今にも咲きこぼれそうな梅のつぼみが、あちこちに…

そんな日に、葛巻に行った。
ひょっとして、今年初めての葛巻行きかも知れない。
片道90km近くある。時間にして1時間30分の道のりである。(飛ばして!)
この道を、毎日のように往復している車が3台、みち草の驛の販売車である。

そのみち草の驛が、
食アメニティ・コンテストで農村振興局長賞を受賞した。

その祝賀会が、葛巻町で開催され、それに出席するために向かった。
慌ただしく集荷を済ませて、作業服のままで…
参加している多くの人は背広にネクタイだった。山形村短角農家の落安賢吉さんまで!
会場の葛巻町グリーンテージの入り口では高家さん夫妻が出迎えてくれた。

「今晩泊まっていくでしょう?」と…
みち草の驛や森のそば屋で何かあるときは、いつも高家さん宅へ泊まって痛飲するのが常である
「いやぁ〜、まだ考え中で…」
昼の3時頃から呑みはじめて、夜中まで呑む体力が最近無くなった。
それに声が通らないから、回りがわいわい騒いでいるときは、黙って呑むしかない。
黙って呑むと悪酔いをする。
おまけに代車だ。翌日は定期便で岩手町・西根・玉山を回るので、「泊まった方がちょうど良い」と思っていたが
車検と重なり、ちいさなバンで来てしまった。これでは荷物が入らないかも…
そんなこんなで、呑むべきか?呑まないべきか?祝賀会のテーブルに座るまで迷っていた。

祝賀会が始まり、高家さんの奥さんの挨拶が始まった。
酒を目の前にした落安賢吉は「長いなぁ〜」と今にも呑みたそうに…

高家さんの奥さんは、話し上手であるが、エピソードを交えてしゃべるので話が長くなる。
高家さん夫婦と話すと、ほとんど奥さんがしゃべっている。
高家さんは、タダにこやかに笑って相槌をうち、ときどき「それは違うよ」と口を挟む

高家さん夫妻と出会ったのは。もう14〜5年前になるだろうか?
たしか産業文化センターで食と農のイベントがあり、奥さんがパネラーとして檀上にのぼり
彼女の話を聞いたことが「高家(こうけ)」という名を認識した最初だったと思う。
高家という名は、赤穂浪士の敵役、吉良上野介の「高家吉良上野介」と言う名で知ってはいるが
それに由来するのだろうか?
住んでいるところは「高家領(こうけろう)」というから、高家の領地だったのかも知れない
(調べたところによると「高家」というのは江戸幕府の儀典を司る役職名らしい)
 

そのときはまだ「森のそば屋」を開店(平成6年頃か?)して、大繁盛をしていたときである。
「あんな田舎で、ばあさん達を集めて蕎麦屋を始めて成り立つのか?」と言う世間の噂をよそに
大きな賑わいを見せていた時である

それからしばらく立って、何か案内を出したような気がする。
それに高家さん夫妻が、応えて、元のテントハウスの店に尋ねてきて、片隅のベンチで話をした覚えがある。
それが話をした最初だった。

長い付き合いであるが、考えてみればお互い愚痴の言い合いでガス抜きの付き合いだったかも知れない。
まだ産直という名が出始めで、何も分からず様々な模索をしていた時期を一緒にした。
しかし、役場の職員をしていた夫婦が、様々なパッシングに出会い、様々な地域の人との関係に悩み、続けてきたことは賞賛に値する。
高家さん夫妻があってこそ「森のそば屋」「みち草の驛」である。
多分、私財を相当つぎ込んでいるだろう。
しかし、これからが正念場である。2人とも退職してようやく専業になれたが、時は大不況の時代

次の手は、何か?
一緒に寄り添って考えて行きたい

                       

祝賀会では,スタッフの方達の晴れやかな誇らしげな顔が印象的だった。
スタッフの方達が「高家さんのところへ、泊まれば!」
という声を聞きながら家路についた。

こんど静かなところで、ゆっくりと慰労会をしてやろう

自宅に戻った庭には、一輪、梅が咲いていた。まるで受賞を祝うように