盛金デモは、県庁前の内丸緑地が集合場所である
ここを出発して、また、ここべ戻ってくる。

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この内丸緑地は、岩手公園の中にあるのか、外にあるのか…
厳密にはわからない。どうでもいいが…
ようするに、不来方城の中といえば、地名が「内丸」だから、”中”ではないか?
いや石垣の外だから”外”ではないか?といろいろと取り沙汰されている(自分だけだが…)

この内丸緑地から、この前火事になった桜山の飲み屋街は、隣である。
だからデモの始まる前に、ホットウィスキーを一杯やっつけたり
暑いからと言って生ビールをやっつけたり、する人がいる、不謹慎だ。
小生は、いつも芳本酒店で、缶ビールか、”るみ子の酒”と言う冷酒を買う。
本当は、スキットルに入れてきたいのだが、いつもバタバタして忘れる
るみ子の酒は、小柳ルミ子となにか縁があるのか?と思ったら、なにもないらしい

その桜山の入口、芳本酒店の横に大きな石柱が建っている

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「明治39年9月15日開園」とある。岩手公園の開園日であろう
もともと、お城だったから公園風に直した記念日であろうか?

ふと考えた。
39年前は、江戸時代だったのだ!
江戸というのは、”遠い昔のことだ”と思っていたが、こんなに近くに痕跡が有った
つまり39年前は江戸時代だったということは
これを建てた人というか、関係者は江戸時代生まれの人が数多く居たと言うことである
ちょんまげを切り落とした人も居ただろう。
二本差しを、捨てた人もいるだろう。
劇的な社会の変化に対応できなかった人もいるだろう

と思っていたら、小生の39年前は、昭和だった。
39年で何が変化が起きたのだろう
39年前は新入社員だった。
新橋の烏森口を、うろうろと呑み屋を探して千鳥足だった
当然「食べログ」などない。自分の足と舌で探すしか無かった。
連れ込みの兄ちゃんや姉ちゃんは、いた。
その時代は、情報が無かった。
電話は黒電話の回すやつ。学生時代は、電話を持っている家から呼び出してもらう
道端には公衆電話が何台も並んでいたが、涙して語る兄ちゃんや、笑顔の姉ちゃんで長蛇の列。
会社のFAX室は、テレックス室と言う名だった。テレックス室からアナの空いたテープが大量に流れていた
そうそうタイピストと言う職業もあった。タイプのキーを流れるように打つのに憧れた
会社では、電話も4人に一つだった。長い電話をすると先輩に怒られた。

39年前は、携帯電話などというのは考えたことも無かった。
今、辞書も地図もいらない。携帯でしらべることが可能である
辞書も金田一京助から、地図は伊能忠敬からの歴史があるのに、一辺に変わってしまった。

情報が数多く入ってきて、検索とシステムが当たり前になり、人々は馬鹿になった。
覚えなくていいのだ。
当時は、暗算を得意とし、漢字練習帳を何回もやり、辞書を引き、地図を開き、百科事典を買い求めた
電話番号は、かたっぱしから覚えていた。いちいち手帳を開かなくていいように…
それが、だれも何も覚えなくなった。
たったこの39年の通信の革新という情報の変化は、江戸から明治39年までの変化と比べると劇的な変化であろう

どんどん人間が馬鹿になっていくような気がする。
最近、人の名前と電話番号が覚えられない。(泣)