長い闘病生活で尻の肉がこそげ落ち、骨に皮が張り付いたケツで我慢して店の椅子に座っていると、
妙齢の女性が、小生が座っている後ろの本棚から本を取り出そうとしている
「どうぞ!」と声をかけて身体をずらして、本を取り出しやすいようにしてあげると、
太田愛人(盛岡出身)の「辺境の食物誌」と、以前、原稿を頼まれた「大変の時代」を取り出した。
なんだか調べ物をしているようなので、
「太田愛人さんは、盛岡出身なのですよね」と話しかけ
「なにか調べているのですか?」と聞くと

「ええ、飢饉のときに南部の人たちは、何を食べていたのだろうか…」
「はぁ?」
「公民館でガイドの人が、じゃがいもを食べて飢えをしのいだなんて嘘を言うのですもの。
じゃがいもは、入ってきたのは近代ですよね」
「そうですね。明治時代ですね」
「野菜は…根菜類は…何を食べていたのでしょうか?」
ふと見渡しても栽培技術の本を並べてあるが、野菜や食べ物の歴史関係の本は、自宅に有る
「店の本棚にはありませんが、自宅に行けば…」

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食文化研究会の「よみがえりのレシピ」の上映会のあとの講演会で
主役だった山形大学の江頭教授は「青葉高」という先生に師事した(?)という話を聞き、
青葉高の古書本をアマゾンで検索して求めていた。
こういう時にアマゾンは便利である(浮気してごめんね。さわや書店)

岩手は豆と雑穀の産地というが、どんな品種のものが栽培されていたのだろうか…
また野菜は、どんなものが…
やはり岩手らしい野菜があったのだろうと…
その糸口がつかめれば…

先日もある市役所職員から「盛岡の地場野菜?」ときかれ
東京の野菜の学校というところからも「岩手の伝統野菜は…」と聞かれ
「盛岡山東菜」「玉山の雁喰豆」ぐらいしか思い出さなかったのだが…
南部赤かぶというのも あるらしい

しかし、買い求めてから気がついた。
以前ブルーバックスで「野菜の博物学」という本を買っていた。その著者が「青葉高」だったのである。
そこには、野菜の歴史として”飢饉のときの主食の野菜”という項目があり、詳細に書いてあった。

本を買って積んどくだけで、きちんと読んでいないだけである。

カブや大根が救荒野菜として、前から栽培されていたが、当時は青木昆陽などが甘藷を奨励していたと言う
甘藷と馬鈴薯は、一緒の時期(17世紀前半)入ってきたが、甘藷は広く栽培を奨励されたが、
馬鈴薯は、なぜか栽培をしたという記述がないという
そういえば”ダンシャク”は、明治時代に函館ドックの専務をしていた川田龍吉男爵が導入したから「ダンシャク」と名付けられたという、明治のときは、馬鈴薯だけでも37種類の品種が海外から導入されたようだ。
馬鈴薯は明治に導入されたのではなく、甘藷より古く江戸時代からあったのだ!

甘藷は岩手で栽培すると糖度があがらないから、あまり栽培されない。
「岩手は天ぷら用の甘藷しか出来ない」と言われる。加熱すると甘くなるのだ

馬鈴薯を栽培すれば、飢饉の時も助かったのに…と思うのだが
なぜ栽培が盛んにならなかったのだろう

そんな疑問1が、ふつふつと湧いてきた。