ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

創造(回帰?)

「よりよく生きるためのフォーラム」

〜ともに繋がりつづける暮らしを求めて〜

というフォーラムが開かれた

多くの人は、なんか慈善団体か?チャリテイのイベントか?宗教団体か?
というのがほとんどだろう

このテーマは、社会福祉の業界だったら分かる人がいるのだろう
生活困窮者や、ひきこもりなどの就労支援を求めている人たちの、
支援する人や相談に乗る人を対象にしたフォーラムである
まぁこの業界のフォーラムだから関係者しか来ないだろう

と思っていたら年越し派遣村の村長「湯浅誠」の基調講演という情報がマシェリで流れた
前日に多くの問い合わせが有ったという
当日は、300人ぐらいに入る会場に約200人ぐらい入っただろうか?
「湯浅誠」ファンというのが、確実にいるという証明である

湯浅誠の話は
生活困窮者と言うのが確実に増えている
それ以上に、その実態は介護のために職を離れる介護離職が増え、社会復帰ができずに社会から排除され、社会的損失につながり、その結果、消費活動が停滞し経済にまで波及しているという
それを、自分の兄が筋ジストロフィー症で障害者の介護という家族の生活を通して説明してくれた
その実態をわかりやすくするために様々な手法がが必要だ。
数値的には(SROY=ソーシーシャル、リターン、オン、インベストメント=社会的投資効果)等
釧路市は3.5倍の投資効果を上げ5500万の利益を出している
そして生活困窮者を無くすよう社会が変わっていかにといけない


というような話をした
よくわかった。説得力がある話だった

栃木の若者就労支援の中野理事長、
フードバンク山梨の米山理事長
save iwateの阿部生活支援員

三名の実情の話も納得した

それでどうするのだ

色々と話を聞いてみると行政との連携プレイでないと予算も付かないし、行動も起こせない
まして支援する人の人件費もでないという
またフードバンクというシステムは、企業からの食糧(B品や包装不良、賞味期限間近の商品など)の寄付を無料で配布していると言う

ということは、主導権を持っているのは行政で、小出しに出した予算で一年の仕事が決まり、それをこなすのが精一杯か
フードバンクにしても、企業が合理化で商品ロスを無くす努力をしたら、安定して商品が入ってこない

それにしても生活困窮者支援は、対処療法である
みんなが、ある程度の収入を得られる仕事があればそんなことをしなく済むはずである
しかし、そんなことはできない
なぜなら、多くの仕事が海外に行っているからである
昔、中学卒。高校卒・大卒それぞれに就職先があった。
今、中学卒・高卒の製造の仕事は東南アジアに、サービスの仕事は大卒との奪い合い
仕事がない。
まして中高年の人たちは、一旦首を来られたら再就職はできない

生活困窮者たちは「金をもらって衣食住をまかなう」と言う仕組みが成り立たなくなってきている
元気な身体を動かして、食だけは賄う、という仕組みはどうだろう

衣は、以前から持っているものを…、余っている古着をもらって
住は、現在の住まいか、公営の住宅を…
日々の食は、遊休農地を使って食糧生産
あと必要なのは、エネルギーだけである
(エネルギーの自給はちょっと考えないといけないが…)

そんなことから、食糧生産は農業に結びつき
新しい農業の創造(昔の農業への回帰?)につながるかもしれない

そんなことを考えさせられたフォーラムだった

ストレス解消

「黒にんにく」の代理店をやっている
流行っているというのは知っているが、実際に取り扱ったのは今年になってからだ
結構注文がきた。

高齢化した松園だからかも知れないが、身体に気をつける人が多いのだろう
こんな効能があるという

代理店をやって、よくわかるが目に見える効果が無いと長続きしないものだ

始めたころに注文をくれた客がいる
最初、配達に行くと、留守である。
玄関のそばの縁側からカーテンを開けて覗く人影が見えた
どうやら、いるようである。
何回も呼び鈴を鳴らして、出ない声で大声を上げた

先方も、しかたなくというか…しぶしぶ出てきた

「誰かと思って見たのよ。あたしには関係ない人だからでなかった」と女性は言う
「ご主人から、注文をもらったのですが…」
「関係ないわ。お金をもらっているわけではないし、
家の中で口もきかない。部屋を区切って生活してますから…
なんだか何時も、朝、どこかへ出て行くわよ」

どうやら家庭内別居らしいが…ひどいものだ
どちらかが倒れたら、どうするのだ?

「留守が多いので携帯に電話をして欲しい」と言う
何回か電話をして、ようやく捕まり初めて現金引換えに手渡した。
二回目も何回か電話をして、ようやく手渡した。
 

それから捕まらない。携帯に電話をかけると
「電話に出られないところにおります。後からおかけ直しください」と言う
留守電に伝言を吹き込むならいいが、「後から電話をしろ」と言う
 

 

そして三ヶ月後、電話がかかってきた
電話をとった魔子様は、すごい剣幕で怒られたようだ
「定期的にとっているのに、なぜ配達しないのだ
担当者はだれだ。名前は!」と電話で怒鳴りまくったという
留守をしていたが、その後
何回か電話をかけた
「後から、おかけ直しください」というメッセージが何回も流れる

「キレた」
久しぶりにケンカ相手がでてきた!嬉しい!

先方から電話がかかってきた
先方が文句を言う前に先制攻撃である

「配達できません。おたくは!何回電話をしても留守電になり繋がらない
自宅へ行っても留守、奥さんも受け取ってくれない」
「居ない時が多いから、携帯に電話をくれと…」
「携帯の電話がつながらないじゃないか、一日中おたくに電話をかけているヒマはない
おたくは配達のしようがない。当店ではフォロー出来ません
メーカーから代引きで、送らせますから」
と出ないかすれ声で声を張り上げて怒鳴りつけた
先方は、おどおどと…して「はい」

こういうストレス解消の困った客がいるのである。
しかし、代引きと言っても宅配便のうんちゃんが困るだろうなぁ〜
電話をしても、配達しても…捕まらないのだから…
荷物をもどすのだろうか?

そうした場合は送料は、どっちの負担になるのだろう
 

秋じまい

「秋じまい」と言う言葉を、聞いたのは40過ぎて農業と言う仕事についてからだろう
サラリーマン時代は、季節と言う認識があまりなかった
夏が暑いときは冷たい麦酒を、冬はこたつで燗酒を、その間に散る花を愛でる花見酒の春が有り、
そして林間の紅葉に酒を温める秋があり、常に酒とともに季節はあった。

「秋じまい」は、秋の農作業の一段落に催す宴である。
農業は常に季節とともに有るということを認識させる言葉である。
「秋」は農業の言葉では「〆」を表す言葉なのだろう
春先に「秋払いで、いいですか?」というと年末の支払いをさす。
米代金が入って、それからの支払いのことを言う
「何月末に払いますよ」という他業界の商慣習よりも、柔らかくていい加減で、いい言葉の響きである

また地域によっては「庭じまい」とも言う
「庭じまい」も収穫物を広げていた庭をきれいにしまい、一年の農作業の終わりを表す宴であるが
最近はそんなことをする農家も、あまり聞かない

そんななか

「雪吊り」をしている農家があった
冬ごもりの準備だろうが、これは収穫した稲藁から作り出すものだから、言葉通りの秋じまいだろう

民芸品のような、わらで作った傘(?)である。

最近、稲刈りは、ほとんどコンバインで行う
コンバインは稲穂を刈り取って、藁を切り刻んで田んぼにすきこむか、藁を束ねるかが選択できる
しかし、ほとんどの農家は、切り刻んで田んぼにすきこむのである
束ねた藁は、手間がかかる
田んぼに束ねた藁を立てて干さないといけない
これが腰を曲げての辛い労働である
稲わらを立てても、雨が続いて干せない場合もある
せっこきして、春までそのままの田んぼも有る
(せっこき=なまけもの)
そして、その藁を保管しておく広い納屋が必要である
そこは、ネズミの巣になるが、ネズミも共存していた

昔は、その藁に糞尿をかけて堆肥にしたり
農作物の畝間の敷きワラにしたり利用していたから大量に必要だった
そしてその藁から、蓑・笠・すげ・雪靴や雪吊りなどを生み出す技があった。


いまはすべて、鉱物由来の化学肥料と化石燃料由来のプラスチックにとって替わられた
枯渇資源たる天然鉱物と、循環資源たる有機物と、どちらを大切にするべきなのだろうか

仏罰

こんな案内が、某ライブハウスから回ってきた。

 

へぇ〜小豆粥がでるんだ!なんで小豆粥なんだ?

なんだ?おときって!加藤登紀子のことか?

二回もお勤めがあるが、刑務所のおつとめか?
高倉健がお勤めが終わって刑務所から出てくる場面があったが…

内山節と言うのは、早坂の外山節とどうちがうのだ?

 

いろいろな疑問をお持ちの方、是非、疑問解消にお集まりください
疑問をそのままにしていると、仏罰が当たります(?)

 

れいよし

「零余子」と書いて「れいよし」と読ませる

零=れい 余=よ 子=し

当たり前だ!しかし、もう一つ呼び名が有る

むかご

零=む 余=か 子=ご

である。これは無理があるだろう

 

読み方もそうであるが、意味も今はわからない人が多い

若いギャルなんかは
「ムカつくガキだ!」と思う人が大半だろう!

 

 

これは山芋の種である。(簡単にいえば…)
これを蒔いて山芋を作る
ただ蒔けばいいと思っているが…

これを蒔いて、収穫したものが種芋である
要するに種芋をつくるための種である

そんな面倒臭いことをしなくても、種を蒔いてできたのを食べればいいじゃないか?
と思う人が大半だろう
小生も、そう思う
なぜ?そうならないのか?
その不思議な魅力が零余子(むかご)なのだ
(本人もよくわかっていない(泣)

そんな零余子で、むかごの炊き込ご飯を作った

秋の弁当の恒例のメニューである

「零余子」は、しずくの余りのちいさなもの
と言う意味らしい

俳句の晩秋の季語になっている

ちいさな余り物のようなものから大きな長芋が別れて…

と言う感覚的なことを表している漢字のようだ(想像)

ラーメン考

先日有るBlogに、こびる食堂の青瀧麺のことが書いてあった

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【青龍麺】(¥600)
最初に驚いたのは、刻みネギが別に添えられていたこと。
別に添えなければならない理由とは?今ひとつ分かりません(^_^;)

では、スープから。自慢の「だしスープ」には、残念ながら濃厚さは感じられません。
何のダシなのか?よく分からないぐらいの、あっさり感・・・
こちらでも販売されているという自慢の醤油「醤次郎」の風味が際立ちます。
味は良いのですが「かど」を感じるスープです。このスープ・・・ひっつみのつゆと共通のだそう。

麺は軽米町・古里斉の南部小麦を使用し、北上産の更木を混ぜ込んだもの。
原料は、こちらで出されているひっつみと共通のようですね。
非常に柔らかな食感で、即席麺にも似た歯応え。の風味は、実際のところ分かりません。

野菜類は人参・ごぼう・大根などを薄く短冊にしたものに、えのきが加えられたという感じ。
肉は入っていません。これに、手づくりだという鳴門が一切れ。鳴門は、ちくわのような食感でした。
これに、おひたしが付いてきます。特筆はありません・・・

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たぶんこの人はラーメン好きなんだろうなぁ〜
この記事から類推すると…

ラーメンと比較して書いたのだろうと思うが、
こちらの意図は
ラーメンとは違うと言うコンセプトを打ち出したいのだが…

ラーメン好きには、かなわないものがある。
なんといっても、その情熱である
どこまでも行く、そしてその薀蓄たるや広く深く果てしない

 

小生のラーメン人生は、中学時代に始まった。
田舎で外食するような食堂はなかった
そこへ近くにホルモン屋ができた
ホルモンと聞いただけでも、今はモッキリが浮かび上がるが
当時は、そこで昼食メニューでやっているラーメンだ
衝撃であった
こんな旨いものが有ったのか?
後から考えてみれば、まぁラーメンというか…支那そばというか…
単なる醤油味の、ありきたりの中華そばだったが…
そして母が高校の受験勉強で作ってくれたインスタントラーメン
それが食べたさに、勉強をした(?)しているふりをした。

高校の時は、そんなに記憶が無い
家とグランドと教室の、三点が1km以内で、その中にラーメン屋はなかったし
外食するような小遣いも、もらっていなかった。

仕送りの大学時代
グランドのそばの美松食堂で腹を満たすために
 ラーメンライスの大盛り
 ラーメンとカレーライス
 たぬきうどん大盛りライス
”ツケ”のノートには、この三つの文字の羅列であった
(当時貧乏学生は、仕送りやアルバイトが入るまでツケで食べていた)

そして自分で金を稼ぐようになった社会人時代
「ラーメン」「中華」「卍が赤」で書いてある看板をみると、
何時であろうが飛び込んだ
あとから出てきたのだろうか「ピュアマップグルメ」というのができてから
それを片手に食べ歩い「〇〇に行きます」と言って、行くラーメン屋を決めてから、営業先を選んだ。
そして呑んだあとの〆のラーメン
「私の身体はラーメンで出来ている」と言っていいぶよぶよの身体だった

池袋のサンシャインの裏の大勝軒。洗面器に5玉ぐらいのった大盛りラーメン
国立競技場のそばの脂ギトギトの立ち食いラーメン
銀座3丁目の古式ゆかしき満福の澄んだスープ
もやしたっぷりの4丁目の時計台
呑んだあとにたべる横浜駅の脇道の縮れ麺
札幌のビルの上にある紳士のような職人がつくる三平の味噌ラーメン
博多中洲で食べた替え玉と紅しょうがに驚いた白濁スープ
新宿で食べた熊本ラーメン。
数えきれないほど、思い出せないほど、食べきれないほど、食べた

だから、うるさいラーメン好きに、ラーメンとは比較されたくない
「やさい畑らしい、中華麺を使用した汁麺を」というのがコンセプトである

だから店のPOPを作りなおした
以前のPOPには「鴨だしスープ」と表記してありました
偽装でした。伏してお詫び申し上げます(謝・謝・謝)
辞めるアイガモ農家や、鴨を屠畜する場所が無いなどと問題が多く、
また安定して入ってこないので(春先には無くなる)
「二戸の十文字チキンカンパニーの菜彩鶏」に替えました
こちらのほうが、値段は高いのです(泣)
またまたお詫びして、今まで出た12万食の差額を徴収したいと思います(笑)

また桑茶の効用も、薬事法で厳しく規制されているので「糖尿病に効く」とはかけません
「食間に食べると効果がある」というふうに濁してありますが、
「なんの効果だ!」と聞かれても「血糖値をあげない」などとは書けないのです(泣)
 

 

注(「H醤油」というのは誤植です。この醤油を食べると精力絶倫になる、という話ではありません(謝)

褒める教育

先日有るBlogでこんな言葉を見つけた

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うぬぼれても自分の得意な点を              
            見つけてそれを伸ばすようにする。
 
それこそが教育の大切なところ、と語るのは
玉井義臣・あしなが育英会会長です
(『NEWあしながファミリー』9・10月号)。
欠点を探し矯正する日本の教育法は、うまくいかぬどころか
自信も失くす、と言うのは正しい。私は小学4年の担任の
先生のお陰で自信がつき、学力が上がるばかりか
最下位からリレーの選手へ足まで速くなってしまいました。
 

ただし、仕事はまず自信を失うところから出発するものです。 

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先日の”独り言”で「怒らない教育」というのが話題になった
正確に言えば「やたらと怒らずに教え諭す教育である」
怒るというのも相手に威圧感を与える怒り方ではなく、諒解させる怒り方ではないか?と思う

小生の場合は、顔が、体格が、威圧的だから、教え諭すように怒っても、高圧的に怒っているようにみられる(泣)
だから余り怒らないようにしているのだが…それは対象による

最近「褒める教育」というのがもてはやされる
それが冒頭の言葉である
「褒める教育」は正しいと思う
しかし、時によっては…である
その時とは、学生時代である。伸びる人は精一杯伸びていくだろう
学生時代というのは特殊な社会である。
なんといっても、同じ年代の人が集まっている場である
社会では、そうはいかない。
定年間際のから、新入社員まで40年の隔たりがある社会である

先日ある若者と出会った。
彼は「褒める教育」の見本のような若者だった
自信満々である
「私にはリーダーシップがあります」という
リーダーシップとは、他人が認めるものであって、自分で言うものではない

学生時代に褒められて有頂天になって、勘違いに気付かずに社会に出て行く
その嫌味な言動に、たぶん周囲からいじめられて落ち込んでいくだろう

そこから気がついて這い上がるか、そのまま沈んでいくか…
社会の教育と言うのは、そこから始まるのだ

 

自分の新入社員時代は、まったく自信のない若者だった。

周囲は、海外をヒッチハイクで歩きまわったとか…
日本国中を旅行したとか、
有名大学に入って色々な仕事をしたとか
様々な経験を売り物にした同期がいっぱい居た

圧倒された。
なんせ、ラグビーと、その仲間の交流しかしらなかったのだから…
役員と新入社員の同期の集まりで
「ラグビーしか知りません。これから頑張ります」と言って
当時の常務に、みんなの前で怒られた
それが契機ではないが、大きな端緒になったかもしれない
40年たっても、未だに記憶から抜けない

山本五十六の
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

一部分だけ取って教えても、人は動かないということだろう
本当に人を教え育むことは、手間ヒマがかかり、難しいものだ。

思考回路

うら寂しい場末の酒場だ

ちょっと昔は小奇麗だったような老婆が独りで切り盛りしている

こんな居酒屋が好きである。
なんだか自分の人生と重なり合うような気がする
年月を重ねて、飾らない、そしてなんとなく居心地がいい

モッキリを頼み
「何かつまむものを…」と言うと
「厚揚げの煮たのが…」
「それ!頂戴」

ちょっと甘めに煮た厚揚げが、一口大に切って5〜6枚
一合にはだいぶ足りないモッキリを、空にするのと食べきるのと一緒だ

おっ!バスの時間だ!いくら?

 

なんとなく、流行っているのではなく落ち着いた空間で呑みたくなったのは

茶木みやこライブIn専立寺

を聞いたせいだ

歌手はよく知らないが、メロディーはどこか懐かしい
なんといってもフォークソングだ
なつかしいあのフォークギターを抱えて歌うのだ

と言ってフォークソングに詳しいわけではない
当時は、グランドとバイトの往復で、音楽などは流れるままに聴いていただけである

「知っている歌手の名前を出せ」と言われると
「吉田拓郎」「岡林信康」あとが、出てこない
そして、どんな唄を歌ったのかしらない
たしか「銭湯帰りに、洗い髪が濡れて…」とか、そんな唄のような気がするが…

このライブの歌手は「ピンクピクルス」というデュエットだったという
デュエットといえば、「ピーナッツ」か「こまどり姉妹」だろう

フォーク→デュエット→こまどり姉妹→居酒屋

こんな思考回路である(泣)

繁華街の有るビルの四階に、子どもの遊ぶスペースが有るという
そこへ「弁当を配達してくれ」と言う注文があった。

まさか、そんな繁華街で子どもを遊ばせるスペースが…
ひょっとして、夜の勤めの母親が預ける保育所か?
と思ったが、そうではないらしい

なんといっても昼間の弁当の配達だ

「まさか、ビルの四階にこんなスペースが…?」と思いながら、
ひょっとして探さないといけないかも…と早めにでたら、早く着きすぎた

その部屋の管理人は「予約している人は、まだ来ていない」というので待った
エレベーターが上がってきて下りてきた客は「このまえはどうも」と言った

そういえば二三日前に配達した人だ
しまった、メニューが一緒だ

連続して注文してくれる時は、気をつけてメニューを変える
ところが何日か空いて別の場所の配達だと、同じ相手だと気が付かない

盲点である

  

旬の料理を…と言っているが、旬とは10日間である。
10日以内に注文すれば同じものになる

「何日前に食べました」と言ってくれれば、別のものを…

残さなければいけないもの

初めて国立競技場に行ったのは、大学も卒業する頃、昭和47〜8年ぐらいだろうか?
東京オリンピックのために作られた246のわきの歩道に「外苑前」と言う、ちいさな地下鉄の薄暗い駅で乗り降りした。
そういえば「表参道」の駅も、似たような細くて長くて暗い駅だった。
そんな駅から地上に出ると、まだまだ二〜三階建ての建物が連なり”にぎわい”とは、ほど遠い街を呈していた
何時も行くのは冬、当時は釜石の試合だっただろか?早明戦だっただろうか?
年末年始のラグビーの試合である
ひょっとして学生時代と、社会人になりたての時代が混同しているかもしれない
だからもう40年も前のことである
広い幅の割合に、車の台数も少なく寂しい通りだった
まして冬である
外苑の並木道を、落ち葉を踏みしめながら歩いた覚えがある
その時は訪問者だった。

 

それから10年後、勤め先が移転して南青山に移ってきた
その頃には、表通りは鉄骨造りのビルが何軒も立ち一応のにぎわいはあったが、
奥まったところに古い蕎麦屋と、新しいブテックが混在し、
夕方になると、外人が夫婦で…老人が犬を連れて…恋人が腕を組んで…散歩をしていた
狭い裏通りには、密集した住宅の中に、ぽつんと焼き鳥屋があったり
そこでは高齢の俳優が、女を口説きながら焼き鳥を喰っていたり
入り口は目立たない造りだが、地下に降りると洒落たバーが営業をしていたり、
マンションメーカーと呼ばれたアパレルのオーナーが、ピンクのリンカーンから降りてきたり
そして、ある日突然、そのマンションの一室が”空になっていた”というような話が飛び交っていたり
そういえば向田邦子も、当時は近くに住んでいたようだったが、亡くなった後から気がついた。
新旧取り混ぜたというような、アンバランスな面白い街ではあった。

そんな街に会社が有ったから、夜も昼も楽しい。
昼はキックオフ10分前にいけば、ラグビーの試合は、いつでも見られる
そんな人が、いっぱい居たのだろう
競技場では「〇〇先生!教室にお戻りください。生徒さんたちが待っております」
というようなアナウンスがあって、みんな爆笑した。
夜は、面白い変わった店はないかと、朝まで徘徊し、時折、会社に泊まった。

そんな懐かしい街だったが、数年前に行った時には、新しい駅・新しいビル・新しい街に変わっていた

新しいということは、嬉しい。新鮮という感じだ
しかし、なんとなく薄っぺらな…頼りない…表面的な感じがする。
そこから時が経って、想いが積み重なって、大きな重いものが出来上がってくるのだろう

こんな運動があるのだ

神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会

いろんな人がいるが、歴史の重さと新しい快適さの中で、何を残さなければいけないのか?
よく考えてみたい

 

月別アーカイブ : 2013年11月

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