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久しぶりに北上に行った
一年ぶりだろか?

昨年、7月に入院してから、なかなか行く機会が無かった。
いや実際は、あるのだが車を運転するのが怖かった…
というか、病み上がりで筋肉が衰え、店のトラックハイエースの運転台に登るがやっとであった。
登ったら降りられない(泣)
というか、荷物の積み下ろしには何の役にも立たない
黙ってみているだけである。

先日も、生産者の奥さんの葬儀があったが、ランパスの皿洗いで欠席した。
こちらは軽のNボックスで行こうと思ったが、人手が足りなくて結局皿洗いを外れることが出来なかった(大泣)

今回、副住職(モヒカン坊主)の助手で行くことになっていたが、副住職は急に葬儀が入ったという
本当に亡くなるときは、お寺の売上計画通りに逝って欲しいと思う。
年末年始やクリスマス、幼稚園の入園式などのときは遠慮して欲しい(お寺の内部事情 代弁)

そこで独りで運転していくはめになったが、行った先でも焼香しないといけない
一軒の農家からハイエースに米を積んで(もらって)、それからもう一軒の農家に回った。

なんとか運転台に座ることは出来たが、今度は仏壇のまえに座ることができない
「棒のように」と言う形容詞がある
足を棒のようにして歩きまわる。とか
足が棒のようになった。とか
犬も歩けば棒に当たる、など
棒さんかんざし刺すをみた(?)

いろいろとあるが、棒のようにではない
足が棒なのだ。
むかし、下半身デブという女性に会ったことがある
スカートに隠れているが太ももが異常に発達した女性だった
別にスカートを捲ってみたわけではない
たまたま、触ったらめくれただけである(それはどうでもいい)

その足が足首から膝、太ももまでむくんで、一直線なのである。
つまり曲がらない。
脚が曲がらないと、いいことと、悪いことがある
良いことは「自転車に乗れ!」と強制されないことである
脚が長いから地面についてしまう。
悪くないことは「スピード違反でつかまらない」ことである
アクセルを踏みっぱなしでも「病気だ」の一言で片がつく

しかし、単なるこの症状を治すことができないというのは現代医学はどないなっているのじゃ?
西洋医学は、単に「あふれるほどオシッコがでるように利尿剤を飲め」という
東洋医学は、「内臓に細胞水を貯めこんでおく力が無くなった。内蔵が弱っている。」と言う。
おまけに「酒が美味しくない」というと「そんなにむくんだら当たり前だ!」と一喝された

とりあえず膝が十分に曲がらない、足首が曲がらない。だから正座も胡座もかけない(いびきはかける)
とりあえず中腰で焼香し、話をしようとしたら、なんとなく居づらい雰囲気である
大きな家の奥の一室に祭壇が会ったが、奥というだけでなく静かだった。
本人は言わないが、後から聞いたら、奥さんが亡くなった後、息子夫婦は家を出たという。
なんと…

嫁と姑と言うのはテレビドラマでよくテーマになる
しかし、もっと陰湿でひどいのは農家の長男と父親である
肉親だけに遠慮がない。そして自然相手は、結論がでない農業である。
だからこそ人生に裏打ちされた親としての経験と、若者の旺盛なやる気とのぶつかり合いは激しい
ぶつかり合いや殴り合いの喧嘩から、家からの追い出し、一切無視まで、さまざまな手法で相まみえる

地元の名士だけに、どう解決するのか
見てきた農家は、ほとんどが時間が解決していたが…