ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ランパスⅢ

中だるみである。
学生時代のランパスは、中だるみになるとジョッキングをした。
ようするに100mをパスしながらランニングするのであるが、疲れてくるとスピードが落ちる
そこで一往復ジョッキングを入れて、また100mダッシュをパスをしながら繰り返すのである

学生時代のランパスは、前日の酒を抜くために汗を流したようなものだが…
今回のランパスは、お金が流れ落ちていくようなものである

企画した人は「最初盛り上がって、中だるみなり、後半にまた使いきらないと…と言って盛り上がる」
と言っていた。そのとおりに中だるみになってきた。
以前は、11時と言うと、列をなして入場してきたものだが…
最近は、11時過ぎても入ってこない。
当初12時半までに予定していた数量が出て行ったが
今は、2時頃まで大丈夫である。
しかし、痛し痒しである。
売れれば売れるほど、赤字が増える

いや赤字が増えるだけならいいが、
「予定終了しました」というと「チェッ!」と舌打ちする人もいる
食べても、店内を見ずにまっすぐ帰る人もいる
小学生の子を二人も連れて、三人でランパス定食を食べるセレブのようなご婦人
4人全員が、ランパス定食を頼む家族。
年金をもらっているような老夫婦
定年になって、家にいられないのか午前中に食べに来る老紳士
なんだか徐々に安物の定食屋という感覚になってきた。

小生も本を二冊持っている。
一冊は、店において客との話題提供である
もう一冊は、定休日に家内と一緒に食べに行くランパスである
メニューが限られてくるので、独りがランパスメニュー。
もう一人が別メニューを頼むのである
ようするに店の雰囲気やサービス、他のメニューの内容などを比較するのである。
店の方も安くしているのだから、他のメニューを選ぶのが礼儀ではないか?と思ったりするのである
「本を買ったから当然!」というのもよくわかるが…

店としては、安くして新規に来店する見込み客を増やしたいのである。
しかし、現状では安いランチが食べられると言う雰囲気にとられ
本来の目的が失われているような気がする。

そんなところへ、ランパスの企画屋がまたやってきた
「連休明けの5月に第4回めをやりますが…参加しませんか?」
5月6月は最盛期である。冬のように暇なら付き合えるが、5月6月は無理である
と頭から想っていた。

しかし、考えようである
本来のランパスの目的を目指して、やりようがないか?
いろいろと下手な考えをめぐらしている間に気がついた
「安いから」と言う客がこられないようなものを提案したらどうだろう

そこで、もう一度、広く深く下手な考えをめぐらしている
多くの人は言う「ランパスなんかやめたら!」

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引っ込む

店の暖房は、薪ストーブである。
この薪ストーブは、優秀である。
もう炊き始めて、13〜4年になろうか…
故障が無い。
通常は故障というか、熱で変形したりして接合部分が歪んだりするのであるが。
このストーブは、9ミリの鉄板である。
当時、鋳物のストーブがもてはやされたが、なぜか鉄板にこだわった。
たぶん熱で変形したりして破損することがあるだろう
そんな時、地元の鍛冶屋で簡単にばらして修理できるという目論見である
しかし一度も、そんなことはない。
そして、ストーブの上は熱効率がよくヤカンを何個も乗っけたり、
その上でシチューやカレーを煮込んだり…(臭いが充満するので、やったことがない(泣)
そんな利用法を考えていた。

いつも多くの人に言われる
「薪ストーブはいいですね。ぬくもりが感じられる。どこで作って。いくらしたのですか?」
「長野製です。本体が60万、煙突と設置費が60万、合わせて120万です」
「うわーそんなに!手が出ません。しかし、煙突掃除が大変でしょう?」と団塊の世代前後は言う
(40前後の若い世代は、煙突掃除などという仕事があるなど知らない)
「煙突は外気と接するところが二重管になっておりますし、直管だから煙をまっすぐでますからススがたまりません。
煙突掃除はここ3年、したことがありません」

そして多くの人は尋ねる
「薪はどうしているのですか?」
「間伐材の杉です。」
「手に入れるのが大変でしょう?」
「いえこれは、間伐する素人を育成するいわて森林再生研究会の寄付です(二三年前から有料になった(泣)」
通常は、熾(おき=若い世代は読み方もしらない。おできではない!)ができる広葉樹のナラやクヌギなんですが、
店の場合は、朝来てすぐ火がつき、帰るときには燃えきるような管理が必要です
だから脂ののったすぐ燃える針葉樹がいいのです」とは言うものの
乾燥しすぎてカロリー不足がもうひとつ問題である。(これは内緒だ)

だからじゃんじゃん燃やして間伐を促進しよう!

というのがテーマです
店の作りも木造になっております。岩手は面積の’77%が森林。
30年経ったら再生する木材の利用を…

と言いながら、ストーブを設置して10年以上になるのに悩んでいることがある

それは逆流である。

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朝、店に入ってすぐ、時間がかかる玄米を炊くのにガスに火をつける
それから、ストーブに火をつけるのだが、いつも
「今日はうまくいくだろうか…」「火種を奥に入れないと…」
と思いながらも、一週間に一度は店の中が煙だらけになってしまう

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この煙を追い出すのが大変なのである
一番上の排煙窓をあけ、店中のドアというドアを開け、しばらく寒気と交換をしないと煙は出て行かない
ときおり、排煙窓を閉め忘れる
「あれ今日は寒いですね」という会話を客としないといけない(泣)

 

それが或る日、突然、なんというか、解決したのである
逆流が始まった時、通常は上の排煙窓を開けて煙を出そうとする。
今回、つい手元にあった入り口のドアを開けたら、火が引っ込んだのである。
まさか?
なんかの加減か?
そして、数日後またドアを開けたら、また火が引っ込んだのである
えっ?

理科系を自称するわしが、そんな馬鹿なことを言ったら笑われる
それから、毎回、逆流するたびにドアを開けた、またまた火が引っ込んだである。

結局、結論を推測すると
暖かい空気が煙突を登っていくのだが、
その前に一晩密閉してある部屋の中の気圧と外気圧の違いによって押さえつけられて登って行かない
それが下からの外気圧と一緒になることに寄って、軽い空気が煙突から出て行くのではないか?

という結論に達した。
なんという!この10年間の悩みが一挙に解決した。

このエクスタシーという爽快感。もう何者にも耐え難い。

 

感想

朝、パソコンを開くと、こんなメールが来ていた。
何か?クレームだと思ったら、嬉しい感想である。
以前、弁当に髪の毛が入って居たとクレームがメールで届き、ねちねちと書かれたことがある
そういえば弁当を初めた頃「こんな弁当、ほか弁で500円以下よ!」と電話で怒鳴られたことがある
概ね好評だが、嬉しい感想を直に伝えられたということは、あまりない
これも日本人の…東北人の…せいか…
それとも弁当の所為か(?)
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ちいさな野菜畑さま
昨日、貴社のお弁当をいただきました。
大変、美味しかったし、ただ美味しいだけではなく、心のこもったお弁当に感動し
是非、メールで、その気持ちを伝えようと思いました。
①化学調味料が使用されていないこと
②お品書きがあること自体、素晴らしいですが、加えて食材の産地まで書いてあった
③ご飯の下に、経木が敷いてあった。ご飯が硬すぎず、柔らかすぎず、とても美味しかった
④プラスティックではなく、紙製のパックだった
⑤どれも大変美味しかった
⑥バランスが良かった
⑦彩がきれいだった
などなど職員みんなから大好評でした。
私個人的には、ポテトサラダのポテトが長芋だったことが斬新でしたし、ほわほわしていて美味しかったです。

利は元にあり

「消費者ニーズ」という言葉がある
消費者の要求というか、消費者の求めるものを提供、または生産をするという商品経済システムのことを言うようである。
ふと「消費者ニーズ」というのは、いつ頃言われだしたのだろうか?考えた

昔は、街に一軒、八百屋があり、魚屋があり、米屋が有った。
家族構成から、家族の好み、そして冷蔵庫が無かったからタイムリーにそれらを供給していた
米屋などは、家庭の米びつの量まで把握していたと言う
また御用聞きと言うシステムが、さらなる細かい注文に応えていた
密接な関係性が存在していたのである。

昭和30年代後半、主婦の店ダイエーができた。
そして、40年代に、あちこちにアメリカを真似た量販店ができ初めた
ちいさな量販店である。
最初は、魚屋や肉屋が様々なものを扱い始めて地域の量販店となり、商店街の核となった
小生も中学生か高校生の頃「北上スーパー」とか「タシマやフード」などと書いた茶色の紙袋を誇らしげに持って母親のお供をしたものである。

それがあっという間に、地域の量販店が大手の量販店に統廃合されていった。
小生が商社に入った頃、「ダイエー担当」「ヨーカ堂担当」「ニチイ担当」などという量販店担当がいた。
原材料の生地を売っていたが、販促にアパレルと量販店を結びつける役目をしていたようだ。

そのころでは、なかったのか?
三波春夫が「お客様は神様です」と高らかに歌い上げたのは…
客が神様になり、崇めたつるものになって関係性が消えた
そして多くの客を集めて、その求めるものの最大公約数を集約した
「消費者が求めるものをいかに提供するか」
そこに科学技術の粋を集めた大量生産が始まった。
「量産することに寄って安価なものをいかに作り上げられるか…」

客が見えなくなって「いいものを安く」の時代になった
と言って、一人ひとりの求める作り上げる技も、方法も消えていった時代である

多分「消費者ニーズの言葉の替わりに消えていった言葉がある
「利は元にあり」という昔から商売の鉄則である。
いろいろと深い意味があるが、簡単にいえば「消費者じゃない、仕入先である。」ということである
大体が「ものがないと商売が出来ないのだ。」

仕入先、生産を大事にしない社会は、どこか一本芯がないふらふらした社会のような気がする
それと、もう一つ教えてもらったこと

「買ってもらう。売ってもらう。商いは対等である」

カネさえ払えば神様だ!という風潮は、ここ30年の話である

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ちゃきん

「これは何だ?」と魔子様に問うと

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「南瓜の茶巾だ」という
最近、弁当には凝ったものが出てくる
そろそろレパートリーが尽きてきたのか…

芋・蛸・南瓜は、関西でいう言葉だ。女性の好きなものみっつだ。

芋は焼き芋で…
蛸はたこ焼きで…
南瓜は、町中を食べながら歩くようなものではないが…

よく南瓜を買うときに「ホクホクしてる?」と聞かれる
ホクホクの他に、どんな表現があるのか?と言うと「べちゃべちゃ」である
”ベチャベチャ”は、日本かぼちゃ。”ホクホク”は西洋かぼちゃである。

小さな頃、南瓜の煮物は、ベチャベチャだった。
今、ほとんどがホクホクの栗系南瓜になってしまっている。嘆かわしい
単一の品種になることによって、多様性が失われ安定した生産ができず、
料理も、その技が消えていく。

だから南瓜の茶巾は、最近の料理だろう

月別アーカイブ : 2015年3月