先日、某地方紙のコラムに,こんな文章が載っていた

産直は「新鮮で値段が安い」というのが最大の魅力
残っていたコメを買ったら、美味かった。こんな発見の楽しみ

等、書いてあって最後に
「中には、これはいかがなものかという産直もある。市場からの商品が並べられ、新鮮でない物が売られている。
生産者の思いが商品から伝わってくるから日々通うのである。お互いの信頼が産直を支えている」
と結んである

 

「生産者の思いが伝わってくる」と他者のことを言いながら「最大の魅力は、新鮮で安い」というモノをいうのは矛盾しているのでは無かろうか?
思いが伝わってこなくても、安ければ良いのか?と突っ込みを入れたいが…

まぁしかし、コラムを連載するような人だから、十分な知識を持っている人を選んでいるのだろが…
深い見識に欠けていると言わざるを得ない

岩手は、夏野菜の産地である。
7月の初めにこんな注文があった。

・ズッキーニ 50本程度
・キュウリ  200本程度
・トマト    200個程度
・にんじん  30本程度
・セロリ    30本程度
・ジャガイモ 100個程度
・姫タケノコ 300本程度
・ジャガイモ 100個程度
・枝豆(房から外したもの) 50袋程度
・トウモロコシ 100本程度(間に合わないですかね・・・)

こんな注文に対応できるのは、8月にならないと揃えられない
(もっともセロリは秋、姫タケノコは、終わっているが…)

岩手の夏野菜は、7月からぼちぼち出始め、9月には終了してしまう
つまり3ヶ月やそこらが旬なのである。

そこへ産直が、「新鮮で安いよ」と言ってあちこちで販売することで
街中の八百屋は、大打撃を受ける
地方経済が冷え込んでいるのに、一年の三分の一の売上が減少することによって、利幅の薄い八百屋は苦境に迫られる
それで困るのは、街中の生活弱者である。車を持っていない人、運転できない人、障害者、介護で遠くに出かけられない人
現に八百屋が何軒も店を閉め、卸売市場の売上が減少して、赤字補填を税金でしようとしている
ドイツでは生産商品の販売は、歩いて買い物に行ける範囲という法律があるという

そして旬が終われば、後は知らない。
野菜を有るときだけ売って無いときは売らないという、生鮮食品の供給に責任を持たないのが産直である
少し違うが、大型ショッピングセンターが売れなかったら、撤退すると言うのと一緒である
そこにある暮らしを、大事にしない

また鮮度をいうが、日本人は「もったいない」という精神が、あった、
それが賞味期限や過度の鮮度競争で食べられるものを捨てているのが現状である
産直は、内部で鮮度競争をしている。昨日出荷した物は、今日撤去するか値段を下げる
そこへ群がる業者がいる
 また「朝採り」と名前をつければ、消費者はダマされてすぐ飛びつく
葉物(ホウレン草や小松菜など)は。朝採るとカスを採っているのと一緒である
植物は、葉っぱで光合成して葉の中にブドウ糖をため込む、それを気温が低い夜に根におくり、根を伸ばし、茎を育てる
ようするに朝は、葉っぱの中の栄養素は減少している。
現実にホウレン草農家は、夕方収穫し、夜中に調整して予冷して、朝出荷をするのである
 朝採って良いのは、トウモロコシと枝豆である。
”トウモロコシは、6時間で糖度が半減する”といわれており、枝豆も栄養素が減少する
しかし、最近は糖度が下がらない品種開発がされており、そんなに朝採りで無くても良い品種ばかりである

そして「安い」である。
”良い物を安く”という金科玉条のごとく、言われ続けてきたが…
安いものを求めることで、人件費の安い中国や東南アジアに産業が逃げ、就職難になってきているのをどう思うのであろうか?
 農産物の場合は、原価が解らない。
種代と肥料代と機械の償却費、燃料代、それにかかった人件費(最低賃金)を入れたらほとんどが赤字である
そして何よりも太陽光や、水や、土が金に換算できない
そして気候によって生産量が変わってくる。
それを貨幣経済の「安い」という判断基準で選択することが正しいのか?

そして信頼は、直接販売しているから、出来るのであろうか
ただラベルを貼って商品を並べているだけで、信頼が出来るのであろうか?
商品を見ただけで、その人となりが判断できるのであろうか?
安心とは、人との関係性の中で出来るモノである
商品から出来るモノは、不安ではないだろうか?

 

当店は、そんな産直になりたくない。
それで八百よろず屋という新しいカテゴリーを作ったのである