庄内に行ったときに、初日でデジカメの電池が切れた
二日目は、携帯カメラで20枚近く撮ったが.この写真がパソコンに読み込めない
しかたなく、Eメールに添付して、一つ一つ送信した。
”操作に習熟しないと、時間ばかりかかる。”と言って、取説を読もうともしない
たぶんこういう事が、老いのなせる技なのだろう

しかし、科学技術の進歩について行けないことは、悪いことなのだろうか?
不便だけど、昔よりは、ましだ。
追いかけて行くよりも、これで良いのだ。という心の余裕(あきらめ)が必要な気もするが.
追いかけて追いかけて疲れ果て、結果、なにも残っていないという事になりはしないか?

そんなことを思いながら写真を眺めていた

庄内では、同世代の2人にあった菅原進と志籐正一である

田んぼに立つ菅原進

奥さんと志籐正一    

 

菅原進は、疎植に取り組んで30年、それ以上にグループを作ってイナ作の記録をつけて40年という
また志籐正一は、庄内共同ファームをつくって米の販売に取り組み、農家で初めて農産加工(餅加工)に取り組んで30年。

2人とも長い年月をかけて地に足を付けて生きてきた人達である
彼らは、その年月のあいだ、生産量は拡大していない
ただ有機栽培を始め質の変化はあっただろうし、それによる価格の変化もあっただろうと思う
それにしても、売上という数字では、増大と言うか、進歩というか、発展拡大はしていない

よく言うが、一反歩あたりの収量は最高24俵採れると言う
ただ24俵採ってしまったら、翌年の収穫は皆無になる。
24俵に、長年かけて作ってきた地力(腐植)が吸い上げられてしまうからである
食べ物は、今年豊作だからたらふく食べて、翌年は不作だから、食べなくて良い、と言う事にならない
拡大増大しないで、どんな天気でも毎年同じ量を収穫することが最高の技なのである

これは農林水産業の第一次産業に共通して言えることではないか?
どんなに科学技術が進歩発展しても、一反歩に降り注ぐ太陽エネルギーは増大しないのだから