ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

むくみ

足が、というよりも足首が象の足のようにむくんでいる
朝は、足を上げて寝ているのでそうでもないが、昼過ぎになると歩けなくなる。

昔は下肢静脈瘤が気になっていたが…
最近は、寝るたびに起きるこむら返りである。
なにかあるな?と思ってはいたが…(呑み過ぎだと思っていた)
前は、片足だけであった。
それがここ2〜3週間で両足が象の足である
おまけに変な斑点まで出てきた。これはやばいかも…

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鍼医は、”内臓が弱って細胞水を抑える力が無くなってきたのだろう
だから水が下におりてむくむという症状が出てきた”と言う

西洋医学は、たらいまわしである
そして、以前出していた利尿剤をやめてから、両足がむくむようになったので
結論は「目先大丈夫だと思うから、利尿剤を出しときます」という

非常に東洋医学と西洋医学の違いがよく分かる
数値で出てこないと、判断できないのである
やはり自分の体は、自分で判断できないと健康(?)に保つことはできないのだ
健康でなくてもいいから「美味しく食べて呑めて、身体が痛くなければ…」

そして自分で判断したい
酒量の判断とか…朝から呑んでもいいのか…二日酔いは、どこまで許せるか(?)とか…

 

 

天気次第

不耕起栽培と冬期湛水を併せた稲作をやっている農家が、SOSを出しているという
田んぼが乾かないのでコンバイン(収穫ようの稲刈り機械。重量が1トンぐらいある)が、田んぼに入れない。「田んぼに機械を入れるとどんどん沈んでしま適期に稲刈りができない」というのである。

ちょっと知っている人なら当たり前だろう
と思うのだが…

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不耕起栽培は、トラクターで耕さないで苗(種子)を、そのまま植え付けるやりかたである
不耕起で植え付けることにより、堅い土に根を張っていくため根毛が太くなる。根毛が太くなることにより細根などの根の量が多くなり十分に養分を吸い上げることが可能となる農法である
トラクターで耕すことに寄って土が締まることを防ぎ、根を十分張らせるということが主眼だろうが、
そのまま植えつけるには、すこし、やわらかくしないといけないので、秋の収穫後、水を入れ、冬中水を張った状態(冬期湛水)にしておくのである。
これは水鳥や渡り鳥がその田んぼで遊びまわることにより、足でかき回して柔らかくし、肥料として糞を散布する。
そんな効果が言われている(本来は、渡り鳥のために休む場所の提供のような話だった、と思う…)

多分自分で考えて、話を聞いて、組み合わせたのだろうが…
稲作というのは相当の歴史(4000年?)がある
そのなかで、化石燃料で動く機械をつかって田んぼに入るのは、ここ50年である
大潟村の田んぼにも、幾台ものトラクターや、コンバインが沈んでいるという。
初期には耕盤という地層ができずに、やわらかずぎて、身動きが取れず、沈んだという
(大潟村は、とくに干潟を埋め立てた軟弱な地盤であった)
近代化の機械稲作は最近の話であり、気象、土質。作業人員、面積などを総合的に判断して、取り組まないといけないのだろう

 

しかし。この農法では田んぼの乾くヒマがない
不耕起であるから、水が浸透する仕組みがつくれない(だろう)
通常は田んぼに水を張ると、土の中に水が浸透して水が不足する
そこで早朝に水を入れ、日中水を止めて温める、夜の「冷気を温かい水でくるんでやる。
稲は17℃以上の温度が好ましいが、水温は大体が14〜15℃である
だから水管理を毎日のようにしているのである。(そのように見えないだろう)
不耕起だと水が表層しか流れない。
そして冬期湛水だと乾かないので微粒子の土が細か孔隙ふさぎ、ますます水が浸透しない
「減水深」という言葉があるが、どれだけ水が減るかという指標である。それによって水もちがいいとか悪いとか言う
たぶんこの田圃は水持ちが良すぎて、水が淀むのではないか?(水が淀むのは、水分中の酸素が腐る(?)
酸素と窒素の化合物である水は、根に酸素を供給する役目も持っているのであるが…
また田んぼの中にある根が、通常は冬に掘り起こして空気にあて分解させるのだが、分解しないまま春を迎えると、根が土柱で分解して地中でガスを発生させ植えつけた苗が育たない(根腐れ)のではないか…といろいろと考えられる

農業は天気次第だから、年によってうまく天気が続けば、乾くだろうが、今年のように大雨が続くような天気では、どうしようもない
アメリカのような乾燥気候ならいいのだが、日本は雨の多いモンスーン地帯だ。

自分で考えて自分でコントロールできると想ったのだろうが、所詮、自然は、偉大である。(人の裏をかいてやってくる(笑)
そんな自然との駆け引きが農業の面白さである

 

 

 

 

嗜好

佐賀県の農民作家山下惣一氏からFAXが届いた。

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著者謹呈本の御礼に日本酒を贈ったのだが、その礼状である
いつも素早くFAXが届く

冒頭に

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日本酒の美味しい季節になりました。
牧水の酒の歌を思い出しますが、あの人は一年中冷酒だったのでしょうか、
私なら「熱燗の喉にしみいる秋の夜の…」となります

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若山牧水は名前と…、二〜三の歌を、いわれればそれか?という短歌は知っている

しかし、漂白の酒仙歌人だったとは知らなかった。
やはり我々が受けてきた国語教育の限界ではなかったのか
その人となりを知れば、短歌も面白く感じたのに…
単に名前と短歌の暗記だけでは、身につくものではない。
牧水は、生涯に7000首の歌を読み、そのうちの200首が酒の歌だったという

ちなみに珠玉の牧水の酒の歌4首

それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ
うまきもの心にならべそれこれと くらべまわせど酒にしかめや

 

小生が想っていることを、スバリと歌ってある。脱帽である。
しかし、入院するたびにいろいろと嗜好が変わってくる
前回の食道がんの時には、煙草が美味しくなくなった。
以前は「酒はやめても煙草はやめられない」と思っていたが、簡単に止めることが出来たのである
おどろきである。吸っても吸っても、一服したという感じがしないのである。
単に、いがらっぽい煙を肺に入れているだけなのである。口の中も

そして今度は、酒である。
別に不味いから止めたということではないが
日本酒はギンギンの辛口、ワインは冷やした白の辛口、マティーニをあおり、ビールはドライ
そんな嗜好だったのが…
それが…それが…全然美味しくないのである

ひょっとして酒自身が美味しくなくなったのかとおもって、いろいろと試行錯誤した
ようやく”美味しい”と感じたのは、甘口の赤ワイン、それも箱に入った安物である
う〜ん、経済的で助かるが…

そんな嗜好の変化に驚きながら山下さんの文章を読んでいると

「前にも言いましたが、度々の生死をさまようような難病から毎回復活してくるのだから、神からそういう運命が与えられているとしか考えようがありません。強運の人と驚嘆しています。」とあった。

そうなのである。
母は、小生が子供の頃から言っていた
「あんたは”ごうの寅”の生まれだから、運がいいのだ」とずーっと言われ続けてきた。
そう思い込んでいたのだが
高校時代に気がついた
「ごうの寅の生まれは、昭和25年生まれの人は全員だ!」と
しかし、しっかりと刷り込まれた幸運の星は、楽天的に考える精神の習慣をもたらした(内山節風)

と想って調べたら、「五黄、の寅」は昭和25年生まれ、
しかし、「その年に受胎し、その年に生まれた人が本当のごうの寅の生まれだ」とある
そうするとやはり、小生は、正真正銘の「五黄の寅」である。

疑問1

長い闘病生活で尻の肉がこそげ落ち、骨に皮が張り付いたケツで我慢して店の椅子に座っていると、
妙齢の女性が、小生が座っている後ろの本棚から本を取り出そうとしている
「どうぞ!」と声をかけて身体をずらして、本を取り出しやすいようにしてあげると、
太田愛人(盛岡出身)の「辺境の食物誌」と、以前、原稿を頼まれた「大変の時代」を取り出した。
なんだか調べ物をしているようなので、
「太田愛人さんは、盛岡出身なのですよね」と話しかけ
「なにか調べているのですか?」と聞くと

「ええ、飢饉のときに南部の人たちは、何を食べていたのだろうか…」
「はぁ?」
「公民館でガイドの人が、じゃがいもを食べて飢えをしのいだなんて嘘を言うのですもの。
じゃがいもは、入ってきたのは近代ですよね」
「そうですね。明治時代ですね」
「野菜は…根菜類は…何を食べていたのでしょうか?」
ふと見渡しても栽培技術の本を並べてあるが、野菜や食べ物の歴史関係の本は、自宅に有る
「店の本棚にはありませんが、自宅に行けば…」

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食文化研究会の「よみがえりのレシピ」の上映会のあとの講演会で
主役だった山形大学の江頭教授は「青葉高」という先生に師事した(?)という話を聞き、
青葉高の古書本をアマゾンで検索して求めていた。
こういう時にアマゾンは便利である(浮気してごめんね。さわや書店)

岩手は豆と雑穀の産地というが、どんな品種のものが栽培されていたのだろうか…
また野菜は、どんなものが…
やはり岩手らしい野菜があったのだろうと…
その糸口がつかめれば…

先日もある市役所職員から「盛岡の地場野菜?」ときかれ
東京の野菜の学校というところからも「岩手の伝統野菜は…」と聞かれ
「盛岡山東菜」「玉山の雁喰豆」ぐらいしか思い出さなかったのだが…
南部赤かぶというのも あるらしい

しかし、買い求めてから気がついた。
以前ブルーバックスで「野菜の博物学」という本を買っていた。その著者が「青葉高」だったのである。
そこには、野菜の歴史として”飢饉のときの主食の野菜”という項目があり、詳細に書いてあった。

本を買って積んどくだけで、きちんと読んでいないだけである。

カブや大根が救荒野菜として、前から栽培されていたが、当時は青木昆陽などが甘藷を奨励していたと言う
甘藷と馬鈴薯は、一緒の時期(17世紀前半)入ってきたが、甘藷は広く栽培を奨励されたが、
馬鈴薯は、なぜか栽培をしたという記述がないという
そういえば”ダンシャク”は、明治時代に函館ドックの専務をしていた川田龍吉男爵が導入したから「ダンシャク」と名付けられたという、明治のときは、馬鈴薯だけでも37種類の品種が海外から導入されたようだ。
馬鈴薯は明治に導入されたのではなく、甘藷より古く江戸時代からあったのだ!

甘藷は岩手で栽培すると糖度があがらないから、あまり栽培されない。
「岩手は天ぷら用の甘藷しか出来ない」と言われる。加熱すると甘くなるのだ

馬鈴薯を栽培すれば、飢饉の時も助かったのに…と思うのだが
なぜ栽培が盛んにならなかったのだろう

そんな疑問1が、ふつふつと湧いてきた。

感動のことば

佐賀県の農民作家山下惣一氏の近著「日本人は食なき国を望むのか(誤解だらけの農業問題)」を送ってきた。
パラパラをめくっているが、感動である
以前10年以上前だろうか、山下さんは「農政批判ばかりしていたが、”それではどうしたらいいのだ!”と問われた時に返答に困った、」と言っていた。
そして「身土不二」という言葉に出会って「これだ!日本は農地と消費地が近い。」ということを発見した。
その前は斜めにかまえて「農業問題は消費者の問題だ。農家は、自分の食べるものを作っていればいいのだから…」と言っていたのだが
それで「身土不二の探求」という本を著している。その中には、専立寺の和尚も、小生も盛岡の友人ということで出てくるが…

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その山下さんは、近著の本に、こう書いてある
『ユダヤ人はなぜ国を創ったかーイスラエル国家誕生の記録』(サイマル出版会)の引用だがと断っている

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シオニズム運動という祖国建立運動の集会において行われたレオ・ピンスケル博士の演説の一部である。
俺は何回読んでも胸を打たれる

「ユダヤ人は2000年に及ぶ流浪の末、農耕との絆を断ち切ってしまった(中略)
ユダヤ人は心ならずも農業を拒否され、年をおって農耕への興味を失ってしまった。
こうしてユダヤの活動は不当に偏り、時には肉体の発育にも有害ですらある。
都市人口が増加し近代的通商が発達するにつれてユダヤ人はますます都市に集中し、その結果、多民族との摩擦は激しくなり、危険な紛争や反ユダヤ主義を引き起こしている…」

「われわれは絞殺の危機に直面しているのだから呼吸する空気を、生き残るチャンスを探さなければならない。
今や大地に帰らなければならない。耕す手に祝福を送り、人間をその素性でなく勤勉の度合いによって判断する大地にである。かつて農夫から商人に変身したように、いまや農耕に立ち戻らなければならない…」

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人種が違っても、人間は「農」から離れられないのである

 

噂の真相5

「食」と「農」と「健康(死)」のあり方というのは、
だれもが、豊な大地から恵まれた安全な農産物を、美味しく食べて健康に生きて寿命をまっとうする
と願って入ると思うが、そこへ絡んでくるのが「貨幣経済」なのである

貨幣経済というか、貨幣のもっている魅力というが…
価値が変わらない安心感というか(最近はそうでもないが…)
貨幣の量にたいする願望というか…(多くの人が持っている)
なんでも交換できる交換価値というか…(誰もが欲する)

結局、農と離れた近代社会は、食のために貨幣を使わざるを得ない
そして、それが絡むと大変ややこしいことになる

昔は、農地の側に人が住み、食べ物がそばにあった。
だから貧乏だけと食い物だけは有った。
食うにこまることはなかった。
(喰える分しか人が住まなかった。)

江戸時代でも、武家屋敷の中は畑で青菜を栽培し
(小松菜は、小松川付近で栽培された青菜だという)
大根がしなびない距離に練馬や亀戸の大根の産地があり
日持ちがする甘藷(栗よりうまい十三里)は川越(江戸から十三里離れていた)などで栽培された。
戦は常に、兵糧を考えた作戦がたてられていた。(兵糧攻め)

そして下肥は農家が引き取り、台所の水は江戸湾に流れ込み豊かな漁場を作った。
だから江戸中期には100万の人が住む世界一の町が出現したのである

ところが近代社会は枯渇資源である化石燃料を使って、都市を出現させた。
そこに有るのは西欧文明からきた、効率化と合理化の賜である
それに拍車をかけたのが貨幣である

税金も米で収めていたのが、貨幣になり、
貨幣で給料をもらう官吏ができ、給料取りが増えてきた
貨幣は、かさばらず、持ち運びに便利で使い勝手が良かったのである。
それはそれで、いい面もあったのだが
貨幣の持つ魅力は、だんだん人を魅了していった。
農とともに有った食が、だんだん離れていったのである

それでも米を自給できなかった昭和30年代後半までは
各家庭の食事の前に「いただきます」や
「お百姓さんありがとう」のような言葉が残っていた

それが今は、貨幣が稼げない農業は、後継者がいなくなり
新規就農者でも平気で「金を稼ぐ農業」などと言う風潮になってきた
そして、単なる土作りの技であった有機農業までも、
安全で高価な付加価値農業になってしまったのである

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掲載拒否

池上彰のコラムが掲載を断られたと、全国新聞の他紙は書き立てている
なんでも従軍慰安婦の記事を訂正して謝罪しろとの内容だったらしい。
けつの穴が小さい新聞だ。と思っていたが…

以前、その全国新聞にコラムを連載をしていたことが有る。(地方版だが…)
10年も前だ。連載が始まったのは、地元紙に色々書いて投稿していたり、
その新聞の意見投稿が写真入りで掲載されたりしたのがきっかけのようだった。

記憶にあるのは
12月の原稿の催促に来た記者がベッドのそばで渡した原稿を手に
「この原稿は書きなおして欲しい」持ってきたことである
その時は何の入院だか覚えがないが…

もう時効だからいいだろうが、没になった原稿である
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店が停電になった。「トランスの故障で交換が必要」と言うことで、回復まで夕暮れ時の4時間、電気が通じない状況が続いた。冷蔵庫・冷凍庫はもちろん、照明もつかない。唯一暖房だけは、薪ストーブによってようやく暖を取ることが出来た。数日前にも近所で停電になった。その家では、暖房も全て止まり、「寒くて困った。」と嘆いていた。

電力会社の対応も拙い点があったが、修理に来た車には「HOT&GOODオール電化で豊かな暮らし」と書いてあったが、電気が止まるとほとんど生活が出来ない暮らしは、本当に豊かなのだろうか。やはり生活防衛としてエネルギー源は、多様な方が良いようだ。

また、ある農家の嫁は「冷凍庫が二台もあり、祖母たちが何年前のイカも保存しているが、食べられる代物か?電気代がいくらかかるか…」。別の農家は「孫が遊んで電源を落としてしまい、冷凍庫のものがすべてだめになってしまった」と。

冷凍保存が、万能のように思っているが、タンパク質はマイナス70℃以下でないと変成してしまうと言う。岩手は厳しい寒さの冬が長い。電気が無い時代は多様な保存法があった。塩蔵・乾燥・発酵・むろ等々、そしてその一つ一つに塩加減や、乾燥度合い、発酵菌の種類など様々な智慧が活かされていた。先人の技を見直し、化石燃料に頼らない、地域資源のエネルギーによる暮らしが、いざというとき一番強いように思う。

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なんの問題もないと思うのだが。スポンサーである某電力会社に対する遠慮だろうか…
別のテーマに書きなおした原稿は後日!

 

 

 

月別アーカイブ : 2014年9月