10年前ぐらいだろうか?記憶が定かでない
タイマグラに、身土不二いわてのイベントで行った。
10年前の民宿「フィールドノート」は、森に囲まれていた

確か、その2〜3年前にタイマグラから一本の電話が有った。
「ばぁちゃんが山を降りたので、ばぁちゃんの作った味噌を売って欲しい」
そのときは、単なる味噌玉で造った味噌という認識しか無かった。
「袋に詰めてくれたら、扱いが出来るのだが…」
当時は、量り売りする手間もなかった。ビニールハウスの店で温度管理も出来なかった
 

その後「ばぁちゃんの作った人参や、ジャガイモを売って欲しい」と、また電話が有った
おんぼろ車で山奥へ向かった。ばぁちゃんの家は、フィールドノートの上にあった。
薄暗い納屋のような大きな家で、土間にあった山のような人参とジャガイモを、肥料袋に詰めて帰ってきた、

そんなことからタイマグラのとの付き合いが始まった。
そのとき電話を掛けてきたのは「タイマグラばぁちゃん」の監督澄川嘉彦である。

タイマグラばあちゃん」は、彼がNHKのディレクターとして日本で一番最後に電気が通ったタイマグラで「マサヨばぁちゃんの天地」というドキュメンタリーを制作し
その縁がもとでNHKを退社してタイマグラに移り住み、マサヨばぁちゃんの記録をした映画である。
”タイマグラ”とは、アイヌ語の地名で”森の奥へと続く道”という意味らしい。(最初は、、水の豊かな森というような事を聞いたが…)

そんな縁で、彼が岩手食文化研究会の総会で特別講演をすると言うので出かけていった

           

「タイマグラばぁちゃん」は、3度ほど見た。しかし、じっくりと話を聞いたのは今回が初めてだろう
その映像の深い意味がよく分かり、その映像にでてこない風景が思い起こされた

「タイマグラが明るくなった」という言葉に驚いた
鬱蒼とした森の中にあると思っていたが、昭和30年代に何百年というブナや広葉樹の森が伐採されて、小生らが行ったときの周辺は50年程度の森だったのだ

「ジャガイモが凍らなくなった」
マイナス26℃ぐらいまで下がった冬の気温が、今はマイナス15℃ぐらいとなったと言う

川の水に浸けて、軒下に下げて保存食として利用していたジャガイモが凍らなくなった
彼は「気温差があるほど、地球の温度の変化を感じる」と言った、

彼の話すばぁちゃんの自然とともに暮らす話は、まさに「身土不二」そのものであった
そして八百万の神と一緒に棲む、そのすばらしい世界は、これからのあるべき方向が見えてくるような気がした

  今,そのマサヨばぁちゃんの畑は、照屋靖が耕している
  彼は「タイマグラという表示をしたくない。ばぁちゃんの名を使いたくない」
  と言って”川井村江繋 照屋靖”の表示しかしていない

  
 

 

そんないい話のあと、蕎麦屋の二階での懇親会は
ちょっと場違いの料理と         
そばに座った牛飼いの酌で、大量に飲みすぎた
 

意地汚い小生は、つぎの呑み屋で
「ばぁちゃんは、雑穀でどぶろくを作っていただろうね」と
あくまでも八百万の世界と酒の関係性を追求するのだった(笑)

しかし、あのマサヨばぁちゃんの味噌が、あれば…
あの味噌は「懐かしく力強い味がした」と言う