うどんには数々の思い出がある
何と言っても、初めての記憶が仙台から岩手の北上に引っ越してきたときのうどんである
小学4年になろうとした3月だっただろうか…

仙台駅で手を降って別れた友と…
流れるように過ぎていく、うら寂しい風景と…
汽車の窓からハンカチが飛んでいった記憶と…
これが住む家だと布団のない掘りごたつに足を突っ込んで食べたうどんである
まっくろい汁の、塩からいうどんは、これからの生活をおもいやられるようなうどんだった

そして小さな頃は、麺といえば「たまうどん」だった。
蕎麦は、子どもには、喉に引っかかるような気がして、もうひとつであった。
インスタントラーメンが出てくるまでは、麺といえば玉うどんであり
玉うどんを夏も冬も食べて育ち、よく買いにやらされた
(当時、冷やし中華や冷麺など、見たこともなかった=昭和30年台)

玉うどんというのは、茹でてある玉のような(球ではない、平たい丸である)うどんである。
それはそれで懐かしく、風邪をひいた時など、母親が卵を落し入れて、食べさせてくれたのは美味しかった

家を出て、初めてのうどんの記憶は、学生時代に百貨店のアルバイトをした。お歳暮かお中元の配達である。
そのときに、委託されていた運送会社の社員に住んでいるアパートへ連れて行かれた。
「おきりこみを、つくってやる」と言われて、台所で手伝いながらおきりこみという”煮込みうどん”を食べた記憶がある

それからクラブの先輩の彼女の実家に、みんなで行き、
夜中まで宴会をして翌日、遅く目覚めたら
彼女の母親(と言ってもだいぶ歳だったような気がする)が
「きょうは、うどんにすべぇ〜」と言って庭にむしろを広げた
なんと足で粉を踏みつけ、手打ちうどんならぬ足踏みうどんをご馳走してくれたのである
タレが冷たくてさっぱりして、遠慮しながら何杯も食べた思い出がある

北関東は、小麦文化圏だったのである

新入社員のときの、新橋の「おぴっぴ」という讃岐系のうどんや
大阪で連れて行かれた「美々卯」のうどん鋤
退職旅行で行った山梨の甲府駅前の”ほうとう”。
高松の焼却炉メーカーに連れて行かれた何軒もの”さぬきうどん”
福岡の展示会にいき、中洲でたべた「かろのうろんや」
八重洲の地下の「博多うどん」

かずかずのうどんを食べ、それぞれの想い出がある。
そのうどんやで一番豪華なのは、なべやきうどんである。(と思っている)
なんといってもメニューの一番最後に鎮座ましている
しかし、それが一番食べたことがない、というよりもあまり好きでなかった
煮込むというのは、麺が柔らかくなりすぎるのである
ずるっっとすすりながらも、きちんとコシがある
そんなうどんが、好きなのだある
美味しい鍋焼きを食べたことがなかったこともあるかもしれない

そんな鍋焼き用のうどんがみつかった。ので作ってみた。
ダシは申し分ない。うどんも、申し分ない。問題は、見栄えである
赤がない。黄色が目立たない。緑が幅をきかせている。
やはり豪華ななべやきうどんは、キンキンギラギラ日が光るではないが…
華がないと…
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