沢内村の有馬が来た。有馬富博である。
沢内で40町歩も稲作をやっている。
昨年6月に大雨で川が氾濫し、大量に稲作の機会が水に浸かり、稲箱が流されたという
「たいへんだ。帳簿に載せていないから、損失に認められない。あちこち集めて洗ってなんとか5000枚を確保したが‥」

沢内の農業事情と様々動きとTPPと話をしたが‥
大体が沢内は、天空の城ラピュタである。下界とはかけ離れている
そんなところが世俗にまみれて良いのか?

沢内にあがるのには、昔は山伏峠というつづら折りの峠があった。
冬は、凍結した坂道をおそるおそる下っていった。
今はトンネルが出来て、アクセルを蒸かせば一発で通り抜ける
反対側の峠は、だいたいが底へ到達するまでがくねくねと曲がった山道で、冬は秋田から猛吹雪が吹き付けると言う難所である。
そこにも高速が通り、インターができた。

昔、と言っても赤銅鈴の助が活躍していた頃だから、そんなに昔ではないが沢内に行ったことがある。
親父の建てていた学校の現場事務所だった。その事務所は、二階が玄関だった。
と言うよりも二階まで雪が積もって一階が埋まってしまったのである。
道路の両側は、雪の壁だった。

「今は、まだ1m50ぐらいは積もっている。」と3月15日来た有馬富博と3月16日に来た渡辺まい子が言っていた。
そして「こんな風景は、沢内はまだまだ先だ。3月は、見たことがない」と店の前の雪のない風景を眺めた

そんな所へ、内山さんが来ると言う。
「学長になってよ!」そうだ前の学長は同級生だったが‥
今は「西和賀農民大学の学長有馬富博」だった。
「そうかぁ〜学長自ら、お誘いですか?」

「4月1日(日)午後、農協にて、西和賀農民大学開催」
「詳細後報」