写真がアップできない
blogのソフトを最新版に変更してくれたのだが…
最新版は、もういい 常に新しく改良されていくのが良いのか?
せっかく慣れたのに…

だいたいが、そんなに機能など使っていないのだ! と言うよりも、使いこなせないのだ。
そんな新しい機能を覚えるよりも、 従来の機能を使って、考え、記録することが大事なのであって
機能を覚える時間があったら、考える方に回した方がいいと思うのだが…
それが効率的に考えられるというなら別だが…
思考は効率的にはできない。

日本人は?昔の人は?
一つの技を覚えて、それに習熟する努力をしていった
他人よりも早くできる。美しくできる。
ちょっと違う部分を生み出せるのが、個人の努力のなせる技であった。
たとえば「そろばん」 今でも無くならない技であるが…
指先の技であると同時に、考え方の技である。
それが電卓が出てきて、どうなっただろう。 そろばん的思考が、消えたような気がする。
簡単な暗算はできても、ちょっと桁が上がると出来ないが、手元に電卓があればそれでいい。

携帯できる電卓は、小生が新入社員のころ出始めだった。
たいていは机上の電卓で、それでも持っている人は少ない、十人いたら一人か二人だろう
それがあっという間に十人が十人持つようになり、小さくなり、携帯できるようになってしまった
科学技術の進歩と大量生産によるコスト合理化である
科学技術の進歩は、便利さをもたらしたが、一方人の思考力を退歩させたのではないだろう
電卓のボタンを押すことによって、表示されるシステムや計算が出来るシステムに思いをはせる人はどれだけいるだろう
我々の時代は、なぜテレビが映るのか?何故ラジオが鳴るのか?一生懸命考え分解して本を読んだりしたものだが…
今は、単にボタンを押せば映るし、鳴る。なにも考えなくても良い。あきらめの境地だ(?)

そんな人が原発を操作しているのである。
万が一のことがあったら、そろばんで計算し直せない人が…

老人は、先が短い
覚えるよりも考える時間が大切である

母が、年賀状を出しそびれている
すべて宛先は筆で書いてある。
裏の文面も書いてある物と… 書いてないものもあるが…
「書いてある物を出してやるよ」というと
「まだ出来ていないから…」という
「ほら、これは裏も書いてあるし…」
「もう一回見直さないと…」
どうやら宛名を書いた人を思い出し、忘れて…また思いだしの繰り返しで進まないようだ…
人間は元に戻るが…機械はどんどん進歩する。
しかし、機械は、いつか必ず壊れる。