土産を貰った。デモハム屋も律儀だ。千葉三里塚の落花生だという

懐かしいね。三里塚だという
小生が体育会系で、ぶんぶん言わしていた頃だ。
三階か四階の教室で、ゼミをやっていたとき

  ゼミは真面目に出ていた。これだけ落とすと卒業ができない
  と言っても三十人近くいたような気がする。
  先生とも親しく話をしなかったような…
  当時は、入れば出られると言う”ミルクのみ人形”のような大学だった。
  ただ入るには,倍率が異常に高かったが…

下の芝生から歓声が聞こえた。
歓声というか怒声というか、ゼミのみんなで覗き込むと、
ヘルメットに角材をもった集団が一人の学生を追いかけ回してた
さんざん追い回して倒れたところを角材で、ぼんぼんぶん殴って
誰かが警察でも呼んだのだろうか?
クモの子を散らすように逃げていった。
その倒れた学生は、よろよろと立ち上がってどこかへ消えていったが…
後から聞くと身体中に新聞紙を巻き付けており、そんなにひどい傷ではないような話だった

その田舎にある大学は中核派の拠点だったようで、
時折グランドに通づる道がバリケードで閉鎖されていた
体育会の部室に行く道だったので、いつも
「おらぁ〜どけ!邪魔だ!」と言って通ったが…
別段、かかってくる様子もなかった。

そんな時代「三里塚」は学生運動のメッカだった。
そうそう北上の友人も三里塚の有名な闘士だったという
その卒業したその後も、しばらく公安に見張られていたという

いまその三里塚はどうなっているのだろう
ひょっとしてその三里塚の闘争時代が、大きな時代の分岐点だったのかもしれない
地域共同体と国民国家の…