日本兵と出会ったのは、平成の時代であった。
横井庄一さんや小野田寛郎さんが、発見された昭和40年代末期から相当の時間が経っている。
場所は、岩泉のジャングルの奥地ではない。
4〜5年前に食文化研究会が開催された、ふれあいランド岩泉である。
まだ高校生だった彼は、翌年、某岩手大学で日本兵として再会したのである。

大学で彼は「日本兵」と呼ばれている。
彼は、自身で作った手縫いの服や手縫いの鞄を身につけている。
それが、カーキ色の軍服・軍帽・軍用鞄に酷似しているのである。
別に意識して作っているのではないだろうが。
中学生時代から、おばぁちゃんに教えてもらった裁縫で作ったという
また、わらじや炭すご(炭俵)まで、器用に作りこなす。
小生の店で余った種を、大学で借りた農地を使って、様々な野菜を作りこなし、保存食として利用している。

ちょっと若者というジャンルでは、くくれない人種である。
しかし、もう春から大学4年。就職や卒論を抱えて、「岩泉の農業に貢献したい」という

そんな彼が選んだ卒論が「地種の大豆は、窒素固定が高いのではないか」というものであった。
地種の大豆なら「佐藤政行種苗」である。
社長にアポを取り、二人で弊衣破帽号に乗り込み、岩手山がきれいに見える盛岡を一路、流通センターに向かった。

    

「今日の岩手山は、きれいだなぁ〜。岩泉で岩手山は見えるか?」
「安家森まで登らないと…。4年間、いい風景を見させていただき幸せでした」
そんな会話をしながら車を走らせたが…
お目当ての松浦社長は、留守だった。
「近くでコーヒーでも飲んでいれば、直に帰ってくるだろう」
と田舎道を走らせたが。喫茶店が無い。
当たり前だ!田んぼの中に喫茶店などあるバズがない

着いたのは、津志田のユニバースのフードコートである。
ガチャガチャとうるさいフードコートで、
「こんな処来たことは、ありません」と彼は、言いながら
化学香料たっぷりの”アップル鯛焼き”とマヨ醤油”たこやき”とコーヒーを飲んで
「たまには食品添加物を採って、体を鍛えないとこれから生きてはいけない」
「これからは、添加物を摂取できる人間だけが生き延びれる(?)」と諭した(笑)
「大学でも、これがグルタミン酸、これがイノシン酸というように味見させられるのです…」
と指で、彼は嘗める仕草を見せた。

再度、佐藤政行に行くと社長が待っていた。
「韓国では、収穫したニンニクの良いものは売ってしまい、種は残ったものから選ぶ
日本では、良いものを種に残して、悪いものから食べる
結局、韓国では、だんだん種が悪くなって、種子更新が出来なくなり、当社のものを輸出した」
「白大豆は、国が育種開発、青黒などは、民間が…という棲み分けがある」
「いやぁ〜まだ開発段階で秘密なのだが…、○○で○○○○を試作して…」と、大変気に掛かることまで…

実験用の大豆を何種類も、もらった日本兵は…
「あの社長さん魅力的です。種屋さんが食品開発まで…。熱いですね」と感激しながら

「これが早野君が、見て育った岩手山だ」と岩泉に行った早野君を偲んで…(?)

岩手山どころか

               

早池峰まで頭を出していた。