ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

一日で…

自然には驚かされる
千年に一度という大震災も驚いたが…
これは毎日繰り返される自宅の庭である

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一日でこんな蕾が、大輪の華になってしまう
全て翌日の写真である

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それに比して人間は、一ヶ月でこの程度だ
なんと可愛いことよ!

キックオフ

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フードファームが始まった。
そのキックオフパーティが始まった。

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ベアレンの生と短角である。

 

これだけ読んで、写真を見ても何が何だかわからないという人に解説

1フードファームとは?
2キックオフパーティとは?
3ベアレンの生とは?
4短角とは?

1フードファーム
生活保護世帯の増加がニュースを賑わしている
その予備軍の生活困窮者が増えている(小生も含めて…(泣)
都会では、いくらか仕事がある。
田舎では、仕事が無い
仕事があっても、単なる作業員か…パートか…要するに時間給である
ただ時間をすごすことによって金がもらえる
本来、仕事と言うのは、仕事をすることによって、その技や経験が身につき働く喜びを感じるものである
それが自分の時間を売って、金に変えている。金をもらった刹那の喜びである

それを本来の働く喜びを取り戻す運動である
つまり、ファーム(農場)で働くことによって、農作業の技や智慧が身につき、
収穫物を分配することによって、生きていけるという確かな感じをもつことである
究極のセーフティネットである

 

2キックオフパーティ
去年一年、多くの人が関わって実績を作った。
今年の春の作業を始めるにあたって、イッパイ飲みながらぐだぐだと本音を語ろう
と言うバーティである
別に酒を飲まなくともいいじゃないか?と思う人もいるだろう
そういう人は、私は嫌いだ!私が呑みたいのだ!

 

3ベアレンの生
ベアレンというのはドイツ語で「クマ」のことらしい
クマが生でと言うと「動物園」を想像する人がいるが、まぁ集まったのは動物園のような人々だ
さしづめ小生は、「虎」である。のんべの「「トラ」とは違う
話が変わって、店から4kmほど行ったところに「ベアレン製造所」というのがある
そこのビールは、美味い。高いけれど旨い。もっと安ければ大量に呑むのに…
そこの生ビールである。
以前、酒店に注文をしたら、製造が間に合わないと言って「エビス」を勧められた
がっかりした
それほど地ビールで美味しいビールがあるか?
それの生である。
生ビールである。

 

4、短角
鹿角という地名が有る。
鹿の角と言う意味合いだと思うが、短角は短気な角と思っている人がいる
佐々木透は、短気ではない
なぜ、そんな名前が出てくるのか?
短角牛専門の肉屋である。
短角牛というのは、赤身の肉である
霜降りが極上と言われる世の中で、短角を食べるのは反社会的行為だという人がいる
霜降りは不健康な肉である
(こういうとあちこちから文句が出てBlogが炎上するかもしれない。大丈夫だ火災保険をかけているから…(?)
要するに筋肉に脂肪が混じっているというのは、人間で言えばモーパッサンの「脂肪の塊」である
あれは見た目も悪いし。食えたものじゃない。

佐々木透は、正統派の赤身肉を手切りで造っているのである。
手切りというは、「手を切っている」のではない。「手で切っている」のである。
(日本語は難しい、一字で手動か…受動か…が別れる(?)
時折、重量が足りないと手を切って足すらしいが(?)

そんな素晴らしい肉が真っ赤な炭火の上で悶えているのである
その熱々を、ハフハフと言いながら、口の中に放り込むと肉汁がジューとあふれでてくるである
まるで短角の唄のようである。

 

そんな至福の時間を仲間と共にした。

「さぁ今年も、ゆっくりとがんばろう」

3:5:8

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「さごはち」と言う

そば屋のごんぱち、だったり
泣きっ面に、はち、だったり
さんごのじゅうはち、だったり
おはちが回ってきそう、だったり

 

いろいろと言われそうな名前だが「さごはち」
塩と米麹とコメが3:5:8の割合で混ぜた漬物の素であります
だから食品表示は「米 塩」だけになります

米麹はどこへ行った?
と思われる方がいますが、「米麹」は、お米に麹菌を振りまいて作ります
麹菌は微量なため表示しないでいいのです(5%未満)
米麹は、お米なのです(?)

よく味噌で、豆味噌・麦味噌・米味噌と大きく分けて三種類ありますが
豆味噌は、大豆に麹菌を…  その他塩・大豆=表示は「豆・塩」
麦みそは、麦に麹菌を…   その他塩。大豆=表示は豆・塩・麦」
米みそは、米に麹菌を…   その他塩・大豆=表示は豆・塩・米」となります

そのほか白味噌・赤味噌は、熟成期間の長さ(または麹量の多さ)で短ければ薄く(白)、長ければ濃く(赤)

また麹と糀の二種類の文字があります
麹は麦にゅうだから麦や豆の発酵したものを…糀は、米偏だから米の発酵した時に使用するというところもあるようです
ただ「麹」は中国から入ってきた文字で。「糀」は明治に日本で作られた文字らしいです

ややこしいです。微生物の世界は…(?)

そんな”さごはち”は、福島の会津若松が元祖だと言われます。
こちらは南相馬市の「若松屋」のさごはちです。

毎年、入荷しているものを測っておりますが、放射能は毎回全く検出されません
(測定下限値が3Bqまでみても、NDです)
福島の食材は、完璧です
ひょとした北関東や、宮城・岩手よりも…

39年前

盛金デモは、県庁前の内丸緑地が集合場所である
ここを出発して、また、ここべ戻ってくる。

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この内丸緑地は、岩手公園の中にあるのか、外にあるのか…
厳密にはわからない。どうでもいいが…
ようするに、不来方城の中といえば、地名が「内丸」だから、”中”ではないか?
いや石垣の外だから”外”ではないか?といろいろと取り沙汰されている(自分だけだが…)

この内丸緑地から、この前火事になった桜山の飲み屋街は、隣である。
だからデモの始まる前に、ホットウィスキーを一杯やっつけたり
暑いからと言って生ビールをやっつけたり、する人がいる、不謹慎だ。
小生は、いつも芳本酒店で、缶ビールか、”るみ子の酒”と言う冷酒を買う。
本当は、スキットルに入れてきたいのだが、いつもバタバタして忘れる
るみ子の酒は、小柳ルミ子となにか縁があるのか?と思ったら、なにもないらしい

その桜山の入口、芳本酒店の横に大きな石柱が建っている

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「明治39年9月15日開園」とある。岩手公園の開園日であろう
もともと、お城だったから公園風に直した記念日であろうか?

ふと考えた。
39年前は、江戸時代だったのだ!
江戸というのは、”遠い昔のことだ”と思っていたが、こんなに近くに痕跡が有った
つまり39年前は江戸時代だったということは
これを建てた人というか、関係者は江戸時代生まれの人が数多く居たと言うことである
ちょんまげを切り落とした人も居ただろう。
二本差しを、捨てた人もいるだろう。
劇的な社会の変化に対応できなかった人もいるだろう

と思っていたら、小生の39年前は、昭和だった。
39年で何が変化が起きたのだろう
39年前は新入社員だった。
新橋の烏森口を、うろうろと呑み屋を探して千鳥足だった
当然「食べログ」などない。自分の足と舌で探すしか無かった。
連れ込みの兄ちゃんや姉ちゃんは、いた。
その時代は、情報が無かった。
電話は黒電話の回すやつ。学生時代は、電話を持っている家から呼び出してもらう
道端には公衆電話が何台も並んでいたが、涙して語る兄ちゃんや、笑顔の姉ちゃんで長蛇の列。
会社のFAX室は、テレックス室と言う名だった。テレックス室からアナの空いたテープが大量に流れていた
そうそうタイピストと言う職業もあった。タイプのキーを流れるように打つのに憧れた
会社では、電話も4人に一つだった。長い電話をすると先輩に怒られた。

39年前は、携帯電話などというのは考えたことも無かった。
今、辞書も地図もいらない。携帯でしらべることが可能である
辞書も金田一京助から、地図は伊能忠敬からの歴史があるのに、一辺に変わってしまった。

情報が数多く入ってきて、検索とシステムが当たり前になり、人々は馬鹿になった。
覚えなくていいのだ。
当時は、暗算を得意とし、漢字練習帳を何回もやり、辞書を引き、地図を開き、百科事典を買い求めた
電話番号は、かたっぱしから覚えていた。いちいち手帳を開かなくていいように…
それが、だれも何も覚えなくなった。
たったこの39年の通信の革新という情報の変化は、江戸から明治39年までの変化と比べると劇的な変化であろう

どんどん人間が馬鹿になっていくような気がする。
最近、人の名前と電話番号が覚えられない。(泣)

迷惑がかかる

店に帰ってくると
「あら!今帰ったばかり…」と魔子様が言う
「だれ?」
「放射能の検査の人!」
「何を持ってきたの?」
「生シイタケ」

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検査依頼表をみると、どうやら「H21年植菌」と書いてある
そして「非公開」に丸印がついている
”この人、勘違いしているかもしれない”

当店の放射能濃度検査は、市民用の簡易測定と農家用の精密測定がある
市民測定は、30分測定で測定下限値は指定できない。
精密測定は、測定下限値により測定時間が決められ、単価が計算される。

市民測定の30分は、1000円/1検体であるが、会員になると500円になる。
会員は様々なデーターを受け取ることができる、というよりも一方的に研究室長からメールが流れてくる
これは、多くの人に放射能の理解と汚染状況の実態を知ってもらうことを願っている
だからデーターは「公開」されることを前提に検査をする

精密測定は、2〜3ベクレルまで測定下限値を指定できるが、比重による
比重が軽いものは、下限値はあまり低く指示できない。
干ししいたけのような比重の軽いものは、どうしても時間が長くかかるが下限値も下げることができない
ただ厚労省の基準では、「食べる状態で測れ」というのでも水で戻す。それも厳密に決められている
これは装置を占有する時間が長いので(30分では終わらない)それによって単価が計算される
その計算式は、当研究室の室長が作ったもので、「焼酎の量り売り方式」と言う
ようするに濃度がたかかれば高く、低ければ安いという方式である
小生のように濃度が高いものをいくら呑んでも酔わないという人には損だ(?)
このデーターは、個人のものなので単価的には高いものになる
と言っても測定を業としてやっているところよりは、安いのだが…
これは、依頼する人によって「公開」「非公開」から選べる

 

生シイタケを依頼した人に電話をした
「公開を前提に測定しますが…」
「それは困る。万が一出たら迷惑がかかる」
「それでは精密測定になり、二検体で15000円前後になりますが…」
「いや〜ちょと確認のために図りたいので、そんなに予算はありません」
「どこに迷惑がかかるのですが…」
「いや〜その地域の人や自治体に…」
「それだったら自治体や農協が測れるはずだから、そちらで測って…」
「はぁ〜はい…、じゃ〜色々と迷惑をかけるので、取り下げます。明日の朝早く引き取りに行きます」
と言って電話が切れた

ずっと先祖代々、その地域に住んでいる農家は地域に、住んでいる人やその関わりあう人々に迷惑を掛けたくない
万が一高い値がでて、噂になったら…
いや少しでも出で、風評被害の発端になったら…
その地域に居づらくなるのだろう
そんなものだ、地域とのかかわり合いと言うのは

これは行政や農協がどんどんと、細かに発表するべきである。
要するに発表しないから、しても都合の良い発表をするから、地域の人も
「騒ぎ立てるな。騒ぐと迷惑がかかる」と言って沈黙をする
その沈黙が、消費者にまた疑惑を招くのである
生産者も消費者も、どちらも被害者なのだ。

もっとも過度に反応する消費者もいるが…
「1Bq/kgでも、いやだ」という人が…
じゃ〜3.11以前は、どんな数値だったのだろう

下のデーターは九州産の干ししいたけを戻したものである
137は3Bqで検出だが134は不検出
合計で不検出だが、
チェルノブイリの放射能の可能性もある
ただ定量はできていない。
測定下限値を超えて、定量ができていない(量が測れない)ものをどう考えるか?
その辺が一番説明に苦慮するところであるが…
測定下限値を超えれば、検出と言う言い方も問題はある

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この一冊

朝は忙しい。
ブログを書く暇もない
昨日の茶碗を洗い
朝飯を作りながら弁当も…

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そして庭の花を愛で…

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トイレにこもる一冊を選ぶ

IMG_1690これで時間が掛かる
体調によって長いか…短いか…
出かける時間に寄って、長いか…短いか…
どの本を選ぶか?それで時間が過ぎてしまう(泣)

本日のこの一冊!
感動した。面白い。大量に買って配りたい
いや大量に買って、あくどく儲けたい(嘘)
どっかの頭取は、必読!

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すさんだ心

環境保全型農業直接支払い交付金というのがあるらしい
要するに環境保全型農業をやれば補助金がでるという

大体にして、多くの普通の人は補助金とか助成金とか交付金とか殆ど知らない
どれが返還しないといけないのか?返さなくていいのか?
誰がもらえて、どういう基準になって、どうすればもらえるのか?
これに一番詳しいのが農家である
いや、農家を支援するといいつつその資金を狙うJAとか、
目的など関係がなく仕事だからと予算を消化しないといけない自治体なのである。

友人の農家は「JAにまかせておけば書類を作って、振り込まれてくる。何が振り込まれているのかわからん」と言い
また別の農家は「次から次へと農政課より新しい補助金の仕事が回ってくる」と言う
そんな補助金農業から一番遠いところにある有機農業まで、最近は
「再生産のために値段を…」
「売上が上がるイベントを…」
「消費者に直接つながることで粗利の確保を…」と平気で言い
「6次産業化で決められた仕組みをつくれば…」と補助金がでる

「農業は金がかる」と新規就農者を脅す人がいる
カネがかかるようになったのは、昭和36年の農業基本法で、
「他産業並みの所得を…」というスローガンで合理的効率的な単一大規模農業を推し進めてからである
大規模の水田に大型トラクターやコンバイン。それに植えるための苗の大型ハウスや、収穫後の乾燥機。
畜産も大規模化の効率化で大型牧草地や採草地、サイロや牛舎、トラクターと…カネがかかり、輸入牛肉や乳製品で外国との競争をさせられ、潰れていった
ようするに原価計算をしなければならない農業になってしまった。
おまけに、種・肥料・飼料・農薬・燃料・資材、すべて輸入である。

それいぜんは、一軒の農家に大家族が寄り添って住み、田植えは総出で、稲わらや籾殻は牛小屋や鶏の敷わらに、その畜糞が混じった藁は、堆肥として畑に還元し、畑の野菜屑は鶏に…
裏山から薪を切り出し、孫子のために植林し、全て物が循環していた。その余剰農作物は街へ換金に出していた。
そのもっと昔の江戸時代は「逃散」と言って重税で農家が逃げていくような「藩の農政」は幕府から厳しいお叱りがあり、農家を大事にしていた言う。コメは税金としてカウントされたが、野菜は自由に売れる換金作物だったという

若干の金さえあれば、食べ物があり、働く仕事があり、植物の成長や四季の移ろいに眼を和ませる暮らしがあった
それが、金がないと暮らせない仕組みになったのは、何が原因なのだろう
そして、それを羨むようなすさんだ心は…

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貧乏性

貧乏性が止まらない。
飯を食ったら、食べきれないものを冷蔵庫にしまう。
翌日は、それを食べ始める。そして、それを餌にして酒を飲む。
そうすると作ったものが、また余る
それを冷蔵庫に入れ、次回はそれを食べ始める。そして、それを餌にして酒を飲む。
そうすると、作ったものがまた余る
そこへ、もらったものがやってくる。
店で残ったものも、やってくる

大根が柔らかくなった。
パリパリの大根を売らないとクレームが付く
しかし、しなしなの大根を安く売ったら…
あそこは新鮮なものが無いというクレームが付く

仕方がないので漬物にする
漬物もイッパイになってきたので、自宅用に煮る
大根を、ことこととストーブの火で煮る。
時間がかかれば嬉しいが…あっという間に煮える
人参も黒くなってきたところを省いて煮る
煮汁は、スープに利用したいがスープストックも満杯だ

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仕方がないのでスープを捨てて、大根と人参だけ冷蔵庫で保管する
これを鍋に入れて、またはトマトソースや、大蒜味噌ダレや、ホワイトソースをたっぷりつけて呑む

煮干しで出しをとった小魚も醤油に漬ける。

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「シラウオ」の目が怖くて食べれられないと言う坊主もいるが
アジの煮干は、どうだ!これが食べられたら一流だ(?)
出汁をとった後、アジを醤次郎(オリジナル醤油)につけて酒を呑む。

お陰で冷蔵庫は満杯だ

今でも店はストーブを焚く
朝晩冷えるのだ。別にビールを呑むために熱くしているわけではない
と言って熱燗を沸かすために焚いているわけではない

その〜あの〜
薪がもったいないのだ(?)

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店の外には薪が積んである。
この薪がどんどん乾燥する
乾燥し過ぎると、どうなるか?
紙のようである。ペラペラと燃えていくのである。あっという間に…
力強く厚い熱が、あっという間の激情の熱さになってしまうのである
だから、せっせと燃やす。計画的に積み上げても、その年の寒さによって焚く量がちがう
しかし、積み上げた薪を一年で焚きあげないと次の薪が積み上げられない
山の雑木は30年で元に復元すると言う
岩手は77%の山林をもつ薪だらけの地域である
だから燃やさないともったいないのである。
だから、せっせとストーブを焚く
梅雨寒のときまで…

食糧もたっぷり有る。エネルギーもたっぷり有る
無いのは、お金だけである(泣)

偲ぶ会

目から汗が止まらない
どうしてなのだろう?

おやじの時は、納得した
義理のおやじの時は、諒解した
だから汗は出なかった。

ところがこうさん納得諒解もしないまま逝ってしまった
そんな訳で、こうさんを偲ぶ会で、なんとなく諒解をしたいと思う
なかなか出来ないが…

 

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5月22日(木) 午後6時半〜呑んだくれるまで

会費:下戸2000円・多量に呑む人3000円

申込:当日まで…(?)

場所:こびる食堂

 

 

 

ある程度の競争

山岸が変わった。

昔、北上から盛岡へ移ってきた頃。
小生は学生だったから、高崎で独りの生活を楽しんでいた。
夏休み、冬休みは、合宿とかアルバイトとか旅行が無い時は、盛岡の実家に帰ってきたが誰も知人はいない
多分、岩手大に入った奴は、盛岡に居たのだろうが…ダレが入って、誰が落ちたのか?もしらない。
いきおい町を、ぶらぶらするか、本屋に行くか?パチンコ屋に行くか?
その程度だから実家に帰っても短期間だけだった。
新築の家は、田んぼの真中にぽつんと建っていた。
山田線の踏切から500メートル離れた家が見えた。
今は、さまざまな家が建って、邪魔して見えない。

住所は「外山岸」だった。
下小路から山田線の踏切まで山岸と呼ばれ、
今の山岸3丁目・4丁目・5丁目・6丁目、そして紅葉丘は「外山岸」でくくられていた。
父が北上から県営球場のスタンドの建設に通ったために、この土地を見つけたという

谷あいの細長い街に住宅が建っていたが、今はその山の上まで家が建っている
盛岡の繁華街から、歩いて小一時間だろうか?
バスならば、信号や乗降の時間が引っかかりながら来ても、20分とかからない
そんな地域のために、殆どの人は盛岡で買い物を済ませて帰るか
食べて帰ってくる
バスに乗らない人は、自転車からバイクがちょうどいい距離である
そんな山岸の真ん中にそば屋がある

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山賀食堂である。
多分、山岸と隣の加賀野を結ぶ橋。「山賀橋」という名前から採ったのだろう
板塀の大正時代を思わせる外観であるが…裏から見るとトタンで補修している
山岸に三軒あるそば屋の一軒である
息子が事故を起こした夜は点滅になる交差点の角にある。
一度食べてみたいと思っていたが、
三ツ割の坂の途中にある車の修理工場の休憩室にメニューが貼ってあった。
いかにも昔の食堂と言うメニューが豊富に有った
「ここまで出前するの?」と工員に聞いたら
「注文すれば来るよ」と言う
ラーメンが伸びないのか?
そこまで出前しないとやっていけないのか?
片道5kmはあるだろうか?

その山賀屋も閉店したという

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看板も取り外し、表のガスボンベも片付けられていた
三軒が寄り添うようにあったそば屋は、一軒だけになってしまった。

山賀橋も付け替えられ、新しい道路がつけられながらも
メインストリートは、バスもすれ違うのが往生する狭い道だ。
昔からの八百屋が、寿司屋が… 燃料屋が…居酒屋が…どんどん無くなる
たかだた40年の間に、これだけの変容を遂げる

江戸時代、明治・大正、戦前と小さな町が大きく変わる時代があったのだろうか?
こつこつと真面目に働けば、生きていける時代では無くなったような気がする
そういえば昔、議論をしていて
「ある程度の競争は必要だ」という奴に、うなずいていた自分を思い出す
ある程度の競争などで止められるわけはないのだ「貨幣経済」は…

月別アーカイブ : 2014年5月

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