多くの人が盆休みをとっている中、ちいさな野菜畑は営業をしている
お盆は以前、”かきいれどき”だった
どちらかと言うと”いれぐい”と言う感じだ。
盆前は、お墓に供える切り花を買い求めに早朝からお客が入った。

「おたくの駐車場に入るのに、30分も周辺を回っていたよ」
と言って朝の6時半に、お客がきた
お盆の最中は、久しぶりに帰省した客や観光客が群れをなした

あるときから、そんな現象が無くなった
リーマン・ショックを境に…と思ったが
その前からのようである。
ふと考えてみたら化膿性脊椎炎や僧帽弁閉鎖不全症、胸部大動脈瘤で入院をした7〜8年前からのようだ
なにがきっかけかよくわからないが、お盆用の切り花を早朝に買い求めるというよりも、
前日に大量に買い込んでおくというスタイルが、常態になってきたような気がする

盛岡は、親戚中の墓を回って花を活けて歩く。
だから係累の多い人は、10束20束と買うのである
そうなると広いスペースに大量の花を並べて売るスタイルが客を呼ぶ
そしてそこへ車で乗り付け、まとめ買いをして、安く済ませるそんなお客の消費行動が変わってきたように思う
お花は、お墓参りの当日の朝に、「新鮮で長持ちするものを、お先祖様にお供えをする」と言う風習が
「大量に買うから、安くてきれいに見えるものを…」という風に…

そんな消費行動の変化が地域につながる小さな店を駆逐する原因にもなる

そして産直に花を供給する花農家からでてくるものは、規格外が多い
小菊を栽培している農家は「赤と黄は咲いたが白は蕾だ」と言う場合、
赤と黄色は農協に単色出荷し、蕾の白だけ産直に出すのである
(農協出荷はカラー別出荷である。それを花屋が組み合わせて花束にする。)
ところが産直に出された白だけの小菊だけでは売れないから勢い安くする

また長さがある
だいたい80センチぐらいの基準で箱詰めして農協に収める
その長さがない(成育や、病気・病葉を採っていくと長さが足りない)
基準に合わないのでB品やC品になる
それを産直に出すのだが、客は長い茎を切って墓に供えるのだから長さは関係ない
長い茎は、流通段階で花屋が切り戻すために長いものが必要なのである
 
それだけではなく一般の農家も、庭や畑の片隅にお盆用に花を植えてある
それを適当に(センスが無い)束ねて切り花として出してくるのが産直の花であった
しかし、お客も義理で供えるお墓の場合、それでよしとする
(これが仙台だったら大変である。花を入れる竹筒に名前を入れる風習がある。
墓地のそばで花を買い求めると、そこに竹筒も売っており、サインペンまで置いてある。
「誰がきた。」というのがすぐわかるし「どんな花を買ったのか?」もすぐわかる)
 
ところがそんな産直の花業界に殴りこみをかけてきたのがいる
〇〇半島のお花の産直である
なぜ?と思うほど盛岡市内に何カ所ができている
一年中のお花の需要があるのだろうし、〇〇半島だったら一年中咲いているのだろうが…
そしてもう一つ、大型産直である
これは売上が大きいが、参加農家の数が多いだけで農家自身の売上は大きくない
(当然である、農家が売上を拡大するには、広い面積と多くの人数が自由自在に拡大縮小できるシステムがいる)
 
結局、ちいさな需要のところへも、大量生産のシステムの供給は向くのである
つまり、少しの需要でも大量生産は、少しづつ何箇所にも置いて量の供給の確保を図るのである(コンビニのように…)
工業生産のように、生産の拡大縮小がすぐにできない農林水産業においても…
だから拡大は止まらないし、地域につながる小規模はなかなか生き残れない
そんなお盆の先祖に対する、いいわけである