もとむさんが、なくなった。
最初、名前がわからなかった。
みんな「組合長」という名前で読んでいた。
長い年月、組合長としてその存在が県内にも国内にも響いていた。
しかし、それは豪腕とか凄腕とか、そんなことではなく、人柄だったような…
いつもにこにこ笑っていた。
朝行くと、畑から帰ってきたのだろうか飯を食っていた。
缶ビールを呑みながら…
「これうめぇぞ!」と言いながら雪ノ下から掘り出してきたヒロッコや
ミズの根をすったミズトロロを差し出して…
そして、軽トラに乗って農協に出かけていった。
豪雪の沢内農協の組合長だった。
彼に教えられた
「条件不利益地帯はない」ということを…
沢内は、豪雪の村だった。
そのなかで雪を活用して様々なものを産みだした
そんな組合長らしく、4月も中頃になろうというのに、寺にはまだまだ残雪が多かった
その土地で、そこに根ざして生きていくことが彼の生き方だった
「しょいっこ」と言う行商をやっていたと言う
その話は、面白おかしく教えてくれた。
首席で農業高専を卒業して一流企業に就職が決まっていたのに、
それを蹴ってという前提は、かたらなかった
しかし、彼は何を目指して生きてきたのだろうか
それとも淡々と生きてきただけではないのだろうか?
その生き方のさきに光は見えたのだろうか
農業というのは、目的とか…目標とか…そんなことを考えるものでなない
というようなことを教えてくれたような気がする
安藤昌益に学んだ人である
佐々木覓 享年86歳 合掌
直耕の人 に対するコメント
表現は正確ではないと思いますが、「雪の上には土地所有の境界が無い。その雪を利用して堆肥を運ぶ。雪国の知恵であり利点だ」といった趣旨のお話を伺ったことが、とても印象に残っております。ご冥福をお祈りいたします。
森の水車どの 「雪の上は境界がない」なるほど、小さな頃学校までまっすぐに行くことが出来た。道路と田んぼの境目もなかった。
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