「アメリカ人のナンシーです」と電話がかかってきた。
こちらも
「日本人の入道です」と答えた(嘘)

そういえば、昔、来たことがあるな〜
なんせ、いろいろな外人が来るので、覚えられない
と言うよりもカタカナの名前は、覚えられないのである

「トーマス」とか「スミス」「カーペンター」「エルビス」
「ルイズ」「マリオ」「ジーザス」とか「プッタ」とか…
誰が誰だかわからなん上に、欧米人ならまだしも

東南アジアなどがきたら、お手上げである。
それを連れて来るのが”へびろう”である。
この前来た五人もほとんど名前の記憶がない
たしかベトナムだっけ?タイか?ミャンマーの名前だったけ?
日本人もいた?

そんなので「アメリカ人のナンシー」に聞いてしまった?
「お国は、スイスでしたっけ?」
「いえオレゴンです」

「あ〜あオレゴンね」と相槌を打ちながら、どこだっけ?
ひょっとしたら「中山ゴン」の出身地か?

そんなこんなで、話は原発事故後の日本の有機農業と食の安全についてをひとくさり

「ナンシー、これからどこへ行くの?」
「友達の家に帰ります。山岸の…」
「ジャー一緒だ、送っていくよ」

車に乗り込んだ

そこで、トップハストストーリー(身体の上の方=身の上話)をしきりに…

「もう盛岡に通って40年になる。当時は英語教師のつてが無くて、唯一知っていた人がここの教育委員会につとめていた。
最初は1971年で白梅高校の英語教師だった。白百合は郵便局の所にあって…主人は四高に務めて…三本柳に住んで、もう盛岡は田んぼだらけで…」

昔は山道だったところにと家だらけになった車窓をながめながら…

懐かしげにつぶやいた。