菅原文太

「健さん」についで「文太」が逝った。
しかし、なぜ「高倉健」は、「健さん」で
菅原文太は、呼び捨てなのだろう?

 

菅原文太には、直接三回あった?
それも、一年足らずの間である。
最初は、東北農業試験場の人が店に連れてきた。
事前に「菅原文太を連れて行く」というアナウンスがあったので、友人にしゃべったら、友人の女性の友人が

「お茶出しをやりたい」と言う
「大フアンだ」と言っていた。

初めて出会った時、「私も仙台出身です」と言った覚えがある。
当時、文太は、農業を応援していて(岐阜の農場の名刺を持っていた)いろいろと話しをした後
「やはり農協が、わるいのかのぉ〜」と短絡的なことを語った。
マネージャーのような仕事をしていた奥さんから名刺をもらった
側に居た試験場の人は「笑わないでくださいよ」と言う

名刺には「マネージャー 菅原文子」と書いてあった。笑った!

二回目は、日を置かずに、また店にやってきた。
今度は、長靴を履いて…
県の農政部の人と一緒だった。「岩泉へ行く途中」ということだった。
駐車場では、店に来た客が大騒ぎをしていた。
岩泉の龍泉洞の水でつくった醤油の注文をもらった。

 

三回目は、青森の鰺ヶ沢町である。
合鴨フォーラムの全国大会で基調講演をしていた、
話は、うまくなかった。
そのあとの懇親会でテーブルを回って各グループと写真を写していた
小生の顔を見て「ギョ」とした顔をしていた
「どこかで会った顔だ?と考えていたようだ。
会場の片隅にいた奥さんに声をかけると
「この前の醤油美味しかった」と言いながら追加注文は、くれなかった。
2004年の2月のことであった。

もう10年前のことである。