人種である。
言うと「ダヂヅデド」になってしまう。
だから「めおとぜんざい」は和歌山弁で「めおとでんだい」と言う
日本には「日本人と和歌山人」と二種類いるということを、明記して欲しいとつくづく思った)

そんな和歌山で出会ったのが南高梅である。
”南の小高い山での栽培が適しているから”そう名づけたのかと思ったら
南部(みなべ)高校の育種選抜から名づけたと言う。
偉い!高校生の名前をつけるとは…
何事にもこだわらない、電車の中で鼻ちょうちんをして寝ているOLのようだ(?)

それから、あちこちの梅を探して食べ歩いたが、
梅干しは南高梅に限る、と精神の奥底に、ぶらくり町のネオンとともに刻み込まれた。
庭の有る家を建てた時、イザとなったらどういう時でも生きられるようにと”実のつく樹を!”植えた
柿の木と南高梅である。
柿はまずった。山のように生るのであるが、すべて渋柿である。
(岩手は渋柿しかならない。渋柿を干柿にして食べる文化である)
まして木のテッペンは、収穫できない。カラスの餌である。

そして南高梅は、春はこぶりの梅が咲き、梅雨は大ぶりの実がなる。
隔年結果のために、収穫に毎年差が出てくる
今年は不作年である。