北海道の葬式らしい、葬式だ。
以前、妹の結婚式で北海道に渡ったとき、その結婚式も会費制で体育館のような大きな場所で行ったことを思い出す
合理的である。

未明に亡くなったが、その日の夜に通夜、
翌日10時からセレモニーホールで告別式

読経が30分、焼香が終わると,

片道一時間の火葬場にバスで移動

昼食の弁当を食べながら、焼き上がるのを待つ
収骨をして、片道一時間かけてまたセレモニーホールへ

初七日と四十九日法要の読経が30分、
そして法事の料理を貰って、解散

亡くなって丸2日で、すべて灰になり、終了した(?)

時間をかければ良いと言う物ではないが…
余りにもスムーズで、これで亡くなった人が浮かばれるのか?

ひょっとして三途の川の流れが速すぎておぼれかけて…
と思ってしまう

叔父は87歳で亡くなった。
大正11年の生まれ、四南七女の末っ子だという
長女が107歳で、次女も104歳の健在。長命の家系である
その長い人生の終幕が、余りにも早くて違和感を感じるが…
生きている人に、そんなに時間と手間を取らせないと言う事なのだろうか

しかし合理的と言ってもコンビニのような対応には驚かされる

火葬場の収骨の係員が
「お骨が入りきらないので、すこし強く搗きますが…」
と言って骨壺にすりこぎみたいな物を突っ込み、胡麻をするように
ゴリゴリ
これでもか!これでもか!とゴリゴリ

まぁここまでは、いいか?

しかし、最後に
「収骨は、これでよろしかったでしょうか?」

それ合理性の象徴「コンビニ言葉」じゃないの?