「3.11」という映画の実行委員だった
「だった」という過去形は、映画は終わったということである
当然、実行委員も終わった。

なんでも「森達也」という若手ドキュメンタリー映画の監督が撮った作品だという
地元の人からも撮ってほしくないところを撮った映画だという
そういうのを見たくなるのは、覗き見趣味なのか?
現実を直視しようということなのか?

その映画に行く段取りをしていた
「ぜひ見たい」
久しぶりの良い天気だった
十分に段取りをして、用事をすませて…
さぁ〜出かけよう
という時に客が来た
「ゴーヤの苗は、ある?」

「売るほどありますよ、ほら…?」
「あれぇ〜あレェ〜。アレレ」
鉢が乾いている。
いや鉢の土が乾いている

水を…
いや日中に水やりは…
しかし、これは尋常でない乾き方である
天気が良すぎる
とりあえず、時間までさっと水かけして…

さっと〜
さっと〜

あれれ、アレレ…少し遅れてもいいか…
こちらも…あちらも…だいぶ遅れるな…


あっという間に時間は過ぎて、映画は始まって、終わった

その後、実行しなかった委員も懇親会に参加した

 

何もしなかった不実行委員は、たらふく呑んだ。