ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

鉄ちゃんの写真

 

 

いつも、毎朝来る人たちがいた
と言って、何を買うわけではない
何があるのか?をみて、レジの娘や魔子様と話をして帰るのである

作業服を着ている。歳は団塊の世代だろうか…
だから近くの会社の掃除などの作業を請け負っている会社なのか?

或る日、「定年になりました」と言って挨拶に来た
「毎日が日曜日になります」と言いながら、JRの子会社に勤めていたと言う
近くのバス営業所に座席の枕カバーを交換するために通って来ていたと言う

 

そして三ヶ月ほどたった或る日
背広を着てやってきた。
「前に駅長をやっておりました。今、もと鉄道病院の医者の運転手をやっております。」と言いながら
「写真すきですか?」と言う

嫌いではないが、分野に寄るなぁ〜などと考えていたが
口では「好きです」と言ってしまった
「それでは…持ってきます」と言いながら何枚か鉄道の写真を持ってきた

素晴らしいきれいな写真である
当店に飾っておいて、必要なときに持っていけば…
家で眠らしておくのはもったいない

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素人カメラマンから譲ってもらって、額を付けたと言う

そのうちに店内に並ぶだろう!

 

ピーマンが死んだ!

 

食堂用の白米は、魔子様が羽釜炊きで炊いている

 

小生は、圧力釜で毎朝3回ご飯を炊く

一回目はお握り用の塩飯玄米(無農薬米)
二回目は赤飯用の塩飯餅米(ひめのもち)
三回目は食堂用の玄米(無農薬きらほ)

コメが違い、水の量が違い。炊き上げる時間が違う。
それと釜が温まっているかによって、かかる時間が違う
調理は科学である。頭脳がいるのである

またその間に、お握りを作る。
そのお握りに、漬物をつける
これがまた、ぬか漬けだったり、塩漬けだったり、味噌漬けだったりする
そして、その漬物を入れる紙皿が…
何色にするか?
料理は芸術である。右脳がいるのである。
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要するにお握りと漬物と、その色合いで紙皿の色を決める
これは大根とズッキーニとピーマンのぬか漬けである。
ズッキーニの黄色と、大根の白が映えるように緑の紙皿にしたが、ピーマンが死んだ!

 

朝の7時からの格闘である
仕事は格闘である。体力がいるのである。

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一週間

 

魔子様が「今晩、くるからね」と言う。
三人の子どもが、みな家を出た。
二人だけになると、何も話しをすることがない
いや有るのだが、喧嘩になるだけだから要件だけ話をする

近くでアパートに住んでいる娘が来るらしい。
いつも電話やメールで連絡をしているのに、会って話をすることが、あるのか?
と思うのだが…
来れば来るで、夜遅くまで話をしている。
小生は、付き合ってるヒマもないので、自室にこもって寝る
ところがその日は、何時になってもこない。
魔子様は、娘の好きなものを作って待っていた。
小生は酒を持って自室に戻り、ベッドに入った。

翌朝、「来ているのか?」と聞いたら
「よくメールを見たら一週間間違えていた」と魔子様

 

 

先々週の日曜日。魔子様が
「今晩荷物が届くからね。あんた宛!」という
何か、不在配達の証明でも来ていたのか?と思ったが
待っていても。来ない
そのうちに、忘れて寝てしまった。

先週の日曜日、魔子様が母屋の母親に食事を届けにいった
自宅のドアが「コツコツ」となった。
ドアホンが壊れているのである。
魔子様は「壊れております」という張り紙をしていただけである。
直せばいいのに…と思ったが、小生の役目か…

ドアを開けたら宅配便だった。
「父の日」だと息子からの荷物だった。
母屋から戻ってきた魔子様は、配達の指定日をみて
「一週間、間違えている。いやね。あの子は…」

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初めてのデートは、帝国ホテルのロビーだった。
6月は結婚記念日と魔子様の誕生日と…。
お世話になった人の命日と…

さまざまある

 

最高の技術

 

寒い!

本当に寒い。
朝、少し気温が上がらないようだから…と、シャツを一枚重ねた
それでも寒い。
食べれば、暖かくなるか?
ところが残り物の玄米に、納豆だ
魔子様は、温かいうどんだ!

腹一杯になって、横になったら少し眠れた。
しかし、目覚めたら寒い。

いよいよ。たまらんようになってストーブに火を入れた

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店はひろいが、ストーブの周りだけ暖かくなれば良い。
寒い人は、ストーブの周りに集まる。
ところが、こんな寒い雨の日に買い物に出歩く人はいない。

 

大体が最高気温が17度だという
今の時期の寒さは成長が遅れる程度で決定的な問題にはならないが
稲は、17度を下回ると成長に影響が出てくる
しかし、それは岩手で言えば7月25日ぐらいの幼穂形成期である。
穂ができるころの低温は、穂が受精しない不稔障害を起こす
それをクリヤーしても8月末の低温は、登熟障害を起こす。
これは種籾に十分に澱粉がたまらない状況である。
稲は、幼穂形成期に籾の数量がきまり、秋に籾の中に澱粉がたまる仕組みになっている
だから穂が出ても、ジョキンと立っているが、溜まるに従って重みで穂が垂れてくるのである。
それが積算温度800℃(品種に寄るが…平均気温の合計(例)20℃×40日=800℃)が必要なのだが、
低温が続くとそれに満たすことができない
平成5年の大冷害は、不稔障害と登熟障害と二つ重なって大凶作となった

そのとき(平成5年)小生は、4市町村にまたがって23枚の田んぼを借りて有機稲作をやっていた。
周りはすべて稲刈りができず、草刈機でなぎ倒していた時に、小生は6〜7俵の収穫を上げた。
有機稲作4年目である。
近所の古老は、「名人だ。名人が現れた」と名指しで褒められた
ちょうど同級生が農業試験場の水田作課長をやっていた。彼に見てもらったら
「たまたま肥料設計が、あたっただけだ」と簡単に言いはなった。
行政は有機栽培を認めていなかった。
その年は、有機でやっている稲作は、収量は少なかったが、壊滅ということはなかった。
「有機稲作は、冷害に強い」と言う評判ができた。

小生の分析では、
有機稲作は有機物を肥料として投入する。それを微生物が分解して無機の窒素肥料として稲が吸収する。
ところが慣行栽培(化学肥料)は、最初から無機の窒素肥料を入れるために、低温になろうと、どんどん稲が吸収する
ところが有機は、微生物が活発に動かないと有機物を分解しないし、無機物として吸収もしない。
だから低温だと窒素肥料を吸収しないのである(微生物は活発に動く温度は25℃以上である)
植物は葉っぱに光合成でブドウ糖をつくる、それが窒素肥料を結びついてタンパク質(アミノ酸)をつくるが、
根から吸われる窒素が多くなると、成長阻害要素が生まれ、成長が止まる。
稲も、吸収した窒素と光合成からできるブドウ糖のバランスが大事なのである
そのバランスを有機栽培の場合は微生物という生物が、気温によって勝手に分解の量やスピードを調整してくれるのである
だから有機栽培は、なまけものの栽培である。と言える(?)

 

その後、盛岡の南である老農に出会った。
その老人は、水田を階段状に作って上から温まった水を落とし、下に来たぬるくなった水をモーターで上にあげて水管理をしていた
そして、その老農がつけていた帳面を見ると、水温や草丈、肥料の量、天気、気温とすベテのデーターが何十年と記録されていた
(篤農家とは、記録する人だ)
その老農の水田の中は、足あとで踏み固められていた。
つまり、毎日のように稲の間を歩いていたのである。
その彼は平成5年の大凶作のとき「あのとき、あそこで窒素を振っていれば、12俵は採れたのに…」と嘆いた。
周囲が1〜2俵しか採れない時に11俵の収量を上げたのである
彼は一株一株見ながら、化学肥料をグラム単位で振って歩いた。
彼は、稲と対話ができる人だった。

有機栽培がいいのではなく。その人の植物を向き合う姿勢なのだろうと強く思った
食べものは、豊作の時に腹一杯食べて、不作の時は食べなくていい、という風に人間の身体はできていない
安定して一定量の収穫を、どんな天気でも作れるのが最高の技術である
有機栽培であろうが、慣行栽培であろうが…。

かくねんけっか

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庭の梅が、そろそろ収穫時期である。
梅は、「かくねんけっか」である。
「かくねんけっか」とは、こういう字である

「隔年結果」

これは一年一年、豊作と不作を繰り返す言葉だ。

むかし、サラリーマンをやっていた時。
今月は、売上計画が100、結果は80、
翌月は前月比120%で計画達成、翌月は80%で怒られ、
翌月は計画達成で褒められる。
そのような一ヶ月の間隔で結果を出す。のがサラリーマンの智慧だった。
そうでないと毎月売上計画が大きくなって、毎回怒られる(?)
それも隔年結果と言う(ほんまかいな?)

 

庭の梅は、南高梅である。
幼かりし頃は、固い!しょっぱい!大きな梅干しの記憶しかない。
それが「フィリッピンに留学してポン引きのアルバイトをし始めた頃(前出Blog参考)」初めて行った食堂では

小梅に砂糖がまぶされてきた。

驚いた。気持ちが悪かった。食べる気がしなかった。
「甘じょっぱい」と言う味覚の精神の記憶が無かった。食べられなかった。
梅干しというのは、しょっぱくて白いご飯と一緒に、ガシガシ食うもんだった。
それが頭をガンと殴られ、頬を往復でビンタをされ、おしりをナデナデされたようなものだ(?)
この味覚の精神の記憶が、その後の人生に大きな影響を与えた(おおげさ)
今なら、喜んで食べられるだろうが…

 

そんな記憶の後、今度は大きな梅干しに出会った。
和歌山である。”ぶらくり町(和歌山の繁華街)”のブルースを唄っていた頃である。
(ご当地ソングの「和歌山ブルース」が流行っていた)
果肉が柔らかくて大きくて食べごたえがあって、しょっぱかった。うまかった。
それが南高梅であった。
当時、毎週のように大阪から和歌山に通っていた。
(余談 和歌山は敬語が無い国である。
やはり、てまりの唄でお馴染みの徳川御三家の紀州のお殿様の国だから
目上の人は、いなかったのかもしれない
おまけに、”ざじずぜぞ”が言えない人種である。
言うと「ダヂヅデド」になってしまう。
だから「めおとぜんざい」は和歌山弁で「めおとでんだい」と言う
日本には「日本人と和歌山人」と二種類いるということを、明記して欲しいとつくづく思った)

そんな和歌山で出会ったのが南高梅である。
”南の小高い山での栽培が適しているから”そう名づけたのかと思ったら
南部(みなべ)高校の育種選抜から名づけたと言う。
偉い!高校生の名前をつけるとは…
何事にもこだわらない、電車の中で鼻ちょうちんをして寝ているOLのようだ(?)

それから、あちこちの梅を探して食べ歩いたが、
梅干しは南高梅に限る、と精神の奥底に、ぶらくり町のネオンとともに刻み込まれた。
庭の有る家を建てた時、イザとなったらどういう時でも生きられるようにと”実のつく樹を!”植えた
柿の木と南高梅である。
柿はまずった。山のように生るのであるが、すべて渋柿である。
(岩手は渋柿しかならない。渋柿を干柿にして食べる文化である)
まして木のテッペンは、収穫できない。カラスの餌である。

そして南高梅は、春はこぶりの梅が咲き、梅雨は大ぶりの実がなる。
隔年結果のために、収穫に毎年差が出てくる
今年は不作年である。

しょうげき

いよいよ夏本番が始まった。

岩手町の田中清憲は、最初に絹さやを出してくる。
いよいよ春野菜の出荷が始まったか…と言う思いだが

そろそろ夏野菜の本番というとレタスである。
これが大量に出てくる
これが売るほど有るのである
ところが売り切れないので、困るのである
毎年6月の悩みは、レタスの大量入荷である。

レタスを最初に見たのは、学生時代である
下宿に名古屋出身のテニス部のおしゃれな先輩がいた。
その先輩は、はやりのビートルズをヘッドフォンで聞きながら、パンをかじり、葉っぱに塩をふりかけてムシャムシャ食べていた
まだ酒を知らない頃、小学生か…(中学校の頃は試し呑みをしていた。内緒だ)
葉っぱは、生で食べるものではなかった。
どんな葉っぱであろうとも、おひたしか…漬物か…煮物だった。
と言って、葉っぱといえば、ポパイの「ほうれんそう」である。
いまこそ小松菜とか、山東菜とか、水菜とかいろいろあるが、
酒を呑まない頃は、”ほうれん草しかなかった。”と思う。
そんな時代に、葉っぱを生で食べていた。なんと貧しいのだ!
茹でる時間も鍋も無いのか…と一瞬思ったが、
そのパリパリ食べる音が、なんとも美味しそうだった。

それが玉レタスとの衝撃的な最初の出会いだった。

結球しないレタスは、奈良時代から国内で食べられていたと言う、その時は「ちしゃ」と言っていたそうだ
品種改良のせいで生まれた玉レタスは、明治維新で持ち込まれ、敗戦で進駐軍が広めたと言う
そして高度経済成長の波にのり、食事も欧米化して一般家庭まで広がったのが1960年代だという
都会では60年代中頃から流通していたのだろうが、小生の衝撃的な出会いは1969年だった。

そんなレタスの二回目の衝撃は

産直をやり始めた時、レタスが大量に出荷された。
国内の野菜の流通は、産地リレーである。
つまり、愛知のレタスが終わったら、長野のレタス、群馬のレタス、岩手のレタスと切れ目がなく続く
ところがその繋ぎ目にどんなことが有るかというと
次の産地のレタスが早く採れ始めると、前の産地が生産が遅れ、大量に余ってくる
そして契約している都会のスーパーは、契約とはいえ安値の方を買い求める
(スーパーは「売れ行きが悪くて…」と言い逃れをして契約を破棄する)
注文が浮いたレタスを地元の市場にだすと、量が多いので値段が暴落する。
(逆のケースもある。足りなくなって高騰する場合も…)
しかたなく畑でトラクター踏み潰すはめになる。(よくテレビで放映され賛否が渦巻く)
そして産地リレーを作った農林省は、潰した農家に補助金をだす

そんな仕組みになっている
だから産地リレーは、都会に野菜を安定供給するためであるし。地方の農家の生産を保証するためである
都会の人達は、そんなことを知らずに「踏み潰すのはもったいない」と言い「補助金だのみの農業はお荷物だ」と言う
すべて都会を中心に回っている農政のせいである

そんな農業でいいのか?

いや、こんな話ではない

その二回目の衝撃であるが、大量に出たレタスを
「いくらなんでも、こんなに売り切れない。一家族で2個も買ったら精一杯だ」と言うと
「おらだぁ〜、すお振ってくぅじゃ〜。なんぼでもへぇる(俺達は塩を振って漬物で食べれば、いくらでも体に入る」
と言う

エッ!レタスの漬物?

驚いたが、食べてみたら、さっぱりしてシャキシャキして美味しい
昔、塩漬けの白菜にご飯をくるんで食べるのが好きだったが、それと同じだ

これはいける

それから、大量のレタスは、漬物に限る
レタスは、今だけなので売り切らないと…
100円である。
漬けたものは200gで
生は2個で…

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はながらつみ

そろそろ苗の販売も、お終いだ。
パンジー・ビオラに始まり、マリーゴールド。インパチェンスときて夏の花の植え替え時期である
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これは出遅れた遠藤幸悦のマリーゴールドだ。もう花壇もイッパイだ。
植え遅れた人のために三鉢100円だ!

 

店を始めたころは、花壇苗、野菜苗が結構売れた。
もう20年になるが、当時は花苗や、野菜苗は、八百屋で売っていいた。
つまり、苗農家が苗を作れない稲作農家から依頼され、余分を市場に出していた。だから八百屋の商品だった。
八百屋は専門知識がないから「トマト」「キュウリ」「なす」などとしか表示していなかった。
それを、ちいさな野菜畑では品種を明記した。
「桃太郎」「桃太郎8」「麗夏」「夏すずみ」「南極2号」「千両」などなど

 

また当時は種苗メーカーが、桃太郎を売りだした時期だったので、一気にトマトは桃太郎が美味しいと思われ、
品種を指定して買い求める客が増えた。
マスコミの力はすごい。
「甘い桃太郎トマトください」「これ甘いですね」という客に、いちいち答えた
「栽培方法で、甘くなります。水ストレスと言って水やりを制限することで甘くなります。品種ではありません」
と何回繰り返しただろう
それでも客は、これ甘いですか?甘いトマトください。と今でも言う。
今、桃太郎は品種が10種類近くなって、そろそろ新しい品種が生まれてきそうである。

 

品種を書いて販売したことが客の興味を引き、客が集まるようになってきた。
つぎには他がやっていない品種を、店の独自のリスクで作り販売するようにした。
それは種を買って、農家に委託するのである。(黄色いトマト・白い茄子・げきから唐辛子。海外の種等々)
他で販売していない品種なので、また客が集まった。
しかし、その頃から苗の専門店ができてきた。
苗の専門店は、そばに栽培ハウスをもち、ハウスから売り場のハウスに苗を移した
苗の販売は、管理が大変である。
また植える時期があるので、売り場が、すぐ変わらないといけない
売れていた時は、回転がよく、次から次へと持ってきても、すぐ売れ、毎日のように補充した。
ところが苗専門店ができ、またDIYの店が大々的に苗を扱うようになると、売れ行きが鈍くなってきた
当然である、野菜などの食糧は、人の胃袋に入る量しかうれない。
苗も、花壇の面積や菜園の面積ぶんしか売れないのである。
プランターに、いくら植えても知れている。

そうなると競争である。
安売り競争が始まり、今度は早売り競争が生まれた。早く売り場に並べて販売するのである。
それが西から余り苗をもってきてうる。また海外から輸入して売る。
(土の輸入は禁止なので、ロックウールという化学繊維に播種して芽出しをして輸入し、日本で土を入れたポットに植え替えるのである)
そうなると地元の業者はお手上げである。
今や、苗の生産は、種苗メーカーや、化粧品メーカー、洋酒メーカーなどが全国的に各地の農家に委託生産し販売している

20年の間に、これだけ変わった。
変わらないのは、管理である。
苗売り場に置いてある苗は、水やりがかかせないし、
咲き終わった花や、黄化した葉っぱをとらないと、見栄えが悪くますます売れない。

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そして新入社員を痛めつけるように、どんどん花を摘まないと、「なりグセ」がつかないのである。
(”新入社員は叩いて許育をしないと、伸びない”という考え方。ゆとり教育世代には通用しないが…)
子どもの教育と、植物を育てるのは、よく似ている(?)

 

だしはじめました。

以前からやっていた「だし定食」を始めた。
山形の郷土料理の「だし」である
九州の「冷っちる」に似ているような気がするが…
やはり暑い夏を凌ぐには、食欲をそそり、さっぱりとガシガシ食べる料理が必要だったのだろう
発明は必要の母というが、料理も必要に迫られて、つくるのだろう

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「だし」は簡単である。
野菜を切り刻んで昆布を入れればいいだけである
ところが、みじん切りは面倒臭い。
だいたいが、切れない包丁を細かに動かすなどという芸当は、指を切るだけである。
なんど、みじん切りで指を切ったことか…
指が一部短くなっているのは、そのせいかもしれない
(小指のこと、落としたわけではない?)

しかし、切る野菜は、”夏やさい”でないといけない。
”夏やさい”といえば「トマト」と思う同居人はいるが
トマトは、入らない。
「胡瓜」「茄子」「オクラ」「葱」「茗荷」などだが、人によっては玉ねぎや人参を入れる人もいる
だからそのへんにあるものを、適当に細かく切ってわからないようにすればいいのだ。
どうせ同居人が食べるのだから…
とトラ子は思う。(それではいけない!と強く反論した入道であった)

 

そんな面倒臭い料理をつくった。
昆布のかわりに、陸中海産の和布蕪の粉である。
和布蕪を読めない人にふりがなを付ける「めかぶ」である。
和布(わかめ)の蕪(根本)と言う意味である。
以前、山地酪農から生の和布蕪をもらったが…
切り刻もうとしてもヌルヌルして均一に刻めないので、止めた
「切って持ってこい」と返してやったが…
それだけヌメリがあるのだ。
陸中海産は、なぜか花巻にあって全国販売している。。
海産物が、なぜ内陸なのだ?と問われるだろうが
海産物は内陸は憧れの食材である。それを大船渡から持ってきて内陸で売っていたのだろう
3.11以前は、三陸の海産物は内陸を経由しないで、直接築地に向かった。
だから三陸と内陸と結ぶ業者が、昔から必要だったのかもしれない

豆ひろい

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小豆が好きである。
昔(酒を呑み始める以前=若い学生の頃(?)は、小豆というか「あんこ」が大好きだった
というか、以前は甘いモノといえば「あんこ」しかなかったような気がする
しかし、ごま塩を振った赤飯も大好きである
赤飯好きは、餅米が好きだったせいかもしれない

いずれにせよ小豆は、大好物である。
今、店では赤飯の俵型のお握り造っている。
小生の役目だ。
豆を、一晩うるかしておかなくても良い
小豆と水を入れて、圧力を掛ける。圧力が下がったら、餅米を入れる
簡単に素早く、赤飯ができる

 

直売所をやり始めた頃、小豆をはじめ、なんで、”さまざまな豆を岩手では作っていないのだ”と思った。
豆は、いつも食べるものだ、大豆にしろ、隠元にしろ、小豆でも…
まして岩手は、豆と雑穀の文化であるといわれていた。
それが豆類が、殆ど作られていない。売られているものは、中国か?または北海道産である。

転作が始まっても農林省主導の転作だから、大豆である。
あの豊富な在来種の豆が、ほとんど作られない地域農業は

これでいいのか?

と思ったものだが
よく調べてみると、あまりにも価格が安いのである
結局、外国から入ってくる豆が安いために、大量に作らないと価格を下げることができない
だから北海道が豆の産地となり、機械化で量産しているのである
本当に高く売れる在来種や、根付いた食文化のものだけが農家がほそぼそと自家用に作っている

もともと日本人はカルシュウムを肉や乳製品ではなく、小魚や野菜から摂取していた
野菜の中で主に豆類なのである。
だから、相当豆を栽培していたと思われるのだが、以前は、あまり豆の産地というのは聞かない

聞くのは、「田んぼのあぜに植えた」と言う大豆(あぜまめ)である。
”田んぼのあぜに植えた大豆は、しっかりと根を張り、あぜが崩れるのを防ぎ、
豆は枝豆として…大豆として食べ、また茎葉は飼料になった。”
と言う話だ。つまり主食ではないが重要な作物であるから。土地の有効活用に利用した”野菜”ということだろう(推測)
だから地域根ざした豆が多いのだろう
五穀豊穣と言う五穀は「米」「麦」「稗」「粟」「大豆」を言う
それだけ古い歴史があるのだ…

 

初冬に農家に行くと、見えない奥さんを聞く

「奥さんは?」
「豆拾いだ」

ふ〜ん?ミレーの落穂ひろいのように、畑で豆を拾っているのか…と思ったら
納屋で、収穫した豆を広げて
商品として売れるものと、自家用と…豆を拾い分けているのである。
大変細かな、根気のいる作業である。
選別しないで、その分安く売ればいいのに…と思っていたら

ある農協の幹部は
「農家に支払っているのは、野菜の代金ではなく、選別の手間賃だ」
と言う

再稼働

食堂の営業は、許可期間がながい。6年である。
最初は、”こびるコーナー”から、スタートした
”おかろ”のまわりに10人ぐらい座れる席をつくり、ウドンとそばを始めた
その後、客席を広げ、厨房を拡大した。こびる食堂のオープンである。
それから弁当と惣菜を足した。
じょじょに拡大の罠にはまっていった。

飲食業は、若い人の仕事である
なんと言ったって、長時間の体力勝負である。
8時間労働などと甘っちょろい労働ではない
昼食の用意が9時頃から始まって、夕食の片付けが11時過ぎというのがザラである
新しいメニューの開発や段取りは営業時間外にやらなければならない
昼の休憩も飛んでしまう
小生が配達している店なんか、夕方に行くと。暗い店内に茣蓙を敷いてシェフがごろ寝をしている
というのが日常茶飯事である。
休みの日も配達の電話がかかってくる。朝は8時過ぎから注文が有る
エネルギッシュでない勤まらない

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そんな飲食業の許可更新が6年単位というのも、考えさせられる
あと6年後は、70になっている。
仕事をやり続けられるのか…
そんなのに許可申請して良いのか?定年と言うのは無いのか?

と思いながら許可更新の講習を受けた。
2時間椅子に縛り付けられて、食中毒の勉強である
カンピロバクター。ノロウイルス。O157、アニサキス。ウィルシュ菌
なにがなんだかわからんが、技師と呼ばれる若い女性の抑揚のない棒読みの講習を聞かされた。
もうすこし、”朗読の技(?)”を身につけないと、多くの居眠りがうまれそうだ

ただ聞くだけの講習を終わると脱兎のごとく許可証をもらって店に帰った
店についた途端、魔子様が
「大変!冷蔵庫が…昨日の雷で…」
と言いながら電源が切れている冷蔵庫を指さした
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そとの電力計をみても

100Vは、くるくる回るメーターであるが
200Vは、点滅するメーターである。
200Vが動いているのか…作動していないのか…

こういう時はもっと電気を勉強すればよかったと痛切に思う
そして決算書を見る時は、もっと会計を勉強すればよかったと痛切に思い
女性を見れば、もっと昔から人を見る目を養えば、と痛切に想う。(魔子様ではない。絶対に…)

たしか講習会で習ったのは
「冷凍庫が故障で、中に入れてあった鰹の温度が下がり、細菌が繁殖して、それごと缶詰にしてしまった」という事故例を聞いたばかりだ
ひょっとして冷凍庫のものが溶けかかって…

と触ってみたらさすがにメーカー品である。
扉の厚さがしっかりと外気温を遮断していた。

そして連絡がとれたメーカーの若いメンテの担当は…
「渦電流が流れたのですね。真ん中の青いボタンを押してください」

冷蔵庫は再稼働した。原発は再稼働してほしくない。

月別アーカイブ : 2015年6月

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