おさない頃、年末には家で餅つきをやっていた。
出窓にのっかって、その風景をみたことを思い出す
そのあと、その出窓から落ちたのか?降りたのか?わからないが
下には木で組んだ箱があった
たぶん、そこへ降りようとしたのだろう。
勢いよく落ちた先には、錆びた釘が出ていた。
大声で泣き叫び、大人達がよってきて足の裏をなぜかトンカチで叩いたのを覚えている
その足裏に釘が刺さったことを今でも思い出す。
痛さというか、なんとなく気味の悪さというか…
それがトラウマとなって、飛び降りるときは必ず落下地点の確認をする
 

餅つきというと、その出来事とあの独特の香ばしい臭いである
餅を蒸かしたのだろうと思うが、なぜか香ばしさと焦げを思い出す
出来た餅よりも、蒸し上げた餅米を指ですくって頬張るのが好きだった
それは年に一度の楽しみだった。
その年に一度の楽しみが、何年あったのだろう

ものごころついてから四〜五回ではなかったか?
何時の頃からか、賃餅屋に餅を頼むようになり、家庭用餅つき器でつくようになり
そのうちにスーバーで買うようになった

だから蒸した餅米も、記憶が確かならお焦げの餅米も食べる機会が無くなった
便利になるということは、失うモノがあるということである
 

そんな話ではないが、家庭用炊飯器がどんどん進化して失敗なく炊けるようになった
それにつれて「おこげ」が出来なくなった。
「羽釜炊きの美味しいさ」と各社宣伝しているが、「お焦げができます」と言う電気炊飯器はあるのだろうか?

そんな「おこげ」を販売してみた。

売れた。