「すらーっとしてるね」と極悪和尚は言う

今までそんな事を言われたことはない
「ズラッとしてる」と言われたり
「でっぷりしている」とは、よく言われる

「すらっとしているとは…」と聞くと
「せいきがない」ことだと極悪和尚は言う
”そんなに大きくないが、ちゃんと一本、付いてる。
だいたい二本付いていたら、アサガオに的が絞りにくいではないか…”と思ったら
「精気がない」と言う事だという

う〜ん!仏教用語なのだろうか、方言なのだろうか
この「スラーっとしている」という言葉は…?

毎月第二木曜日は、「哲学寺子屋」である
早朝から店に出ていたので夕方6時頃、疲れ果て専立寺で横になっていたときの話である

「哲学寺子屋」は哲学者内山節の読書会である。もう10年は続いているだろか
信濃毎日新聞の連載を本にまとめた著作を、読んで話題にすると言う会である。
2004年から2005年に、信濃毎日に連載され、2006年に発行された本である
もう怒濤の変動期を5年を過ぎても、まだまだ新鮮に読むことができる
新聞の連載であるから、1回が1回が短くまとめてあるので、進めやすい
それを2回分づつ読み進めていく会である、
しかし、話の内容は世間話とそう違わない

11月は、そろそろ終章に近い「偉人」「分業」「平和」の三章を読んだ

「偉人」
他人の職業を尊重しない風土が定着した。資本主義経済の貨幣愛が原因である
資本主義経済は、労働の結果としての価値を貨幣にしかみいだせない
その過程で生み出される物を、尊重しなかった
真面目に働く人を尊重しない時代は、どうして…
ケインズは資本主義経済は人間の退廃を招くと述べた
それは、全ての価値を「お金で表現する一つの価値尺度しかないから効率が良いから

「分業」
現代の経済活動は有機的に結ばれているが,それを支えている労働は切れ切れになって分断されている
それは分業化されているからだ。
昔は分業化されていても労働の結びつきで、全体が成り立つことを実感していた
ところが現代は、労働の結びつきが実感できない分業である
労働が作業になって、作業を効率よくこなすことが求められ追求され疲れ果てていく
今の労働問題は,働く意欲が低下しているのではなく、労働が経済の手段になり、時には犠牲になっている現在の仕組みの中で働くことに意欲が無くなってきた

「平和」
村での仕事は、全て過去や近未来と結ばれながら行われる営みである
その営みは「いのちのやりとり」であるとともに自然のいのちである
命を育て、それを頂き、命の源にする、そして過去から未来へと結ばれていく
いのちは、無事としての平和を感じることができた
それが現在の市場経済で作られる工業製品には、命はは感じることが出来なくなった
それを作り出す仕事にも、命のやりとりが感じられなくなり、市場を睨みながらいかに効率よく作るかを争うようになった
ものづくりのなかに無事の営みを感じ、平和を感じることが出来なくなった現代社会
我々の社会は、無事でもない平和でもない命を見つめる仕事をやめたとき、平和の原点にある物を捨ててしまった
ただ終戦後の日本は、一度だけその歯車を止めようとした。が公租成長期の社会が風化させた
その歴史を経て、命と結ばれた仕事に対するあこがれが農業に向かせ、市場経済のなかで失った物を取り戻したくなったのである

 

まぁ要約すれば。こんな事が書いてある。本はもっと具体的な事例を挙げて読みやすく、わかりやすく、書いてあるのだが…
これを読みながら話題は

「海上保安官の問題」や「新規就農の問題」「昔の盛岡」「家族関係」「愛人関係」「隠し子問題」等々、さまざまな話題に発展していくのである
まったく極悪和尚も大変だ!

一ヶ月に一回、3時間の大人の世間話である

そろそろ「戦争という仕事」もお終いだ
次の本に取りかかるのは、来年初めになるだろう