「ほらレッテル…レッテ…レ…とかいう外人の…」
「レイチェルカーソンか?」
「そっ、そっ、そんな名前…」
「二冊有るから貸してあげるよ」

数ヶ月間のことである

子どものことで悩んでいるお母さんがきた
よく本を読む子どもだという
店の本棚の「沈黙の春」をみて、その子が「本を貸して欲しい」と言っている
 

その子が、春になって親子でお礼にやってきた
しかし、母親は「この子の話を聞いてくれ」という
「いや一杯聞きたいことが有るのだが、教えてやって欲しい」という

「夢や希望が、もてない」と、その女の子は言う
「夢と希望を持って生きるというのは、僕らの時代の生き方ですよ。
貴女は、そんなものをもたなくても、淡々と生きていけばいい」
そういうと親子は、パッと顔が輝いた
母親は「ほら!解決した」と大きな声で…

右肩上がりの高度成長期に夢と希望を持って生きると言う生き方が僕らの生き方だった
それを今の子ども達に押しつけている
とか、今の子ども達に夢や希望を持てない社会を作った責任を感じている人もいる
しかし、夢と希望を持つ生き方は、しょせんここ100年の生き方にすぎない

江戸時代の士農工商の身分が分けられていた時代、夢も希望も持つ時代ではなかった
明治の西洋文明が入ってきてからの考え方である
それでは発展しないとか、進歩しないとか言う人が多々いる

発展することがいいことなのか
進歩することがいいことなのか

そんなことから考えて行かないと、多くの若者の悩みは解決しない

そんなことを思ってしまった