IMG_0489

一人、家族が増えた。
家族が増えるのは、楽しい。
しかし、増えない家族もいる
そして楽しくない家族もいる。

家族とは、なんだろう?
ふと、そんなことを考えた・

母は”父と一緒の墓に入りたくない”と言う
戦後に結婚して、三人の子を産み育てた
しかし、ほとんど父と一緒に暮らしたことがない
出産や育児、子育ては、舅とその内縁の妻の元でおこなった。
いじめられた、らしい。
まだ小学校の低学年だったから、知らない
家には「おにいちゃん」と呼ぶ高校生が居た。
それは内縁の妻の息子だったらしい。
仙台から北上に移ってきて、初めて母と三人の子どもたちの暮らしが始まった
しかし、そこには最後のすみかを求めて舅が仙台からやってきた
父は、相変わらずいない。
土建屋の現場監督は、現場に泊まりこみ、家に戻るのはせいぜい月給日か、。出張の前の日ぐらいである
北上の生活が三年たったぐらいだろうか、舅は亡くなった

ようやく家族で暮らせるようになった
しかし、父はいない。
父が家から通うようになったのは、小生が学校に入って家を離れた後である
だから家族というのは、母と姉と妹の女系家族と、ときたま帰ってくる父がいた

母が独りで、三人の子どもを育てたようなものである
しかし、それは父が稼いだ金銭があったからではあるが…
父の居ない家族は、当然のことながら母がしきった
子どもが言うことを聞かないと
「お父さんに言うよ」と脅した
「ご飯を食べる最中は、話をしない」と厳しくしつけた。
そして、強い父親の居ない子をきちんと育てようとした。
べつに、それが当たり前の家庭だと思っていた

 

自分が自前の家族をもったとき、そのやり方が当然だと思っていた。
暴力は振るわないが、厳しい父親と優しい母を演じた。
高度成長期のサラリーマンは、仕事一辺倒である
いきおい、子どもたちは母親になついた。
朝早く出ていき、寝た後に帰ってきうて、休日も出て行く父親は、いらなかった
大きくなってから「こどもとキャッチボールをしてやって欲しかった」と家内は言う
本当は、子どもたちと常に接する優しい父親であり、話のわかる父親でありたかった。
そして自営業になって、初めてPTAにでた
PTAの総会で発言すると、ある母親に「何を今頃でてきて…」と文句を言われた
もう小学校から仲良しグループが形成されたPTAだったのである
家も地域も、サラリーマンにとっては厳しい場所だった。

そういえば定年後、夫婦二人暮らしの父はゴルフに逃げ込んだ。
亡くなったのも練習場で、これからコースに出ようとしていた時だった
母は言った「年金暮らしなのにゴルフばかりして…あんなにやめろと言ったのに…」
目の前には、平身低頭の練習場の支配人がいた。

様々な家庭があり、さまざな家族がいる。
自分が育った家庭以上の家族は、出来ないのだろうか…