いよいよ夏本番が始まった。

岩手町の田中清憲は、最初に絹さやを出してくる。
いよいよ春野菜の出荷が始まったか…と言う思いだが

そろそろ夏野菜の本番というとレタスである。
これが大量に出てくる
これが売るほど有るのである
ところが売り切れないので、困るのである
毎年6月の悩みは、レタスの大量入荷である。

レタスを最初に見たのは、学生時代である
下宿に名古屋出身のテニス部のおしゃれな先輩がいた。
その先輩は、はやりのビートルズをヘッドフォンで聞きながら、パンをかじり、葉っぱに塩をふりかけてムシャムシャ食べていた
まだ酒を知らない頃、小学生か…(中学校の頃は試し呑みをしていた。内緒だ)
葉っぱは、生で食べるものではなかった。
どんな葉っぱであろうとも、おひたしか…漬物か…煮物だった。
と言って、葉っぱといえば、ポパイの「ほうれんそう」である。
いまこそ小松菜とか、山東菜とか、水菜とかいろいろあるが、
酒を呑まない頃は、”ほうれん草しかなかった。”と思う。
そんな時代に、葉っぱを生で食べていた。なんと貧しいのだ!
茹でる時間も鍋も無いのか…と一瞬思ったが、
そのパリパリ食べる音が、なんとも美味しそうだった。

それが玉レタスとの衝撃的な最初の出会いだった。

結球しないレタスは、奈良時代から国内で食べられていたと言う、その時は「ちしゃ」と言っていたそうだ
品種改良のせいで生まれた玉レタスは、明治維新で持ち込まれ、敗戦で進駐軍が広めたと言う
そして高度経済成長の波にのり、食事も欧米化して一般家庭まで広がったのが1960年代だという
都会では60年代中頃から流通していたのだろうが、小生の衝撃的な出会いは1969年だった。

そんなレタスの二回目の衝撃は

産直をやり始めた時、レタスが大量に出荷された。
国内の野菜の流通は、産地リレーである。
つまり、愛知のレタスが終わったら、長野のレタス、群馬のレタス、岩手のレタスと切れ目がなく続く
ところがその繋ぎ目にどんなことが有るかというと
次の産地のレタスが早く採れ始めると、前の産地が生産が遅れ、大量に余ってくる
そして契約している都会のスーパーは、契約とはいえ安値の方を買い求める
(スーパーは「売れ行きが悪くて…」と言い逃れをして契約を破棄する)
注文が浮いたレタスを地元の市場にだすと、量が多いので値段が暴落する。
(逆のケースもある。足りなくなって高騰する場合も…)
しかたなく畑でトラクター踏み潰すはめになる。(よくテレビで放映され賛否が渦巻く)
そして産地リレーを作った農林省は、潰した農家に補助金をだす

そんな仕組みになっている
だから産地リレーは、都会に野菜を安定供給するためであるし。地方の農家の生産を保証するためである
都会の人達は、そんなことを知らずに「踏み潰すのはもったいない」と言い「補助金だのみの農業はお荷物だ」と言う
すべて都会を中心に回っている農政のせいである

そんな農業でいいのか?

いや、こんな話ではない

その二回目の衝撃であるが、大量に出たレタスを
「いくらなんでも、こんなに売り切れない。一家族で2個も買ったら精一杯だ」と言うと
「おらだぁ〜、すお振ってくぅじゃ〜。なんぼでもへぇる(俺達は塩を振って漬物で食べれば、いくらでも体に入る」
と言う

エッ!レタスの漬物?

驚いたが、食べてみたら、さっぱりしてシャキシャキして美味しい
昔、塩漬けの白菜にご飯をくるんで食べるのが好きだったが、それと同じだ

これはいける

それから、大量のレタスは、漬物に限る
レタスは、今だけなので売り切らないと…
100円である。
漬けたものは200gで
生は2個で…

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