ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

奇跡の…

林檎をもらった
今どき紅玉である

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もらうものならもっと糖度が高い新品種が、いっぱいあるだろう
”ちなつ”とか…”夏あかり”とか…”紅いわて”とか…
紅ほっぺとか…(これは苺か?)
紅玉なんか、「ジャムにしかならない」と思っている
ありがたくもなんともない
と思ったら
「木村さんのりんご」だという
「木村といえば、アンパンだろう」とアンパンマン好きの子どもたちは言う

そうではない木村秋則さんの紅玉だという

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これは、宝物である

もう20年以上前になる
林檎の無農薬栽培をやっている人が青森に一人だけいる
と言われていた
「しかし、食べられたものではないし、市場に出回らない」と言う
もともと林檎は明治に日本に入ってきて、さまざまに品種改良がなされてきた
稲ならば倒伏しないようにとか自給率を上げる多収のための改良だったが
林檎は、糖度を高めるための改良が多くなされた
結果として樹液の糖度が高くなり、殺菌剤・殺虫剤を多用しないと栽培できないようになった
と聞かされたことが有る
だから無農薬では出来ない!と

それが最近「木村秋則」という名でどんどん無農薬でもできると流布されている
もっとも生産はできるのだろうが…食べられるシロモノか?
と思っていたが本を読み、テレビをみるかぎり、どうやら本物のようだ
野菜や稲の場合、手をかけたり、地域によって、栽培方法を考えると可能性はあるが…
果樹は作れたとしても、糖度を重視する消費者ニーズからは、市場性は低いのではないか?
と、いろいろと考えさせられるのだが…
とりあえず無農薬で果樹栽培が出来た。というだけで商品価値が上がるのだろうか?

しかし、二番煎じは難しいだろう
だいたいが10年近く収穫ゼロの状況が続き、その園地の生態系が替わったと言う
農薬や化学肥料を使用しなくても林檎栽培に適するように従来の園地から自然を変えないとできないのだろうから
農業は、基本的にその植物が生育していく環境をととのえるのが仕事である
現在の農業は、科学的に植物の必要とする肥料を与え気象条件を予測して栽培をしている
ところが木村さんは、植物が生育しやすように環境を整えている、そこには育てているのではない。
いつも言うが、木村さんは農業ではない。哲学である。
農家で、こんな生き方をしている人は、いない。

そこを間違えると〇〇農法をやれば高く売れるという発想で取り組む人が数多く居る
そういう人は高く売れなければ、やめてしまうのである
農業は続かないと意味が無い。
人間が生きていくための土を作るのが仕事なのだから…

疑問2

それで馬鈴薯を調べたが…
すごいことをが徐々にわかってきた。

日本には馬鈴薯は、甘藷(さつまいも)より早く入ってきているのだが、
そんなに広がらなかった。
飢饉に強い作物ということで青木昆陽が甘藷を奨励したという。
それで甘藷が先に広がり、馬鈴薯は、ぽつりぽつりと熱心に取り組む人のいる地域だけで作られたという
(甲府の清太夫芋)
そもそも米に合わないからではないか?という話もあった
肉じゃがやカレーのように肉と組み合わせた料理ならいいのだろうが、コメでは両方淡白だからではないか…
また毒を持っているので栽培を控えたという記述も有った。緑化やソラニンのことを言っているのだろうか…
幕末になって水沢出身の高野長英が「救荒二物考」にて、飢饉の時は”わせ蕎麦と馬鈴薯”を勧めていると書いてある
それから馬鈴薯の栽培が盛んになって、明治の海外野菜の導入で一気に何品種が入ってきた。
だから本格的には、明治から栽培されたようだが、江戸初期には種芋が入っていたのだ…

それとヨーロッパでも栽培が控えられていたと言う
日本よりもちょっと早く導入されたが最初は、有毒な野菜だという噂があったらしい
しかし、栽培が行われてから急速に広がり高カロリー馬鈴薯で人口がみるみる増えたという
しかし、悲劇が起こった。
馬鈴薯の疫病で全滅したのである。品種を一品種にしていたから被害はひどく、アイルランドでは100万人の餓死者を出したという。そのアイルランドの難民が新大陸アメリカに移住したという。
アメリカ人にアイルランド系の人が多いのは、その結果だという(大統領は20人近くいるという)
今は品種を多くして栽培自身が耐病性を持つ農法にしているという
多様性のない栽培は問題が有る
経済は、合理的な効率性をもとめる
農業は合理的な効率性とは縁遠いところにあるのでは無いだろうか?

日本でも日本海側や関東は、高く売れる銘柄米(コシヒカリ・ひとめぼれ)だけに集中している
小生が農業の世界に入った時、岩手県北部は、政府米の地帯で、秋ヒカリ・タカネミノリ・岩手21など、の品種が栽培されていたが、徐々に徐々に耐冷性のあきたこまちやひとめぼれが進出してきて、今はもう多様性は失われている。

そんなことが次々と思い、馬鈴薯考は、どんどん続くのである。

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Liitl Forest パート2

 

若い友人から五十嵐大介の本を借りた
豊な食べ物を求めるかいから、会報誌が届いた。
リトルフォレストの記事のコピーがおざなりに載っていた。
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何人かの店に来る友人に映画を薦めた
じょじょに徐々に、盛り上がってきているのに…
今週の金曜日で「END」だという

映画を見る人が減っているのだろう。
小生が見た時も一日一回の上映で平日とはいえ10人足らずだった。

別にストーリーが有るという話ではない。
田舎(岩手県衣川村 平泉の隣)の四季の風景と、そこに暮らす若い女性の自給自足のような生活をたんたんと映しているだけである
素晴らしい風景の中でくらす、その生活は、智慧と工夫のかたまりで、また女性の食べっぷりが素晴らしい

湿気を取りながらストーブでパンを焼いたり
甘藷を掘り出して、干し芋を作って焼いたり、
グミのジャムを作ったり
合鴨をさばき、岩魚を串焼きにし、青菜のおひたし、

13〜4種類の料理が出てきたが…
一つ一つが暮らしの知恵が描き出されている

パンを焼くにしても、たぶん6月だろう梅雨寒の湿気った陽気でダルマストーブに火を入れ、部屋を乾かしながら、熾火でパンを焼く
(本当に焼けるのか?一度やってみよう)
「甘藷は、岩手で出来ない」と言われている。それは日照時間が短いか温度が足りずに甘い芋ができないことをいうである。
撮影場所の衣川村付近なら、甘い芋の可能性はあるが、寒さの保存がむずかしい。だから干し芋にする
そのへんも語りはしないが、忠実に再現している
そういう意味で一つ一つが丁寧に描かれ、若い女性がムシャムシャ食べる。
そんな映画だ

ちょっと料理をしてみよう、こんな生活もいいな〜と思わせる映画である
スローライフとか田舎生活とかにあこがれの人必見の映画である。
いや独り暮らしの楽しみ方という見かたもあるかも…

 

思い出した

カレーを作った。
毎日、仕事で魔子様は料理を作る
退院してから厨房に立つのが億劫になった。
長く立っていられないのである。
だから夕食も魔子様が作っていた。
昼は仕事として料理をして、夕食も家事として…
そろそろ作り始めないと角が生えるか…
とリトルフォレストをみて思った

というか…冷蔵庫の整理もしなくてはいけない
さまざまなものが細かく残っている

一気に片付けるのはカレーか…
と思って、大量の玉葱のスライスを菜種油で炒め始めた
そこへ、思い出した
煎り酒を作った残りのホタテが残っていのを…一緒に炒めた
煎り酒とは、梅干しに酒を入れて煮詰める調味料である
和田はつ子の「料理人季蔵捕物控」に主人公が使っている調味料である
醤油の代わりになるという話や…
さっぱりして美味しいという話から一度作ってみようと作ったのだが
思うようなものが作れなくて、イライラしながらホタテの貝柱の乾燥を酒に入れてみた
その酒を鍋の出汁に利用したのだが、残ったホタテが瓶の底に沈んでいた。

だから正式に言えば煎酒の残りのホタテではない
煎り酒を作りそこねた酒浸しのホタテである
それを玉葱と一緒に炒めていたら、
思い出した
ニンニクを入れるのを…
若い時もカレーを作っていた、毎週土曜は…カレーの日だったような気がする
そして日曜日は、鍋の日である。スーパーでアラを買ってきて鍋を作るのである
その土曜日のカレーは、大量のニンニクを入れていた。
ニンニクの臭いを充満させて満員電車に乗る訳にはいかない
だから土曜はカレーだったような気がする
ニンニクをスライスして炒めて、玉葱を入れ飴色に色づくほど炒め、
ざく切りにした馬鈴薯・人参を入れて…
思い出した
生鮭を入れるのを…
どうせホタテを入れたなら、鮭をいれてシーフードカレーに…
慌てて冷凍庫の奥に小分けしてあった鮭を、レンジでチンしてラップを取り
一口大に切り分けて、少し炙ってから煮込み汁にいれた。

大体が、いつもこんな感じだ
カレーをつくろうとして、もやし汁になったり
野菜炒めをつくろうとして、オムライスになったり
二人前つくろうとして、三日分つくってしまったり、
いい加減だが、いつも「美味しい」と言って魔子様は食べてくれる

人に作ってもらう料理が美味しいのだろう
とはいえ、最後のルーの調整は魔子様に頼んだ
二種類のルーの組み合わせの味に自信が持てないのである(泣)

カレー

 

 

 

Liitl Forest パート1

久しぶりに映画をみた。
「いつ映画をみた?」と聞かれると「小さな恋のメロディ」と答えるようにしている。
学生時代にみた映画だ。自分で選んでみた映画だったような気がする。
いや同級生の友人に誘われて行った映画だった。
今でも覚えているが、トレーシー・ハイドの可愛さと愛らしさ、
そしてあの薄切りの透けて見える生ハムを食べる場面
それまでハムとソーセージの区別がつかなくて、周りが赤く縁取られた厚めのやつを薄くスライスしてあるものしか知らなかった。
まして「深夜食堂」にでてくる”タコウィンナー”など、みたこともなかった。
そんな赤縁取りのハムでも美味しかった、食パンに乗せて食べた。もっと食べたい。と思った。
それが小さな恋のメロディの生ハムは、切り分けてくれて皿にもられ、フォークとナイフで食べていた。
美味しそうだった。生ハムを腹いっぱい食べられるような生活がしたいと思った
それが強烈な想い出になっていたのだろう

 
高校まで住んでいた街は、映画館が3〜4館あっただろうか?
同級生に映画館の息子がいたが、エロ映画専門館で、いつも羨ましがられていた。
いつか見に行きたいが、入ったところを見られたらどうしようと真剣に悩んだ。
見に行く前に、倒産したという風のうわさで聞いた
本を買う小遣いはもらえたが、映画を見る小遣いはもらえなかった。
周りに映画代が入っている賽銭箱もなかった(?)
だから、ほとんど小中高という少年時代は、映画を見る機会がなかった
それでも中学校の授業で1回、みんなで見に行ったような気がする
それは「サウンドオブミュージック」だった。
初恋の娘が隣で「”南太平洋”を見に行った」と話したことを覚えている
「南太平洋」とは戦争物語か?と思ったが、そうではないらしい。
なんでもミュージカルらしい。
ちなみにミュージカルというのもサウンドオブミュージックで初めて知った
「音楽劇だということを…」

そんな感じだから、「ドキュメンタリー」という言葉も知らなかった。
リトルフォレストを見て、ドキュメンタリーではないか…と思った。
そのような生活をしている人が周りに大勢いる
そんな生活が、ゆたかだと感じる人が、増えてきた。

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月別アーカイブ : 2014年10月