朝、岩手町の千葉忠栄から電話がかかってきた
「さかえさんが、なくなった」

当店に人参や玉葱、長芋などを出荷している遠藤栄が亡くなった。
2月に肺がんと診断され、医者に
「あと2〜3年と言う事はない」と暗に”最後は近い”と宣告されていた
宣告されてから8ヶ月だった。
まだ50を過ぎたばかりの独身、お母さんと二人暮らしだった
「親父も肺がんだったので、早くから煙草はやめた」と言っていたが…

病院を出たり入ったりしていたが、抗がん剤の治療がきつかったのだろう
最近は、家で「調子が悪い」と言って寝ていることが多かった
畑は、定年退職したお姉さん夫婦が盛岡から通って後を継いでやっていたが、
その仕事ぶりがまどろっこしいのか
「疲れたと言って、早くに家に入る」とぶつぶつ文句を言っていた

遠藤栄と出会ったのは、6〜7年前のお盆のころだった
千葉忠栄に「盆花が足りない。誰か、いないか?」
と花を出荷してくれる生産者を捜していた
当時「石神の丘」に一緒に出荷していた遠藤栄を紹介してくれた。
最初は、道ばたで現金取引で花を分けて貰った
何回か取引するうちに、
「こんなのを作ったら…」とアドバイスしたり
「こんなのを作ってみた」とアイスプラントを出荷してきたり

お母さんと二人でやっているので、そんなに手間のかかる物はやれなかったが
時にはお姉さんや近所の人に手伝って貰って
人参・牛蒡・ピーマン・南瓜、長芋・玉葱。ホウレン草。小菊・トルコキキョウ・野菜苗などなど手がけていた


そのうちに玉山のイオンにも出荷するようになり
積極的に産直に取り組んできた
「産直やって、売上が三倍になった」と言って
嬉しそうに、道の駅の状況やイオンの販売状況を教えてくれた
 

農家の長男で、家を継がないといけなかったのだろうが…
農協出荷しか。なかった時代から、
ようやく自分の思う物が作れるようになって、生き生きとかけずり回っていた
そんな矢先の発病だった。
彼にとって、豊かな農業は、あったのだろうか?
楽しい農業は、あったのだろか?

そんな思いをもちながら千葉忠栄のところへ行った
「連絡遅れてすいません」と遠藤栄の葬儀の日程を言い
奥さんとサツマイモの収穫をしていた


「これは品種は…」
「ベニアズマです」と奥さんがこたえた
「どこへ出荷するの?」
「自給用です。家では冬中サツマイモをたべるんです。芋が大好きで…」
「じゃぁ〜締め切った室内だと、オナラの臭いが充満して…」
「そうなんですよ(笑)」
千葉忠栄は
「苗を200本植えましたが…冬越しが出来なくて、サツマイモは保管が難しいですね…」
「収穫時期が分からなくて…。でも出荷用でないから、適当です。農作業の合間に…こうやって…」

遠藤栄も家族がいれば…
二人で農業が出来て、自給用の様々な野菜を作って…
すこしは豊かな農業ができたのか…