ラーメンの神様が死んだ」と言う記事がでていた

ラーメンを初めて食べたのは、中学生のころ近くのルモン食堂だったような気がする。
それまでは麺といえば、ウドンかソバで、まぁ好きだったが、美味しというほどでもなかった。
覚えているのは、仙台から岩手に引っ越してきた時に近くの蕎麦屋からとったウドンだ。
引っ越しで鍋や釜が無かったのだろう
布団のない掘りごたつに足を突っ込んで家族で、まっ黒い汁のウドンをすすったことを覚えている
昭和35年頃の春休みの頃の想い出だ。

そして近くの及川商店に、玉うどんをいつも買いに行かされた。
そんなところへ、ホルモン食堂ができた。酒を置いている大人の店だから、気安く入れない。
それ以上に外食などというのは、ほとんどあり得なかった。
店が、開店して数年後だったか、現場から家に戻ってきた親父と中学生の頃、初めて足を運んだ。
ほとんど無言で、中華そばを口に黙々と入れた。美味しかった。
薄い醤油味に脂が浮いて、今でも、これこそ中華そば!という想い出の味である
それが外で食べた初めてのラーメンであった。

その後、インスタントラーメンが出てきた。
高校受験の勉強のために遅くまで起きていると、お湯をかけただけでできるインスタントラーメンをお袋が作ってくれた
箱単位で買ってあったのだろう、いつもでてきた。
これが食べたさに受験勉強をしたようなものである。
高校受験は、インスタントラーメンの勝利である(?)
大学受験は、浪人して仙台でパチンコ屋に行き過ぎた。
大学受験は、パチンコ屋の勝利である(?)

学生時代は、グランドのそばの美松食堂で腹一杯食べられるものをツケで食べまくった
一番食べたのが「ラーメンライス大盛り」であった。
「どっちを大盛りにするの?」と野暮なことは聞かない。
どっちも大盛りである。
その次に「阿部定」である。これは息子を切り取ったサダに名をとって付けたものではない。
阿部という男が、いつも食べる定食である。

「あべてい!」と叫ぶと、”たぬきうどんライスに焼き魚”が出てくる。
いずれにせよ炭水化物の大盛りに、少しだけタンパク質という学生の定番である。

それが社会人になってスーツを着て食事をする身分になってしまった。
最初は新橋の近くのサラリーマン食堂、「にこにこ食堂」「おっぴっぴうどん」
出来たばかりの「吉野家」(会社が肉を納品しているので食べろと強制された)
当時150円だった。大盛り180円

そんな中「ぴあ」が発売された。
コンサートの案内の雑誌なのであまり関係がなかったが、いつのころか「ぐるめぴあ」というのが発売された。
当時(昭和50年代後半)は、池波正太郎に凝っていて、神田の藪、池之端の藪などと言う蕎麦屋から文庫本を片手に食べ歩いたものである。

それに”ぐるめぴあ”が重なった。
そこにサンシャインの裏に「大勝軒」はあった。

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汚い店であった。長い長い行列が作られていた。
ようやくやってきた出番に

「ラーメン大盛り」とカウンターに言うと

店内の客が一斉に振り向いた。
待っている間も、ちらちらとこちらをみる。
初めての小生は ”なんだ!この雰囲気は?”と思った
出てきたのは、洗面器だった
ラーメンの玉が山となっていた。

「食べ残し厳禁」という張り紙が見えた。
死ぬ気で食べた。
そんな想い出である。