ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

美酒

2013-12-30 5.03.39

 

楽勝である。なんせ和歌山である。
ノートライに抑え、ペナルティ1個の36対3である。

しかし、こんなにするする抜けて良いのか?と思うほど
後輩たちは、縦横無尽に花園の芝のグランドを駆けずり回った。
今夜は、美酒で乾杯である。

 

次は兵庫の報徳学園である。
これは難敵である。
なんといっても花園出場40回目である
二年連続の4回目の黒沢尻北とは、10倍も違う

兵庫の地区大会決勝は、関西学院高校と対戦し大差で優勝した
関西学院が弱いのか、圧倒的に強かったのか?不明だが…
その録画を見ると、足の早いバックスと、身体の大きなフォワードと…
パランスの採れたチームで「日本一を狙う」と豪語している
そういえばわしらの頃、早稲田のラグビー部に植山というフルバックが活躍していた、
報徳学園出身の植山が最初に始めたのが、ゴールのサイドキックだったと思う
当時、ハーフラインからゴールポストを狙うほど距離が伸びたサッカー式蹴り方だった。
それからゴールキックはサイドキックが主流になった

報徳学園とは、二宮金次郎の思想からつくられた学校だという
できればボールを持たないで、薪を担いで走ってほしいものだ
わらじを編んで、父親に酒を買った尊徳
勝ちを譲って、美酒を呑ませてほしいものだ!

おばぁ〜ちゃ〜ん

年末は忙しい。
忙しいというのは、「心を亡くす」と書く
本当に心を亡くしてしまいそうだ

集荷と配達であちこちを飛び回り、店に帰ってくれば年末の挨拶である
そうだ、年賀状も書いていない

一体これで正月が迎えられるのであろうか?
迎えようと迎えまいと、正月はやってくるのである(泣)

忙しい中、配達に行った
パッパッパッと三軒ほどまわって、いつものおばぁちゃんのところへ着いた

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いつもボタンは押さない。扉を開けて叫ぶ
「ごめんくださ〜い」
しまった!
何時も開いている居間と玄関の間の扉が、閉まっている
中からテレビの音が…

腹の底から叫ぶ

「ごめんくださーい」

中からテレビの音だけが聞こえる
仕方がないので玄関の呼び鈴を強く押す
仕方がないので玄関の呼び鈴を二回押す

中からテレビの音だけが聞こえる

まさか無断で上がっていく訳にはいかない
ガラッと扉を開けて顔を見たとん、心筋梗塞で倒れるかもしれない
いや泥棒よけのバットで殴りかかられるかもしれない

しかし、どうやったら気がつくのだろうか

テレビの音か聞こえない瞬間に
もう一度腹の底から大声で

「ごめんくださぁ〜い」

中からテレビの音だけが聞こえる

万事休す

そうだ、電話だ!
電話番号は登録していない。
仕方がないので店に電話をする
「おばぁ〜ちゃんに電話をしてくれ
”今、玄関に配達に来ている”と…」

数分後、電話の呼び出し音が聞こえないのに
テレビの音声と一緒に、おばぁちゃんの声が聞こえる
「あっ、そぉ」と言っている
そして居間の扉が開いた

耳の聴こえないおばぁちゃんと、声の出ない配達員の忙しい年末の話である。

安全と安心

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お堀の水面に、灯りが映っている
開店前の喧騒だろうか?
大きな声と大きな音が交じり合って、静かな水面にこだましている
桜山である。
毎週金曜日、ここに集まってデモに出かける

いつの間にか夕方の桜山が、闇の桜山に変わったことで季節を感じる
今年最後の盛金デモである

原発は止まらない。
再稼働を申請するという
再稼働を容認するという
原発を輸出するという

原発は安全のために二重三重の安全装置を設けてある
いや、それ以上に安全装置を徹底しているだろう
「だから安全である」と言う

人はミスをする動物である
形ある機械は壊れるものである

「だから、安全だろうが、安心はできない」

偉い人達

一人暮らしを始めるために乗った汽車からみた車窓は、暮らしてきた風景とは違った。
”光かがやき希望に満ちた”と言う風景ではなかった。
不安と、たよりなさに潰されそうな、山が近い灰色の風景だった。
着いた高崎駅は、人混みにあふれていた
売店には見慣れないものが一杯ぶら下がっていた
緑のものや丸いもの、刺し身で食べるもの…などなどがぶら下がっていた

蒟蒻(こんにゃく)である

蒟蒻というと、あの灰色の両毛線の風景と駅の売店を思い出す
4年しか居なかった群馬県は、短い経験から言うと「うどん」と「こんにゃく」である

群馬は畑作中心の小麦文化圏であり、うどん文化圏であった
初めてアルバイトをした時に上司が自宅へ呼んでくれて「おきりこみ」を食べさせてくれた
それは山梨の”ほうとう”のような煮込みうどんだった
先輩の彼女の実家では
「昼は、うどんにすべぇ〜」と言って母親が、庭にむしろを引いて足でうどんを踏んだ
そんな、うどんの小麦文化なのだが、麦秋という風景と言葉は岩手で知った

じゃ〜蒟蒻は…と言うと駅の売店に、土産としてぶら下がっていた記憶しかない
食べた記憶も無いが、ほとんどの国産蒟蒻は、群馬が生産地だという
下仁田は下仁田ネギが有名だが、蒟蒻も産地だという

そんな蒟蒻の粉を下仁田から取り寄せた
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デンマークだか?オランダだか?ベルギーだか?
なんだか、その辺に仙台から修行に行っているシェフが、「使ってみたい」と言う

蒟蒻芋は、使えるまで三年かかる。
種芋を植え、翌年掘り起こして、また春に植え直す。
それを三年から四年繰り返して大きくする。
そんな生産方法を編み出した人も偉いが
芋からあの蒟蒻を製造したという人も、えらい。

しかし、よく考えてみたら蒟蒻というのは、日本だけの食べ物なのか?
そんな偉い人達が作った蒟蒻を、外国人が食べられるようにしようとするシェフも偉い

必要な仕事

胃カメラを呑んだ
久しぶりである
「チョコレート味にするか?」
「メロン味が、いいかな?」
などと、こちらの意向は問わない。

ひげ面の医者は、どんどん太いひも状のカメラを突っ込む
何回と胃カメラを飲み込んだベテランの小生も、
「ゲェ〜ゲェ〜」
と涙を流しながら、モニターをみた
どぶそうじに突っ込むブラシのように医者は、出し入れしている
モニターは、喉から狭い手術跡、胃袋まで映しだされている
きれいな内臓だ、我ながら褒めてあげたい

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薄桃色のきれいな肉のトンネルに、ところどころ赤いものが流れている

そうなのである。
最近つばを吐くと、血が混じっていることが多い
これは、やばい。
”食道癌が転移したか…”と心配していたのである
医者は、ずるずると胃カメラ引き抜きながら

「胃酸が逆流して粘膜を損傷し、飲み込む時に傷つけるのだ」と言う
そして「薬を出しておくから…」こともなげに

食道には胃酸の逆流防止の弁がついている
それを取ったため、胃酸が逆流するのである
飯を食う時も丼を上げて食べないといけない
人と出会っても、お辞儀をしてはいけない
だから寝るときも頭を高くしないといけない
だから何時も人を見下す態度を取らざるをえない
石原慎太郎みたいだと言われるが、本当は石原裕次郎と言われたい

しかし、医者の見立ては正解なのだろうか?
ひょっとして誤診ではないか
ひょっとして専門外の咽喉癌や乳癌ではないか?
いやぁ〜もっと重篤な子宮癌では…

そんな不安を解消するために保険に入っていた
しかし、よく考えてみたら、そんなんで不安の解消になるのか?
残されたあとの人のことを考えて…と言いながら
もうかる保険会社の餌食になっていくだけではないか?
保険の伯母さんに言った
「不安を煽って、金をむしり取る因果な商売だね」と…

社会に必要な仕事は、儲からないのである。

 

 

どんぞこ

年末になると、喪中はがきが来る
この歳になると、父が…母が…と言ってもだいたいが90を超えた人が亡くなったと言う喪中である
20年前は、祖母が祖父が…という喪中だったが…

 

そんな葉書の一枚に、こんな宛名が有った。「鉢の底」である

だいたいが住所の「鉢の皮(はちのかわ)」という住居表示が珍しい
よく平気で、その辺を歩いているののは「つらのかわ」が厚いやつである
このまえ都知事を辞めた人は「ばけのかわ」が剥がれた人である
「さんずのかわ」を渡してやるのに親子で船賃をとっている家内企業もある
(最近バックグランドに異教徒の音楽を流していると聞いた。)

その「はちのかわ」というのは、調べたら

「植木鉢」の「皮(表面)」の土が採れるところ

と言う意味だという
なるほど、それで重粘土質の赤土なのである
以前テントハウスで営業をやっていた時に、ハウスを二棟建てた。
並列して建てたので、間に大量の雨が流れ落ち、ハウス内に大量に滲出し、深さ10センチの湖ができた
ハウスの間の排水口が、浅かったのである。(小生の考えと一緒だ)

木造で建てた店は、雨樋が付いている。
しかし、機能を果たさない。
雨樋に松の葉が溜まって、流れ落ちないのである
この雨樋の松を取る作業が大変である。ハシゴを少しづつ移動させないといけない
本当に松園に行く道の並木を、どんどんぶった切ってほしいと請い願う入道である

話がそれた
「鉢の皮」という住所が、なぜ「はちのそこ」になってしまったのだろう
これを哲学的に考察すると
植木鉢は、「皮(側面)」」も「底」も材質は一緒だ。
だから深く考える必要はない
おなじ「どんぞこ」である(大泣)

くまにく

「放射能を測りに来たのですが…」と威勢のいい、スラリとした年齢不詳のハンターがやってきた
年齢不詳というのは、一見して同じ年代か?
ひょっとしたら十歳ぐらい若いのか?
と言う歳である

別に”ハンター”と名乗ったわけではない
「獲ったクマ肉を測って欲しい」と持ってきたのである

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ボランティアの平佐先生と話をしているのを聞くともなしに聞いていると

「クマ肉を売っているので、できるだけ小さな値まで図りたい」
「経年変化を調べてみたい」と言う
クマの経年変化と言うのは、意味があるのか?と思うが…
どれぐらい移動するのかわからないが、あちこちを移動して餌を食べ歩くので、
どこの餌を食べたのかが問題なのだが

店のそばに、よくクマが出る
それは北上山地の尾根伝いに沿岸の方からやってくるというような話を聞いた
よくシカも出る。茶色のシカだったり、大柄のグレーのシカだったり、
カモシカとニホンジカの区別がつかないので「シカ」と言うが…
食べ歩きながら出てくるので…(まさか弁当を持って歩いているわけではないだろう)
あちこちの木の実を食べながら歩くから、どこのクマがやばいか?と言うのは
何頭も測ってみないと傾向もわからない

まぁしかし、猟で生計を立てているのだから、
あの地域のクマは、ここまでは移動しないというような可動範囲がわかっているのかもしれない。

その年齢不詳のハンターは、「メールアドレスも…ファックスも…もたない」
そして「介護をしているので、家を離れることはなかなかできない」という。
測定したデータを送るのに郵送でしか送れない
そのうえに精密測定だから、正式測定で比重がはっきりわからないと測定費用が計算できない
困った。

しかし、今どき、FAX機能なしの固定電話しか連絡先をもたないというのは、よほど山奥に住んでいるのだろうか?

残金も入れて郵送で送ることにして、帰った後、梅さんが言う
「オモイシさんは、何時も来るの?」
「知っているの?」
「昔、有機農業をやっていた人だ」と言う

川井で獲った熊肉は70Bq/kgぐらいでたが…
南昌山で獲ったというクマ肉は…

先客

小坊主の親から電話がかかってきた
「こんどの本、面白いぞ!もう届いたか?」と言う

小坊主の親だから、大坊主か?
ということは、入道か?ということはワシか?

そんな話はさておいて

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内山節の「新・幸福論」である。

今まで著者謹呈など、山下惣一さんからしか届いたことがない
初めての「著者謹呈」である
なんだか酒乱の席で「送る」と言っていたというが…

どうせ、すぐ読めない。
まぁ目次でも開こうか?と思って
その前に「まえがき」を!

なんと読み始めたら止まらない
「私達はどんな時代を生きてるのか。それが本書のテーマである」と冒頭にある

そうなんだよ。それが知りたいのだ。
今までの歴史と反省とが、今の時代を作っているのだが…
それがどのような方向に行くのか、今の時代をしらないと…

目標を持てない若い世代を大量に生み出した時代
目標をもっって生きることの虚無感
目標を持ってきて達成した人々が、はたして幸せを手に入れたのだろうか?

なんだ、前に女子高生に話をした内容に似ているな?
まぁ弟子と師匠だから仕方ないが…

あとがきは

「私達の社会は、近現代の幻想からようやく解き放たれて始めたのである」とある、そして続く
自由は個人の中にあるという幻想から、個人を自由にする結び合いの模索へ。
個人のエゴイステックな社会から共に生きる社会へ
勝ち続けることを目指す経済から、ともに生きる経済へ、
ゆえに今はローカリズムの時代でもある。むずびあう世界のなかにローカルな成果を見出すという意味で…

う〜ん早く読みたい。トイレにこもりたい

しかし、トイレには先客がいる

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普通の社会

先日、倒産した八幡平市の「盛岡納豆」のことを書いた。
そういえば「花巻納豆」はどうなっているのだろう?

盛岡納豆は、丸勘商店というところが作っている
以前は盛岡に有った。
花巻納豆は、花巻に有る。
しかし、支店のような…姻戚関係だろうか…
盛岡にもある。
どちらも「大内商店」という。資本関係は無いという
ややこしい

それで盛岡の花巻納豆の大内商店のおかみさんに話を聞いた
「丸勘さんが無くなって、注文が増えて大変じゃないですか?」
「だってぇ〜人だって増やせないし…設備だって、古い設備だから…せいぜい10個〜20個増えた程度ですよ。
ただ丸勘さんから”もやし”を買っていたから、大変だった」
「へえ〜それでは、一関の小岩久三郎商店の白糸納豆に商圏が移ったのですか?」
「あらぁ〜、小岩さんも夏にやめちゃったよ」
「えっ!廃業したの?」
「風評被害で、売上が減ったらしい」
「ふーん、じゃ〜青森や秋田の大手業者がどんどん入ってくるのだ?」
「いや、下りものが、どんどんはいってくる。安ければいいのだもの…
うちにも見積が来るけど、納豆容器からして値段が違うから、適当にあしらっている」

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納豆や豆腐のような大豆加工品は、大手がどんどん勢力を伸ばしている
大豆加工品は、要するに設備投資産業である
ちいさな設備では地場の豆で生産するしか無い
大きな設備は、それに見合った販売先が求められる
いきおい大きな量販店向けになり、効率的生産を強いられる
そして、最大手の量販店バイヤーは「原価計算をもってこい」と言って
「これが削れる。あれが削れる」と丸裸にされて、ギリギリまで削られる
ところが設備を動かさないといけないから、仕方なく呑む
何かあれば、余裕が無いから、一気に倒産する
と言って小規模は、値段が下げられないから、多くの売上は望めないし、利益も出ない
売上が拡大しないと、銀行も金を貸してくれないから、家族で年金もはたいて続けていかないといけない
結局、地場商品は続かないのである

法人の寿命は30年という
丸勘も小岩も花巻の大内商店も、100年近く続いた店である
このような店が、なくなる社会というのは、経済システムが問題ではなかろうか?
経営能力の問題に矮小化するが、それだけでは無い
いままで近世の中で”再建の神様や仏様”がもてはやされてきたが、最近その人達の話も聞かない
目先の再建をしても長く続かないのである
普通の人が普通に努力して普通に生きられる社会、それが必要なのでは…

地域にねざす

最近、客や仕入先との間で商品開発の話が多い
ようするに、売れる商品はなんだ?
それを作りたい!

と言う話だ


「売れる商品」

わかったら教えて欲しいのだが…

まぁほとんど商品開発は、なされている
ちょっと目先を変えたり、デザインを変えたり、ネーミングをこだわったり…

それをマスコミが騒ぐので、一時期流行る
しかし、ブームが去ると、一段落である

多分、ある程度の周期で商品のサイクルというのは成り立っているのだろう
だから、昔のものを見なおしたらいいのかもしれない
 

先日沿岸に行ったときに見つけた

沿岸の商品としては、垢抜けている
面白い
捨てられるべきものを利用したにしては味も良い
「アカモク」である

もっとも秋田では食べられていたという。
「ギバサ」と言う名前だ
ギバサは好きだ。
あれを真っ白いご飯にかけて醤油をかけまわして食べるのが…

別に佃煮に加工してびん詰にしなくても、
岩手の…三陸の…「ギバサ」として売りだせばいいのに…
と思う

しかし、それでは値段が取れないのだろう
これは一瓶600円だという

試しに買ってはみたが…
これは「都会向けの復興イベント商品」であろう
地域で長く続く商品では無い

食堂の付き出しに出てくるような
小料理屋のお通しに出てくるような

そんな、地域根ざした長い商品にしてほしいものだ…

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これは当店で販売している「アカモク」である

月別アーカイブ : 2013年12月

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