ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

第一講

大分サボってしまった。
17日からだから、2週間も間があいた。
それまでは快調に飛ばして来たのに…
blogの書き方を忘れてしまった。どうしたら開けるのだろうか?

2週間のうちにいろいろとあった
指を切ってタイピングが出来ない。
酒を呑んで早起きが出来ない。
早起きが出来ないときは、”翌日は早く起きよう”と早く眠りにつこうと酒を飲み過ぎて、起きられない
コレではダメだ。「もっと早く起きよう。」と大酒を呑むと、二日酔いで早く起きられない
色々溜まっている仕事があると気になって、眠りにつけないのでナイトキャップが過ぎてしまう
ナイトキャップとは、寝るときにかぶって寝る、あの帽子だ。あれが深すぎて目を隠してしまう(嘘)

そして出張という名のセミナーがあった。
「東北農家の二月セミナー」という
17年前は、農文協の「中期セミナー」と言っていた。
農文協が、活動する農家を集めて「農家の会」を各地に作っている
小生の場合は「岩手農家の会」と「東北農家の会」に参加していた。
年に一度集まって酒を呑むだけである。そして一年の四方山話を各自がしゃべって帰る
それはそれでみんなが違う地域の人が一年ぶりに集まってひさしぶりと言い合いながら地酒を酌み交わす
それがどういう意味を持つのだ?という人もいるだろうが…
ようするに農文協という会社は、農山漁村文化協会という出版をメインとする社団法人なのである。
農林省の天下り団体ではなく(理事長は上から来ているらしいが…)車代しかはらってねぇ!という
その文化活動の一環なのである。だから小生が参加する前は、全員が招待だったという。
農家にとっては、出版会社から指名されて参加する会であり誇らしげな会だったのである、
その参加者が集まった会話を農文協の社員が記録しておき、後に出版するのである。

小生が参加するようになってから会費制になり、農家の自主組織になって16回目を数えた。つまり16年目である。
たんなる農家の呑み会で、酒宴が楽しくなくなった小生にとってわずらわしい会の一つであるが…
その農家の会の中間で行われるセミナーの講師が、哲学者内山節なのである。
16年間、二回ほど休んだ。昨年の食道癌と、6〜7年前の心臓手術と動脈瘤の手術の時である。
当店が開店したのが平成7年、東北農家の二月セミナーと名前を変えたのが平成8年、つまり店と共にあった会である。

内山節から、さまざまなヒントを貰い、考えて一年の計を打ち立ててきた会なのである
そんな会も、だいぶメンバーが替わったが三〇数名の人数だけは変わらない

今回は東北農家の二月セミナーと言いながら
北海道・新潟・長野・静岡・東京から集まった。

tuwitterでレジメを送信したが、よく考えてみたら140字だった。
送れなかったレジメを、清書した。

 

第一講

 

震災は日本を変えたか

1、はじめに
ーひとつの時代の終わりという予感

2、国家、県、市町村の限界が明確になるなかで
−結びあいとともに生まれるコミュニティーの時代


3、地域内のコミュニティー外と結んだコミュニティ
ー開かれた共同体がもつ可能性

4、復興とソーシャルビジネス
−社会的使命を継続的に実現するためのビジネス形態としてのソーシャルビジネス
−経済の再建と消費者、両者をつなぐビジネス
ー多くの共同体は経済との結び付きを持っていたのではなかったか
ー人々の経済活動を支えないコミュニティーの脆弱性について
ー生産活動を再開するためのビジネス、金融を正常化させるためのビジネス

5、強い国家に期待するのか、民衆の結びあう力に期待するのか
ーその選択を迫られている時代
ーバブル崩壊以降のとりわけ若者の変化をみながら

6、まとめに代えて
ー奥の方で何かが変わりだしている時代を感じながら

身の上話

「アメリカ人のナンシーです」と電話がかかってきた。
こちらも
「日本人の入道です」と答えた(嘘)

そういえば、昔、来たことがあるな〜
なんせ、いろいろな外人が来るので、覚えられない
と言うよりもカタカナの名前は、覚えられないのである

「トーマス」とか「スミス」「カーペンター」「エルビス」
「ルイズ」「マリオ」「ジーザス」とか「プッタ」とか…
誰が誰だかわからなん上に、欧米人ならまだしも

東南アジアなどがきたら、お手上げである。
それを連れて来るのが”へびろう”である。
この前来た五人もほとんど名前の記憶がない
たしかベトナムだっけ?タイか?ミャンマーの名前だったけ?
日本人もいた?

そんなので「アメリカ人のナンシー」に聞いてしまった?
「お国は、スイスでしたっけ?」
「いえオレゴンです」

「あ〜あオレゴンね」と相槌を打ちながら、どこだっけ?
ひょっとしたら「中山ゴン」の出身地か?

そんなこんなで、話は原発事故後の日本の有機農業と食の安全についてをひとくさり

「ナンシー、これからどこへ行くの?」
「友達の家に帰ります。山岸の…」
「ジャー一緒だ、送っていくよ」

車に乗り込んだ

そこで、トップハストストーリー(身体の上の方=身の上話)をしきりに…

「もう盛岡に通って40年になる。当時は英語教師のつてが無くて、唯一知っていた人がここの教育委員会につとめていた。
最初は1971年で白梅高校の英語教師だった。白百合は郵便局の所にあって…主人は四高に務めて…三本柳に住んで、もう盛岡は田んぼだらけで…」

昔は山道だったところにと家だらけになった車窓をながめながら…

懐かしげにつぶやいた。

仕事にならない

無骨な指だが、先っちょを切った
新聞の切り抜きをしていて、余りにもカッターが切れないので、力を入れて定規に沿って動かした
そのまま、指の上をカッターの刃が走って行った。

じっと見ていたら、綺麗に切れた裂け目から血がにじんで…  溢れて…  
慌てて指を嘗めて止血をしたが…
口を離すとまた溢れてくる
しかたがないので、バンドエイドとサビオをグルグルと巻いた。
念のために、指の付け根にきつくバンドエイドを巻いた。
それでも、バンドエイドとサビオの隙間からにじみ出てくる
もう一回り、バンドエイドとサビオをきつく巻いた
ようやく止まったと思うが、ずきずき痛む

幸いにも左手だった
幸いにも薬指だった

しかし、翌日になってもずきずきと痛む
よく考えたらバイアスピリンを飲んでいた。
バイアスピリンは、血をサラサラにする薬だ
つまり血が止まらない薬だ。

しかたがないので、医者に行った。
医者は、おそるおそるバンドエイドとサビオにハサミを入れた。
血が溢れて噴き出すか?と思ったら

「止まっている」と医者は、ぽつりと言った、

包帯で、ぐるぐる巻きにされた指では、キーボードが打てない
一本指でしか…

痛みもまだある
キーボードも、昨日の名残の血がついている

仕事にならない

アタリ!

ようやく年賀状の整理をした。
と言ってもお年玉の当落を確認しただけなのだが…

今年は三等にかすったのが一枚
四等にぶち当たっのは、8枚を数えた。効率が良い。

だいたいが、ほとんど切手シートしか当たったことがない
”くじ運が悪いのだろう”と思っているが、切手シートが大量に当たるのは”くじ運が良い”と言う人も居る

昔、と言っても、そんなに昔ではない。
「この味が良いね」と君が言ったから、12月2日はサラダ記念日
ち俵万智が詠った頃だ。(日付はあやふやなので適当に入れた、自分の誕生日を…)
新川崎に住んでいた。

当時、川崎駅前の商店街が懸賞を出していた。
ヒマだった小生は、応募した

1軒の店が一つの商品を出して、商店街として懸賞セールをやっていた
ある日、ポツンと当選通知がきた。
「へぇ〜こんなのが。、当たるのだ」と賞品の折りたたみの傘を受け取りに行った

そうしていると2〜3日後に、またぽつんぽつんと二枚の当選通知がきた
こんなに当たって良いのかよ…と思いながら、また子どもの靴と食事券を取りに行った

そして、その後、ボツンボツンボツンと3枚の当選通知がきた。
おい!どうなってんだ!と1億円と新築住宅と外車を受け取りに行った(すこし誇張)

たぶんその商店街は、こんなに各店舗の商品を一人で当てている等とは知らないのだろう
しかし、それで多分懸賞の運を使い果たしたのではないか?と思っている

まさか〜ひょっとして、そんなのに応募する暇人は、ワシしか居なかったりして…

老いらくの恋

薪ストーブが燃えた。
当たり前の話だが、正確に言うと
薪ストーブのそばに置いていた薪が自然発火した

 

当店の薪ストーブは高性能の薪ストーブである
もう設置して9シーズンになろうか?
ほとんど煙突掃除をしたことがない
設置して3〜4年は、使用する秋に、ストーブ屋さんに掃除をして貰ったが…
それから、煙突が詰まらないので、そのままにしている
多くの客に言われる
「なんで掃除をしなくて良いの?」

餓鬼の頃は。煙突掃除が自分の仕事だった
自分の仕事は、一杯あった
薪割り。風呂の水くみ、風呂沸かし、煙突掃除、雪かき、屋根の雪下ろし
親父が現場監督で家にはほとんど帰ってこないので、力仕事は長男である一人息子の仕事だった。
おかげで勉強するヒマが無くて、東大に入れなかった。(嘘)

煙突掃除は,大変である。
顔が真っ黒になる.手も腕も…真っ黒になる。鼻の中にススが入り込む
髪の毛も、脇の毛も、あそこの毛も、真っ黒である。
風呂に入ったら風呂の湯が真っ黒である
まぁ真っ黒になるのは、下手なせいもあるが…
今の子ども達に是非、煙突掃除をさせたい物である

なぜ煙突掃除をしなくて良いのか?
これは大きく三つ理由がある

まず、煙突が直管であること
つまりマッスグである。ゆえに煙が勢いよく天に向かって舞い上がる。
ススを管に付着させているヒマがない

そして煙突が二重管であること
つまり、二重の煙突をとおることによって煙が冷やされるヒマもなく出て行く
通常、煙は外気温に冷やされてススがタールとなって管にくっつくのだが
この煙突は温度差が無いので、そのまま勢いよくでていく

そして薪が良く乾燥していること
ススというのは、薪に含まれている不純物である。
有機物は、酸素と結びついてガスになって出て行く。ミネラルと呼ばれる灰分は低温で管に付着する
つまり高温で一気に燃やすと勢いで出て行く、この温度を高めて燃やすにはよく乾燥させないといけないのである

その薪に間伐材の杉を使っているのである。
間伐という言葉を知らない人が多いだろうと思うので説明するが…
ようするに間引きである。昔は、できの悪い子どもを間引いたように…
間伐さえすれば、すくすくと真っ直ぐ延びる子が一杯出てくるのであるが…
間引きしないと、暗い杉木立の中でひねくれ者が育つのである。
今の学校教育と一緒だ(?)いや政治屋かな?

杉の間伐材は、すぐ乾燥する。
広葉樹の楢やクヌギなどは半年以上乾燥させないと、乾かないが
杉は3ヶ月もあれば十分だ。
ところが店の薪は一部に、二年も乾燥させたモノがある
枯れ木も山の賑わいと言うが…
枯れすぎた薪は、エネルギーが無い
今の後期高齢者や、末期高齢者と一緒だ。

その枯れすぎた薪に、火がついた
それはひよっとして「老いらくの恋」というのか?

もう少しだ

「のだしおは、無いか?」と最近言われる。

野田村で作っていた塩である。
釜で直煮をした昔ながらの塩であるが、津波で流された。

ここ数日前に新聞記事で「野田塩、復活の釜ができあがる」と言う記事を読んだ。
そのせいだろうか?問い合わせが多い

 

そんな所へ、留守中に女性が二人やってきたという
名刺には「(株)のだむら」とあった。

「塩は,もう少し先ですが…」と言って”山ぶどうのピューレ”と”塩蔵ワカメ”のサンプルを置いていった

野田村で作った塩は、南部牛に運ばれて「塩の道」と呼ばれている街道を通って盛岡へ向かった
当店の土手の中腹にある細い道も名残だという。

この峠を越えて、もう一つ三ツ割の峠を越えれば、もうお城が見える。
「もうすこしで、お城だ。もう少しで…」と励まし合って登っていったのだろうなぁ〜

街の中心が津波で全滅した野田村も復活まで、「もうすこしだ。もうすこし…」

山ぶどうのピューレと塩蔵ワカメ、今週中に並びます

おおさかわら

盛岡は、比較的、旧地名が残っている
いや正式名称はあるのだが、旧地名で呼んでいるのかも知れない
肴町や鉈屋町、葺手町などなど

まだ使われているのは、
大工町や花屋町、油町などなど、小生もわからない場所があちこちにある

正式名称で「おおさかわら」というのがある
「大沢川原」と書いて”おおさかわら”と呼ぶのである
どうみても「おおさわかわら」としか読めないが…

   

古い馬具店や農具を売っている店があって、この道を店を覗きながら歩くのが夢だった。
未だ歩いたことが無い。(なんとつましいささやかな夢なのだろう?身体に似合わない(汗)

そして一本道は、狭い一方通行だったのである。
女子校もあったし、デパートの裏通りで…教会もあったし…

なんせごちゃごちゃと様々なものがあって、車もゆっくりと通りを眺めながら走ったモノだが…

いつの間にか「片側一車線、両方で二車線になってしまった」

でぇ〜街の中に、こんな大きな通りを造って、どうすんの?

止まらない都市計画。税金を幾ら集めても足りないのは、当たり前だ!

確定申告

いよいよ始まった。確定申告である。
というよりは、確定申告用の会計事務所の夜食の弁当配達である。
これから3月の初旬まで、毎晩のように弁当を届ける

これがそのへんの弁当屋だったら、「幕の内弁当」で内容は一緒で良いのだが…
やはり当店としては、毎日のお総菜は、変えてあげたい。
頭の痛いメニューの開発は、魔子様に任せて…

小生は配達先の確認だ。
しかし、グーグルのストリートビューは、すごいね。
まさかぁ〜という小道の一方通行まで走っている。
盛岡に住んで20年。今まで一回も通ったことのない道だ。
去年は、病み上がりだったから、小生は配達できなかった。

とりあえず第一弾の弁当だ。

 

安全と安心

二つの講演会に出た

一つは、内閣府の食品安全委員会のやつだ

もうひとつは河内山耕の講演会だ

日を違えて、同じような事を、反対の立場で聞くのも楽しい(?)

食品安全委員会は、このようにして新基準は作られ、安全です。それを説明して了解を得ました。と言うアリバイ証明の講演会である
学校給食を考える会のほうは、新基準以下でも怪しいよ。内部被爆は問題だ。と言う現場のデータを元にした講演会である。

内閣府のほうは、聞いているのは役人(県市町村の…)が多い。
河内山耕のほうは、お母さん達である。(医者も三人ほど出たという)

内閣府のほうは、法律がボンボン出てきて意味不明、速度について行けず(アリバイ証明だから、そんなもんか?)
河内山のほうは、現象の裏のことまで説明してくれてわかりやすい。

内閣府のほうは、立派な会場(マリオス)で、東京からわざわざキャリアが出てきて説明する。募集定員100名
河内山のほうは、生協の二階で、ボランティアが手伝って開催した。78名

内閣府のほうは、パワーポイントの立派な資料が配られた
河内山のほうは、パワーで作った資料が配られた。

内閣府は、安全を高らかに唄っていた
河内山は、安心を探し求めていた。

国家と国民、かみ合わないのは当然である。

タイトスカート

毛糸のパンツを貰った
そのなんというか、伸縮する素材のパンツだ
ボキャブラリーが不足しているので、毛糸のパンツとした言いようが無い

なんでも「ダンピング症候群を引き起こすのは、よく噛まないで食べて、腹が冷えるせいだ」とミズメがいうのだ

だから毛糸のパンツを…と思って足を入れたら、またが分かれていない。
なんだタイトスカートか?

しかし、このタイトスカートは…

パンツの中に入れるべきか?
パンツの外にはくべきか?

それが今の、目下の悩みだ。

月別アーカイブ : 2012年2月

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