「すごい風格だな」と友人が言った。
60年の人生の重みと、体重の重さが,そう見せるのだろうか(泣)

中学校の同窓会が温泉であった。
”厄年の42歳から5回も行っている”と言う
いままで一回も参加したことはない。
今回は、還暦の同窓会ということなので、
”死なないうちに(自分が…やつらが…)会っておこう”と想った訳ではないが…

                            

我々の時代は、団塊の世代との境目である。
あるときは団塊の世代の仲間にいれられ、あるときは外される
今懐かしく振り返る昭和30年代を小学生・中学生として過ごしてきた年代である
学校も暖房が薪ストーブから石炭へ…給食が地方まで広がった時期でもある
集団就職列車も最後の方だろうか…クラスからも何人か、愛知へ東京へと向かった
冷蔵庫やテレビが普及し初め、電話がまだ近所に数軒しかなかった。
ズボンにつぎはぎをして、ズック靴を履き、お下がりの服を着て、野山をかけずり回った。
夏は川や堰で泳ぎ、冬は竹スキーや下駄スケートで遊んだ。
近所では醤油や味噌の貸し借りもあり、町内会や子供会の活動も活発にあり、コミュニティが存在していたが
まだまだ、多くの人が貧乏だった時代である。
しかし”貧乏”ではあったが”貧困”ではなかった。
希望に満ちあふれていたわけではないが「頑張ればなんとかなる」と言う時代だったような気がする

そんな時代を、一緒に過ごした仲間が集った。
大きな中学校で、一クラス50人前後で12クラスあったから600人いた
修学旅行も300人の2班に分かれて行った。
端っこのクラスは、同級生とは言え、顔も名前も知らない人が大勢いた。
それが卒業いらい初めて出会うのであるから、最初は戸惑う

じっと顔を見て、名札を見て。「おう!おまえか?」
名札が見えないと、ずっとちらちらと顔を見て黙って考えることになる
しかし、名前を名乗っても「さぁ〜知らない」と言われたら
ひどく惨めである。
そんな光景が、あちこちで見られた

しかし、こちらが覚えていた出来事を、向こうが覚えていない
向こうが感慨深げに思い出話をはなしてくれても、こちらが記憶にない。
人の記憶というのは、当てにならない物であると言うことを痛感した。
45年の歳月は、悪い記憶を消し去り、良い記憶だけ残しているようである

二人に言われた
「お前に、いじめられたよな」と
「いじめたのは、お前だよ」と切り返したが…
いじめっ子だったのだろうか?小生は?記憶に無い。

しかし、総じて成績の良かった仲間は、皆定年や定年前に退職して、第二の人生のスタートを切っていた
成績の悪かった仲間は、元気が良かった。まだまだ自営業や、中小企業の親父として現役で頑張っている
戦後の偏差値教育は、失敗だったのではないだろうか?と思う45年目の出会いであった。